柔軟な降格

たまには公務員ネタも。ちょっと古いですが、元総務庁事務次官の増島俊之氏のオピニオンです。

…局長や部長が一定年齢になると、昇任するか退職するかの選択になる。しかし、これからは、管理者から別の仕事に変わるという考え方が必要である。例えば、高校のある校長が4年間働いた後もなお定年までの時間があるとすれば、それまで担当していた教科の担当教員に戻るということである。周りの人も「校長のお仕事ご苦労さまでした」と笑顔で受け入れる。管理者としての職務内容および責任は他の仕事に比して重いから高い給与を受けるのは当然である。しかし、一般の教員と同じ立場になったら、当然給与は下げる。そのようなことは不可能であると頭から決め込んでいる人が多いと思うが、これはコロンブスの卵である。
 一般の役所でも、局長の仕事を3年間行い、さらに公務を希望する人には、当該組織の大学校(警察大学校自治大学校など)の教官や地方支分部局(管区行政評価局経済産業局など)の長にする。当該組織・仕事と密接に関連する外国制度・歴史の研究あるいは海外への積極的な広報活動に従事させる。または、国民と接触する行政相談アドバイザーになってもらう。そのような仕事が本当に好きだという人もいるのである。局長就任以前の仕事に戻すということも視野に入れる。
 組織は、一定の働きを持った職によって構成されている。各仕事は、職務内容に違いはあり得るものの、みな責任があり、やりがいのある存在である。現在の行政慣行の最大の問題は、局長になったらその格付けは変えられないものとしていわば身分的地位を取得したもののように取り扱うことである。したがって、昇進か他の局長に横滑りか退職になる。これでは人事の若返りのために人事当局の就職斡旋は必要不可欠になる。
 今後早急に検討すべきことは、このような機能的組織観の実践を可能にする公務員法制・運用に改めることである。
(平成19年9月6日付朝日新聞朝刊「私の視点ワイド」から)

これは高齢者雇用についてもかなり該当する話ですね。降格させられないから、その「格」に見合った(しかし必要性の疑わしい)ポストを外郭団体などで確保するよりは、降格であっても尊敬される形で意義のある仕事を続けるほうがいい、という価値観を広げるということでしょう。これは、今現在だけではなく、その人のキャリアについて敬意を持つということでもありましょう。職務等級のほうがやりやすいでしょうが、職能資格でもくふうすればやれなくもなさそうです。