ニートと階層化

今朝の日経新聞「経済教室」に、玄田有史氏のニートに関する論考が掲載されています。見出しは「ニート、学歴・収入と関連 社会の階層化映す」というもので、最新の研究会の成果をふまえた非常に興味深い内容を含んでいます。
ニートが何万人か、というのは、そもそもニートという概念が定義次第の操作的なものなので、あまり厳密に議論しても意味はないと思うのですが、いずれにしても数十万人オーダーという無視できない規模であること、そしてかなりのペースで増加していて拡大傾向があることは明らかにされています。
注目すべきなのは、本人の学歴や本人が属する世帯の収入との関係(したがって、「学歴・収入と関連」という見出しはあまり適切とは思えません。たぶん日経の編集者がいいかげんにつけたのでしょう)を示し、日本社会の階層化との関係を示唆していることです。

 今回発見された特徴的な事実の一つは、ニートと学歴との強い関係である。…就職希望そのものを失っているニートの圧倒的多数は、高等教育を受けていないことがわかる。…
 高等教育を受けた経験のある者は、仕事がなければ職を得ようと必死になり、「失業者」になれる。それに対し進学を断念した人々は、就職自体もあきらめてしまい、失業者にすらなれない状況が広がっている。
 学歴とともに今回浮かび上がったのは、ニートを抱える世帯の経済状況の厳しさである。…無業者の若者が属する世帯は、15-34歳の若者が属する世帯全体に比べて、年収300万円未満の割合が一貫して高い。…増加幅も、若者がいる世帯全体に比べて顕著である。なかでも年収300万円未満の割合が高くなっているのは、やはり非希望型である。
(平成17年4月13日付日本経済新聞朝刊「経済教室」から)

玄田氏はこれを、日本社会の階層化を反映したものであり、「若年無業を生み出す背景には、若者本人の意識や気力といった問題以前に、家庭や社会の環境にこそ原因がある。」と主張します。そして、次のように結論づけます。

 ニートに限らず、失業やフリーターを含めた若者の雇用対策を検討する場合も、就業問題の原因を若者の無気力や努力不足と決めつけることなく、まずは若者の置かれた環境について事実認識を共有することが何より大切となる。
 その上で、就業対策はもちろん、教育や福祉政策を総合した政策の姿をどう具体化できるか。それが、今後の若年問題のカギを握っている。
(同)

余談ですが、「社会の環境」というのが企業を含んでいるのかどうかわかりません(含んでいるのだろうとは思いますが)が、とりたてて「企業の責任」に言及しなかったのは立派な見識といえましょう。企業だって若年を採れるものなら採りたかったことは間違いないわけで、むしろ、企業に見方によっては過度に若年採用を抑制させた「社会の環境」(たとえば、行き過ぎた「株主重視」や「短期的業績重視」の風潮など)にこそ問題があるという考え方もありうるはずです。
それはそれとして、同じ才能、素質を持って生まれても、家庭環境に恵まれてその才能を伸ばせるか、恵まれずに素質を埋もれさせたり浪費したりしてしまうかで、その差は大きなものになるでしょう。結果として階層は固定化され、格差は拡大するというのは欧米がすでに経験したところです。
加えて、とりわけ就職の際の雇用情勢の影響は見逃せないものがあります。好況期に(新卒)就職した人は良好な仕事に就ける可能性が高いのに対し、不況期に就職した人は仕事に恵まれず、結果として定着が良好でなかったり、収入が少なくなったりするという「世代効果」は、玄田氏自身や阪大の大竹文雄氏などによって検証されているところです。
また、−−これに言及することは一種のタブーになっているのではないかと思いますが、あえて書けば−−「相続」されるのは財産や家庭環境だけではないでしょう。先天的な才能、素質(さらに書きにくいことを書けば、外貌も)も「遺伝」によって「相続」されることは、完全には否定することは難しいのではないでしょうか(理念としては考慮に入れるべきではないのかもしれませんが)。となると、ますます階層は固定し、格差は拡大することになります。
そう考えると、階層の消滅は事実上困難としても、階層移動を促すための施策はきわめて重要になるでしょう。玄田氏の主張も、労働・就労という側面からそれを訴えているのだと思います。具体的には、門地出自などによる差別の撤廃は当然として、奨学金職業訓練の強化充実などに加えて、子弟が教育や訓練を受ける機会が確保できるよう(必要な時間を生活のための就労に奪われないよう)、再分配政策を強化することも必要ではないでしょうか(当然のことですが念のため申し上げておきますと、私は上層の階層の人を転落させて格差を解消、平等化すべきということを言っているわけではありません。一定の格差は容認しつつ、階層移動を促すことで全体を活性化、底上げしていくことをめざすべきだと考えています)。企業の人事制度も、極端な成果主義能力主義は階層化の道なのかもしれません。まあ、その是正の主役は企業ではなく、労働組合が主役になって労使の努力によって取り組まれるべきものでしょうが。