「承認欲求」

きのうの日経新聞「経済教室」に、太田肇同志社大教授の「従業員の意欲向上策『承認欲求』考慮が重要」という論考が掲載されていました。例によって粗雑なる要約を試みればこんなところでしょうか。

・日本のような豊かな社会では、金銭的報酬による動機づけには限界がある。
・金銭以外のインセンティブとしては仕事のやりがいや面白さ、成長などがあるが、承認欲求、すなわち周囲から認められたい、尊敬されたいという欲求も大きな動機づけの力を持っている。
・やりがいや面白さ、成長なども認められることで実感できることが少なくない。
・表彰制度など、社内で積極的に「褒める」ことをマネジメントに取り入れる企業も増えているが、組織内の承認は「統制の手段」として受け止められ、かえってモチベーションを低下することもある。
・組織外からの承認は統制色が薄くモチベーションに好影響を与える。従業員に顧客、業界、市場など外の世界で承認されるための機会を与えることが大切。
・日本企業ではこれまで「仕事は組織でするもの」との建前のもとに、個人の貢献が明らかでも個人名を外に出すことを避けてきたが、今後はできるだけ個人の名を表に出すことが望ましい。チーム単位でそれが難しい場合でも、仕事ぶりをできる限りオープンにすることによって承認欲求を満たすことができる。

まあ、これはこれでゴモットモな話で、人事担当者にしてみれば、そんなことは言われなくてもわかってます、というところではないでしょうか。


「『仕事は組織でするもの』という建前」という言い方は、いかにも「囲い込み症候群」のお方らしくて笑えますが、現実には仕事というものは太田先生がお考えになるよりもはるかに「チームワーク」でやるものであって、これを否定してみてもはじまりません。とりわけ、外部で賞賛されるようなレベルを達成するためには、どうしてもチームプレイが必要になってきます。もちろん、相対的に貢献度の大きい人と小さい人がいるわけですが、「個人名を出しての外部からの承認」となると、承認されるのは貢献度の大きい一人だけになってしまうことが多いでしょう。そうなると、承認されなかった多くの人には「私の貢献が横取りされた」と感じる人も出てくるでしょう。これを「嫉妬」と呼んで軽蔑するのは自由(私は嫉妬どころか多分に正当な抗議だと思いますが)ですが、現実の人事管理に当たる立場では、あるものをないと言ってみてもはじまりません。だから外部から賞賛されるときはチームを代表するマネージャーがそれを受ける。そして、マネージャーは「これは私一人の力ではなく、メンバー全員の力です」と表明し、社内では各メンバーにはその貢献度に応じた評価を行い、場合によっては表彰したり社内報に載せたりする。これが結局はいちばん納得されやすいやり方なのです。

あるいは、

興味深いことに、同じ組織の中でも裏方で働く人に比べて、顧客や取引先など外部の人と接しながら働く人の方が不満を口にすることが少ないという傾向がみられる。

という一文がありますが、人事担当者からみればこれはあらためて「興味深い」なんていうものではなくて、当たり前のことでしょう。問題は、そうはいっても「裏方」で働く人も一定数は必ず必要だ、という点です。で、普通は裏方より「表方」(なんじゃ、それは)の方が高度な−−難しくないかも知れないが、少なくとも格上の−−仕事であり、裏方を卒業したら表方にステップアップする、という人事管理が行われることが多いわけです。で、これは例えば高橋伸夫先生とかが言っているような「次の仕事で報いる」、仕事のやりがいや面白さによる動機づけに他なりません。
というわけで、要するに「承認欲求」などと今さら言われなくても、企業はとっくにそういうものを織り込んだ人事管理をしているわけです。そういう意味で、今回の太田氏の論考は、いつぞやの「囲い込み症候群」のような支離滅裂なものではなく、多分にもっともなものではありますが、別段役に立つような中身があるものではありません。
むしろ、この論考で大いに注目し賞賛したい、太田氏の言葉を借りれば「承認」したいのは、「調査によっては承認欲求はそれほど強く表れないことが多い」という指摘です。

 たとえば、社会経済生産性本部と日本経済青年協議会が毎年行っている新入社員の意識調査の結果をみると、「社会的にえらくなりたい」という回答は3%に過ぎないし、NHK放送文化研究所の「日本人の意識調査」でも、理想の仕事の条件として「世間からもてはやされる仕事」をあげる者はわずか1%である。
 ところが、少し尋ね方を変えると承認欲求が一気に表面化する。…
 このように、承認欲求はストレートに表現しにくい特徴があるので把握が難しく、社会的にも、また組織の中でも過小評価される傾向がある。

まあ、企業の人事管理では、こうしたアンケート以上に皮膚感覚の実務実感を重視しますから、さっき書いたように太田氏がいうほど過小評価しているとは思いませんが。過小評価するのはおそらく行政とか研究者とか、現場にいない人たちだろうと思います。太田氏ご自身も、こうした結果をみて「企業も過小評価しているに違いない」と思い込んでいるのかも?
そして、このようにアンケート調査に「本音」が表れにくいのはなにも承認欲求だけではないでしょう。以前のエントリでも繰り返し書いていますが、男性の育児休業や、サービス残業年次有給休暇の取得、その他もろもろ、本音とはかけはなれた建前で回答されているアンケート調査の結果をみて、あまり意味のない政策が進められていることも多いのではないでしょうか。