新聞各紙のニッポン放送狂騒曲

ライブドアによるニッポン放送株の買い集め(という表現でいいのだろうか)が大いに注目を集めています。今日はニッポン放送・フジテレビが対抗策として大規模な新株予約権の発行を決めたというニュースがマスコミをにぎわせていますが、本筋とは別に、このところの各社の社説がまったくもって面白い展開で目が離せません。
もともと、各社ともライブドアが買い集めをはじめた直後の2月10日から12日にかけて、「これからの時代、こういうことも起こるということを承知しておかなければならない」といった無難な論調の社説を掲載していました。新たな展開が始まったのは、18日に産経新聞が「堀江氏発言 産経を支配するって? 少し考えて言ったらどうか」という社説(産経では「主張」ですが)を掲載してからです。
 
この社説、「朝日新聞社発行の週刊誌AERA二月二十一日号「堀江フジサンケイ支配」と題した特集記事で、具体的な新聞づくり構想に言及している。/これを機に産経新聞の考えを一応、言っておきたい。」というもので、具体的にはこんなことを述べています。

 堀江氏はAERA誌で「あのグループにオピニオンは異色でしょ。芸能やスポーツに強いイメージがあるので芸能エンタメ(注=娯楽)系を強化した方がいいですよ」と語り、編集部も堀江氏は正論路線にあまりお金はかけたくないという、との解説を付記している。
 さらには「新聞がワーワーいったり、新しい教科書をつくったりしても、世の中変わりませんよ」と語る堀江氏の発言を「氏特有の冷めたメディア観」とたたえてもいる。しかし、この特集記事にあふれていたのは「エンタメ」「金融・経済情報」といった類の言葉ばかりで、新聞づくりの理念はうかがいしれなかった。
 経済合理性の観点からメディア戦略を構築しようとしているだけで、言論・報道機関を言論性でなく、むしろそうした色あいをできるだけ薄めた情報娯楽産業としかみていないのは驚くべきことといわなければならない。

 氏が「エンタメ新聞」を発行したいのなら、豊富にあるという資金を注ぎ込んで新たに発刊すればいいだけのことではないか。…
 堀江氏は電波媒体を買収してグループ内の新聞まで支配したいという野望なのだろうが、電波というのは公共財であり、しかも無限ではない。この限りある資源を適切に使うため、国が限られた事業者に免許を与え、割り当てている。それが放送事業である。
 したがって、利益をあげることが最大の目的である一般事業会社とは当然異なり、より大きな公益性と社会的責任が伴う。
 それだけの資格があるのかどうか、静かに自らに問うてほしい。

ま、産経らしいなかなかの正論ですが、これに対して朝日新聞が23日の「ライブドア いきり立つのでなく」という社説で反応しました。

 政府は放送会社への外資規制を強めるため、今国会に前倒しで法案を出すという。買収資金を用立てたのが米国の投資銀行で、間接的とはいえ発言権を握りかねないからだ。
 金融庁も公開買い付け(TOB)のルールを見直す。ライブドア東証時間外取引の仕組みを使って、大量の株式を手に入れている。法律に触れてはいないが、全株主に等しく持ち株を売る機会を与える証券取引の基本ルールに背いているため、抜け道を封ずるのだ。
 当の堀江貴文社長はテレビ番組に引っ張りだこだ。経済界はもちろんのこと、政界もお茶の間も、この話題で持ちきりである。政財界の長老たちは堀江氏の手法を批判するが、若手の経営者には擁護論も根強い。
 次々と起こる出来事に目を奪われがちだが、ここは冷静になってことの本質を考えてみたい。
 ニッポン放送は株式を証券市場に公開している。だれが株を売買しても自由だ。投資家が株を買い集めて経営権を握ろうとすること自体を、不法な乗っ取りのように騒ぐのはおかしい。

グループの一員、産経新聞は社説で「産経を支配するって?」と反発している。独自の言論路線を侵されたくない気持ちはわかるが、株の40%をフジテレビが持つという構造に問題がなかったか。
 公開企業の経営者は、これを他山の石に、企業グループの再編成などに取り組むことだ。それでも心配なら、株式の公開をやめる手もある。
 堀江社長は経営権を目指すと言う以上、どんな経営をするのか、メディアに対してどんな考えを持っているのか、もっと具体的に語ってもらいたい。
 放送法は第1条で「健全な民主主義の発達に資する」ことを放送における原則として掲げている。貴重な公共財産である電波を使いながら、この基本を踏み外した運営をすれば、視聴者の信頼を失い、従業員にそっぽを向かれよう。ひいては会社そのものが信頼を失ってしまう。これは新聞でも同じだ。

「いきりたつのではなく」「独自の言論路線を侵されたくない気持ちはわかるが」などの表現は、論敵の苦境を喜ぶ心境がありありと伺われますが、産経としても自らの油断が招いた苦境ですから痛いところではあるでしょう。いっぽうで朝日としては、自分たちもそんな目にあわされてはたまらんということでしょうか、金融庁時間外取引規制を強化しようという動きには賛同し、メディアの公共性についてもわざわざ「これは新聞も同じだ」と念を押しています。
さらに、やはり産経の論敵である毎日新聞も、23日付の「ライブドア問題 公正でオープンな視点が必要」でこの問題を取り上げています。直接産経の社説を取り上げてはいませんが、前日の特集記事では産経の社説に批判的に言及していますから、やはりそれに反応した部分はあるのでしょう。

ライブドアの奇襲作戦にメディア業界の中では戸惑いの声が広がり、政財界からは感情論に近い批判もあがっている。
 ライブドア堀江貴文社長は、ラジオ、テレビ、新聞、雑誌の4大メディアとインターネットとの連携が株主利益につながると主張している。しかし、フジテレビの日枝久会長は「ライブドアが支配するというのなら事業提携はできない」と、提携を拒否している。
 今回の騒動は株式保有のねじれに原因があり、そこを突かれたわけだが、フジサンケイというメディアグループに新興のベンチャー企業が土足で乗り込んで来ようとしているような印象が広がっており、問題を複雑にしている。

 政府や東証は、制度的な不備を見直す方針を示している。それは当然、進めるべきことだが、方法が不意を突いているからとか、メディアは公共のものだからということで、新興勢力の参入自体を批判する方向に向かっているのは、いささか了見が狭いのではないだろうか。

 ライブドア問題は、公正でオープンな視点が必要だ。

要するに、フジテレビをはじめとする政財界はけしからん、ということを云いたいようで、はたしてこれが「公正でオープン」なのかという疑問はありますが、毎日らしい論調ではあります。
さて、産経は24日付の「共に冷静に考えてみたい」という社説で朝日の社説に対する反論を試みました。

 産経の主張は、新聞ジャーナリズムの言論性を無視しているようなライブドア堀江貴文社長の言動に疑問や批判を提起したもので、活字メディアとして当然抱く本質的な論点と信じる。産経としては、仮に朝日の言論性が何らかの横紙破り的行動によって損なわれる事態が起きれば、言論の自由を守る立場から、徹底的に朝日を擁護する。過去に起きた朝日攻撃の暴力事案に対してもこの立場を堅持してきた。
 もし堀江氏が新しい新聞媒体を発行したいのなら、それにも反対しない。しかし、産経を支配して正論路線を変更させ、「エンタメ(娯楽)新聞」や経済紙に変えるという発想は乱暴すぎて万人の共感を得られるものではないだろう、と指摘した次第だ。

 また、「独自の言論路線を侵されたくない気持ちはわかるが」と書いたあと、フジサンケイグループの資本構造問題を持ち出す論法には、論点をすり替えられた思いだ。
 多くのメディアが、立場の違いはあってもライブドア問題を熱心に報じているのはなぜか。フジサンケイグループという企業集団の経営権をめぐる問題だけでなく、メディアの存在意義は何か、という重い問いが突きつけられているからではないのか。
 「ここは冷静になってことの本質を考えてみたい」。この言葉はぜひとも共有したいと考える。

これまたごもっとも、という感じで、資本政策に手抜かりがあったからといって、それをもって朝日が産経の言論路線が間違っているといわんばかりに云うのはたしかにおかしいですが、手抜かり自体は正当化できないのは引き続き痛いところです。
さて、24日には、産経以外の各紙もフジテレビの対抗策をいっせいに社説で取り上げました。
まず東京新聞の社説は「ライブドア ここは冷静に見たい」というもので、内容もたしかに冷静に現状を整理したという感じのものです。もっとも、『「外資乗っ取りはけしからん」とか「ルール破りの無法者を許すな」といった感情的反発に左右されては、かえって危うい』という一方で、しっかり

とはいえ、今回の騒ぎが看過できないのは、外資による放送会社支配の問題も絡んでいるからだ。買収が成功すると、ライブドア転換社債を引き受けたリーマン・ブラザーズライブドアの大株主になって、リーマン社が間接的にニッポン放送の経営を左右する可能性がある。
 証券会社であるリーマン社の狙いがニッポン放送の支配とも思えないが、国民の共有財産でもある電波を外資が握ってしまうのは、基本的に好ましくはない。この機会に、間接支配を防ぐ方策も検討すべきだ。

と、マスコミは特別だと主張しているのは笑えますが。もちろん、マスコミや電波の公共性はよくわかりますが、これほど特別扱いして当然だといわれるといまひとつ納得行きません。
論調が比較的産経に近い読売も、24日に「時間外取引 投資家保護へ法の不備を改めよ」という社説を掲げ、「ライブドアのやり方は、TOBの採用を盛り込んだ証取法の趣旨に反するのではないか。」としたうえで、

…経済界などから、こうした措置だけだと、割安感のある日本企業が外国企業の買収攻勢にさらされる、との懸念が強まっている。これを受けた防衛策も法案に盛り込む方針だ。実効性のある対策を打ち出してもらいたい。
 一般投資家を保護するための法整備も急ぐ必要がある。投資サービス法の制定は、いまだに日の目を見ていない。
 派手な買収合戦のあおりで一般投資家が不利益を被るようであれば、日本の株式市場から資金を引き揚げ、日本経済へ打撃を与えるだろう。

と法制度の整備を求めています。まずまず冷静な論調で、どちらかといえばライブドアに批判的、経済界寄りではありますが、それによって少なくともここでは「マスコミ特別論」を持ち出さずに済んでいるところは好感が持てます。
面白いのは毎日で、24日の「ニッポン放送株 何でもありでいいのか」という社説で、新株予約権発行を徹底的に叩いています。前述の23日の社説に続いて連日の採用ですから、よほどこの問題に気合が入っているのでしょう。

ライブドアが支配することになれば、マスコミとしての高い公共性が維持できなくなることも強調している。

 ライブドアの強引な手法に異議を唱えているわけだが、現在の株数よりも多い株を与えるということを、公開買い付けの最中に発表するというのも相当、異常なことである。

 ライブドアニッポン放送の買収に成功すれば、フジサンケイグループ全体に大きな影響が及ぶとして、やむにやまれぬ措置だということなのだろう。しかし、ニッポン放送の今回の決定は、支配証券としての株式の役割を否定することにつながってしまう。なんでもありというのは、おかしい。

毎日はこの問題では一貫してライブドアに肩入れしており、他紙が死守しようとしている「マスコミの公共性」すら投げ打たんばかりの論調にはある種の潔さすら感じてしまいます。ただ、このライブドアびいきも、結局は前述した22日の特集記事「ニッポン放送株争奪:「メディアはネット主体に」−−堀江・ライブドア社長、認識は」でこう書いているように、

 大石泰彦・東洋大教授(メディア倫理)は「メディアは私企業でも、国民の知る権利を代行し、権力を監視する役割を期待されている。自社の利益ばかりに目を向けるわけにはいかない。営利を追求する一般企業の論理とは大きく異なる。こうしたジャーナリズムに対する心構えや知識が堀江氏にあるか、これまでの発言を聞く限り疑問だ」と話す。一方で「フジテレビはかつて『楽しくなければテレビじゃない』というキャッチコピーを使っていた。今回の問題は、フジ側にもジャーナリズム精神とは何かを突きつけたと思う」とフジテレビにも注文を付ける。
「総合紙としては劣勢であると言わざるを得ない。背伸びをし過ぎて、総合紙にしようとして、あまりうまくいってないわけじゃないですか。でもエンタメ(娯楽)路線はフジサンケイグループとしてのシナジーが働いて強いわけですよ。強い部分を伸ばしていくのは当たり前のことですよ」。フジサンケイグループ産経新聞について、堀江社長は18日夕放送のテレビ朝日のニュース番組でそう語った。
 その日の産経新聞朝刊は「産経を支配するって? 少し考えて言ったらどうか」との見出しで主張(社説)を掲載した。「経済合理性の観点からメディア戦略を構築しようとしているだけで、言論・報道機関を言論性でなく、むしろそうした色あいをできるだけ薄めた情報娯楽産業としかみていないのは驚くべきこと」と痛烈に批判していた。

結局のところは「産経の論調が気に入らない」というのが理由のようです。ちなみに、この記事では識者の口を借りて「メディアは特別」と言わせていますから、やはり「マスコミの公共性」を投げ打つまでにはいっていないようです。
さて、この手の問題にはうるさがたのはずの日経新聞は、なぜか24日にはこの問題を社説で取り上げませんでした。なぜか不思議ですが、実は日経も前日の23日の「M&Aの法整備を促す買収合戦」という社説でこの問題を取り上げていたので、さすがに2日連続でというのは避けたのでしょう。毎日に較べると常識的なバランス感覚といえましょう。ちなみに23日の社説では

 ニッポン放送株を巡るライブドアフジテレビジョンの買収合戦が熱を帯びるなか、政財界を巻き込む形で企業の合併・買収(M&A)にかかわる法律論争が活発化している。

 急速な自由化で原則禁止から原則自由に変わりつつある株式会社制度と証券市場を公正で信頼の置けるものにしなければ、国民は安心して市場に参加できない。金融行政から独立して不正行為を監視、摘発する強制力のある、米国証券取引委員会のような本物の市場の番人が必要になる。完全ではあり得ない法の不備や、新たな事態に的確に対応するには、起きた事件の適法性を司法の判断に仰ぐ、法を使いこなす社会への移行もこれからの大きな課題になる。

と、法的問題を整理しつつ持論を敷衍していますが、翌日の展開を思えば、なかなかの先見の明があったといえましょう。もっとも、もう一日この社説を待っていれば、かなり迫力のあるものが書けたでしょうが。
ちなみに日経は、24日の一般記事のなかで編集委員による「企業価値とは何か」という論説記事(解説よりは論説に近い)を掲載し、新株予約権の発行に批判タラタラです。

 ニッポン放送株問題を巡るキーワードの一つは「公共性」だ。同じ民放のTBSの井上弘社長は二十三日の定例会見で、「自国固有の文化を守るための外資規制は万国共通」と述べ、米リーマン・ブラザーズに資金調達を頼ったライブドアニッポン放送株取得に否定的な見解をにじませた。
 ただ「公共性」という言葉は株主利益軽視の口実に使われがちだ。…

 一般株主に不利益になる株式の希薄化にあえて目をつぶって、ニッポン放送=フジ連合は何を守ろうとしているのか。
 単なる組織防衛なら、株式時価総額が約六千億円にのぼる上場企業として、ルールを逸脱していると言わざるを得ない。ニッポン放送の亀渕社長は二十三日の会見で「マスコミとしての高い公共性と企業価値」を守るためと表明した。ただ、問われているのは、メディアとしての「公共性」と同時に、株式を広く公開している上場企業としての企業価値とは何かでもある。

とりあえず24日はこれが社説の代わりというところかもしれません。それにしても、こうした問題に関しては産経や読売以上に「資本の論理」を信奉する日経らしい論調ですが、その一方で、「公共性」に関する主張はしっかり入れ込むあたりもまことに日経らしいという感じです。日経が明日の社説でこの問題をどう取り上げるか(取り上げないかもしれませんが)楽しみです。あ、もちろん、朝日の再反論もね。