きのうの続き

きのう取り上げた連合の事務局長見解ですが、やはり間違いだったようです。7.は本来別の文章が入るべきところ、6.と同じ文章を入れてしまったようです。すでに修正されています。
http://www.jtuc-rengo.or.jp/new/iken/danwa/2004/20041214kenkai.html
せっかくですから、7.の全文を紹介しましょう。

「報告」の「日本企業は、従来から『人を大切にする姿勢』を経営の根幹に据えてきたし、いまのような時代にあっても、人と人とのつながりを重視した日本的経営のよさを再確認すべき」「『現場力』は一朝一夕になるものではない。雇用と労働条件を長期的に安定させてこそ、安心して、時間をかけて能力・意欲の向上に取り組むことができる」との考え方は、理解できる。しかし、問題は、この数年、その実践がないがしろにされてきたことにある。
 経営者は、「人を大切にする経営」に立ち戻るべきである。その第一歩は、現場の声に耳を傾け、問題意識を共有化することであり、春季生活闘争における労使交渉は、その絶好の機会である。経営者は、労働組合の切実な要求をしっかりと受け止め、誠意ある答を示す責任がある。

うーん。。。。。
まあ、「その実践がないがしろ」というのは、これは評価する人によっていろいろでしょうし、経団連も報告書をみるかぎりそれなりに反省しているようです。
ただ、「切実な要求をしっかりと受け止め、誠意ある答を示す責任がある。」というのは・・・これは、要するに「指し値の回答」でなければ「誠意ある答」ではない、ということですよね。となると、この「切実な要求」がそう言えるまでに経営と「問題意識を共有し」組織内で議論し尽くされたものかどうか、が問題です。連合が「統一要求基準」を見送っているのは、ある意味産別や単組が「切実な要求」を出せるような環境をつくったと考えられます(全国横並びの基準では「切実」度は下がりますよね)。はたして、各産別・単組はどれほど「問題意識を共有」した「切実な」要求づくりができているのか?
もちろん、そのためには経営の経営開示も欠かせない。経営サイドにもその環境をつくる努力が必要だろうと思います。
いずれにしても、この7.の一文は、立場は違いこそすれ、私がみるかぎり経団連の報告書と考え方としては非常に近しいものがあるように思います。これをもって、「春闘終焉」とみるのか、「春闘改革」とみるのかも、見る人の見方によっていろいろなのでしょう。