「金融経済の専門家」若年雇用を語る

「金融経済の専門家」シリーズ第三弾です(笑)。村上龍氏主宰の著名なメールマガジン「JMM」、今回(4月11日発行)のお題は「若年層はバブルの後始末の犠牲者か?」というもので、設問は「日本の若年層の失業率は他の年齢層に比べて高いということがよく言われます。これはバブルの後始末の過程から、これまでずっと若年層が犠牲になっているということでしょうか。」というもので、これに例によって「金融経済の専門家」たちがコメントしています。
で、内容をみてみると、今回はなかなかマトモです。やはり、若年雇用問題はマーケットマターですし、雇用失業情勢は経済指標としても重要ですから、「金融経済の専門家」たちもそれなりに理解しているでしょうし、また、彼らの思考パターンにもなじみやすいのではないかと思います(実際、まず若年雇用の現状のデータを示し、その後需要・供給・構造の側面から考察する、というパターンのコメントがいくつもあり、同じのをもう一度読んでいるんじゃないかと錯覚しそうなこともありました)。
とはいっても、「労働組合」や「成果主義」のときのような、唖然とするような電波こそ出ていないものの、個別にはおかしなところもあります。一つあげれば、たとえば「若年層の就業問題とは、長期間に亘る経済の低迷による就業機会の不足と同時に、若年層の一部で就業意欲の極端な低下ないし喪失が見られるということではないでしょうか。」というのは、上の玄田氏の主張のように、就業機会の不足などが就業意欲の低下をもたらした、と考えるべきでしょう。
それはともかく、私が今回興味深かったのは、設問は明らかに「若年は中高年の犠牲になった」という回答を想定していたと思われるにもかかわらず、回答はそうはならなかった、ということです。むしろ、「中高年もけしからんが、若年もけしからん」的な回答が多くなっています。いまあげた例も、そういう発想を反映していますが、ほかにもいくつもあります。

ビジネスパーソンとしての私は、個人的には高齢者層に反感を感じるのですが、それでも、論理的には「若年層が犠牲になった」と言い切ることに対して抵抗を感じます。

これなんかはなかなか率直ですね(笑)。

個人的な感覚で言えば、自分を犠牲者だと思う人間には魅力を感じませんし、マスコミもまた、若年層を甘やかす方向に世論をリードするべきでないと考えるものです。

これもなかなか率直です(笑)。

昔よりチャンスが広がっている就職や起業をどのように活用するかは、若者の心がけとやる気次第でしょう。

金融経済の専門家としては当然の心情なのかもしれませんが、この「自己責任原理主義」にはなかなか強固なものがあるようです。ダメなのは自己責任、成功しているのは既得権。
私は金融政策のことはわかりませんが、一応労働関係なので素人ながらあえて申し上げれば、私はバブル崩壊以降の雇用問題に関しては、若年が中高年の犠牲になったとかいうものではなく、「中高年も若年も、デフレの犠牲になった」というのがいちばん当たっているのではないかと思います。フィリップス曲線からの単純な連想ですが、デフレで物価、売上が名目で減少したのに、賃金が下方硬直的だったことが、雇用を減らす圧力として大きく働いたことは間違いないのではないでしょうか(製造業や建設業の現場はともかく、多くの職場では仕事の実態として人は余っていないのに人減らしが行われたのですから)。この設問からは直接には出てこないかもしれませんが、「金融経済の専門家」の誰一人としてこの点に言及していないのは、私には不思議に思えます。
ちなみに、若年の採用抑制という面では、玄田氏などが云っているような「中高年の雇用が既得権として守られたから若年雇用が抑制された」というよりは、習熟度や賃金水準などの面でより新卒者に近い「バブル期の大量採用がバブル崩壊後の新卒採用を抑制した」というのが実務実感に合っているように感じます。