ワークス研究所「新しい調査と働き方指標に関するシンポジウム」

ワークス研究所の戸田淳仁さんにご招待をいただき、昨日開催された同所主催の標題のシンポジウムを聴講してまいりました。テーマは「全国就業実態パネル調査(JPSED)で日本の就業を評価する−働き方の可視化と労働政策への展開可能性」というもので、ワークス研究所が新たにはじめた大規模調査の紹介と初回結果の報告が中心でした。調査の概要と結果はさっそくワークス研究所のウェブサイトに掲載されていますね(http://www.works-i.com/surveys/panel-surveys.html)。
最初に主催者のごあいさつとワークス研究所の大久保幸夫所長の趣旨説明があり、続いてこの調査プロジェクトのリーダーである萩原牧子さんが概要を説明されました。
サイトでは調査対象者が41,000人となっていますが、昨日の説明によるとこれは回収目標数であり、初回は依頼数145,102に対して回答数50,745、有効回答数49,131という結果だったようです。今後は毎年1回1月に回答者の追跡調査を実施してパネルデータ化していくということで、調査票をみると設問数も92問を確保しており、この手の民間の調査としては非常に大規模なものになるようです。
調査手法はインターネット調査ということで、まあこれだけの大規模調査を訪問留置法でやるのはいかにリクルートといえどもコスト的に難しかったのかもしれません。それでもなお相当に高額な費用を要しているはずですが、これはリクルートのご商売に役立つということに加えて利益の社会還元という意義もあるのでしょう。
いっぽうでインターネット調査には学歴や収入が高く出過ぎるなどのかなり強いバイアスがあって注意が必要だというのが通り相場ではあるわけですが、この調査は標本の設計に学歴を取り入れることでその問題をかなり解消しているとのことで、まあ当日大久保所長が指摘していたように訪問留置法のほうにも「ドアを開けてくれて協力してくれる人ってどういう人なのか」というバイアスがあるだろうと言われればそれもそのとおりであって、これだけインターネットが普及してくれば手法としての優劣はそれほどないのかもしれません。
さらに、この調査結果を利用した指標として「Works Index」というものも開発されており、これも概要と初回の結果をまとめた冊子がウェブ上に掲載されています(http://www.works-i.com/pdf/160523_WorksIndex2015.pdf、当日も配布された)。就業の安定(安定性)、生計の自立(経済性)、ワークライフバランス(継続性)、学習・訓練(発展性)、ディーセントワーク(健全性)の5つのインデックスを、この調査の2〜5の設問をインディケーターとして算出することで、働き方の可視化とその変化の定点観測を可能とするという試みのようです。
こちらもますシンガポール大の清水千弘先生が趣旨説明をされ、続けてワークス研究所の久米功一さんと戸田さんが初回結果を報告されました。もちろん経年変化をみるのが主眼の指標でしょうが初回結果だけみてもなかなか興味深く、たとえば就業の安定については就業者が全体の6割超なのに対し雇用保険に加入している人と失業給付を受給している人が33%にとどまっています。これは当日もその低さが課題として指摘されていましたがなかなか実感に合わない結果でもあり、実際問題厚労省雇用保険業務統計によれば雇用保険の被保険者は3,900万人程度なので就業者のまあ6割、雇用者の7割というところでしょう。これはおそらく就業者に雇用保険に通常加入しない自営業が含まれていることと、「わからない」と回答した人の中に相当割合の加入者が含まれていることによるものと思われ、この数字をダイレクトに出して高低を論じるのはあまり適切ではないと思われます。実態が十分に高いのかどうかは別途の議論でしょうが、しかし自営業者や役員がゼロにならないとフルスコアにならないインデックスというのも少々納得いかないものはあります。
生計の自立については約3/4が自分または自分と配偶者の収入で生計費がまかなえているということなのでそれなりに良好な状況といえるでしょう。家族の仕送りや公的扶助が必要な人は1割を切っており、残る2割弱についても仕事に加えて家賃・配当金などの資産性収入や公的年金などの比較的安定的な収入で生計費を充足している人がかなりいると思われます。
それにもかかわらずスコアが51.6にとどまっているのは「自立者の平均所得からの乖離」というインジケータの影響で、専業主婦・夫や家計補助的に就労する低所得者が多いとスコアが下がるという設計になっているようです。たしかに死別や離婚などがあると即座に自立を損なうリスクはあるわけなのでこれを考慮するのは合理的ですし、非正規労働の賃金改善が唱えられている現状にはマッチしているともいえそうですが、どの程度重視するのかは議論がありそうにも思えますし、高所得者が増えると(まあ格差は拡大するのだが)スコアが下がるというのも少々疑問があるようにも思えます。
ワークライフバランスについては労働時間、週休・年休取得、出産・介護時の就業継続および勤務日・時間・場所の自由度で評価されています。育児休業の利用やワークライフストレスに関する設問もあるのですがインジケータとしては採用されておらず、まあ両立については就業継続で代表させているということでしょうか(育休取得がキャリア面などですべていいというわけでもないでしょうし)。ストレスについても家族的な要素も多く含まれているので除外したのかもしれません。
学習・訓練のスコアは他の4項目に較べて明らかに低く、報告でもその低さが問題視されていました(まあ私にはインデックス間のスコアの比較にどのくらい意味があるのかはわからないのですが、意味があるように設計されているのだろうとは思いますが…)。
ただまあ要請の切実さが他の4つに較べれば低いことを考えればそうかなという感もあり、雇用の安定や生計費の稼得、育児・家事の必要や就業環境の確保といったことに較べれば、まあ学習・訓練の優先順位は低いのも致し方ないわけであって。
年齢階層別のスコアも公開されているのですが、これについては明確に右肩下がり(高年齢ほど低い)となっていてやはり非常に納得のいく結果です。個別の設問の結果(http://www.works-i.com/pdf/160523_JPSED2016data.pdfで公開されています)を見ても仕事のレベルアップ、OJT、Off-JTともすべて年齢が上がると顕著に低下しています。高齢化の影響がかなりあると思われます。
そして年齢と並んで差異が際立っているのがやはり正規/非正規で、これらすべてについてかなりの差があります。
結局のところ、企業の教育は投資であって、リターンの期間が長く量も多いことが期待できる若年〜中堅の正社員が重点になるのは当然といえましょう。逆に一定レベル以上の能力水準に達した人に対する教育の必要性は低くなる(全員が部長レベルの能力を有する必要はない)わけで、そう考えると「仕事における成長機会がない」人が4割弱というのも納得のいく現状だと思います。
したがってスコアが低いことが全面的に深刻な問題なのかというとそうでもないように思えますが、しかしスコアが上がることはもちろん望ましいことなので、非正規に対する教育訓練が行われやすくするような環境整備(5年超の反復更新を認めるなど勤続の長期化につながる施策)や、中高年労働者の自己啓発の促進策が必要でしょう。中高年となると仕事も忙しいし家族も増えますので自己啓発のための時間の確保がポイントになるだろうと思います。
ディーセントワークについては「労働者の権利が確保されていない人が43.3%」という資料が提示されていてちょっと驚いたのですが、これは「労働者の利益を代表して交渉してくれる組織がなかった、あるいはそのような手段が確保されていなかった」という設問に「あてはまる」と回答した比率でした。「どちらかというとあてはまる」をあわせると6割を突破してしまうのでかなり問題ではあるでしょう。いっぽうで「あてはまらない」「どちらかというとあてはまらない」の合計は15.4%であって労働組合の昨年の推定組織率17.4%すら2%ポイント下回っており、設問のような組織・手段とは労組のことであって労組がないから組織・手段もない、という回答をした人も多いのではないかという印象はあります。2%ポイントは誤差だと思いたいですが(まあ誤差でしょうが)、労組があるのに労働者の利益を代表する組織だと思われていないとかいうことは、まさかないでしょうが…。いずれにしてもこれはスコアの5分の1の寄与度があり、かつ他の4つに較べて極端に成績が悪いので、このインデックスが改善するかどうかは労組の頑張りにかかっているのかもしれません。
就業形態別や職種別の分析もあってこちらも興味深いのですが割愛させていただいて、最後は大久保所長の司会で中央の阿部正浩先生、慶応の太田聰一先生、厚労省の中井雅之雇用政策課長、日銀の肥後雅博統計調査局長によるパネルディスカッションとなりました。
とはいえまだ初回調査が終わったところでパネル調査の強みである時系列の分析はされていないため、議論の中身はまあ意義と期待が中心だったわけですが、意義については阿部先生が民間による調査であること、パネル調査であること、データが公開されること(もっとも個票データは佐藤博樹先生が作られた社研のデータアーカイブでの公開ということなので私のような市井人にはアクセスできないわけですが)を上げられ、太田先生はさらに規模の大きさと設問の豊富さを上げられました。
大久保所長からはこれまでになかった転勤や副業などに関する設問を設定して実態を明らかにすることができるようになったことが紹介され、公的調査との補完関係を構築できるとの意義が示されました。さらに具体例として、初回調査だけでわかった事実として第一子妊娠出産による離職率が2000〜2004年の60.3%から10年後の2010〜2014年には46.2%に低下していて政策効果が認められること、副業をした人は全体の13.5%に達していて年間200万円以上得た人もいること、年間の転勤者比率は20-59歳正社員で3%であり、その8割近くが係長クラス以下であったこと、転勤した人は転勤しなかった人に較べて仕事がレベルアップしていることが多いことなどが紹介されました。
今後の期待については、両先生からは大久保所長が紹介されたような従来調査からは得られなかった知見が得られることへの期待が示されたほか、中井課長からは労働政策への、肥後局長からは金融政策・経済政策への活用を期待する意見が述べられました。肥後局長は物価が上がらないのは企業が賃金を上げないのが悪い(意訳)という話が繰り返し述べられてああいつもと同じだなと。
ということで以上の内容が90分というコンパクトなサイズに収容された非常に密度の濃いシンポジウムでした。中でも話があったようにやはり時系列の変化をみることが主眼の調査なので、来年以降回を重ねるごとに有意義な知見が積み重ねられていくことに期待したいと思います。