判断は「遅すぎた」のか?

きのう、経団連と連合の首脳懇談会が開催されたということで、新聞各紙は今次春闘について一斉に報じていますが、日経産業新聞は「春季労使交渉スタート、「遅すぎた」賃上げ容認、株安・円高で企業にジレンマ」という見出しでこれを報じています。

 日本経団連と連合は二十三日、春季労使交渉を巡る首脳懇談会を開き、二〇〇八年春闘がスタートした。増益基調が続いてきた経営側がようやく「賃上げ容認」に傾いた矢先の株安や景気失速懸念の広がり。大荒れの株式市場をにらみながらの労使トップ会談の周辺からは「遅すぎた判断」への恨み節も漏れてくる。
 「総人件費の基となる付加価値を上げることが国民所得(の増加)に直結する」。冒頭で経団連御手洗冨士夫会長はサブプライムローン(米国の信用力の低い個人向け住宅融資)問題や資源価格高騰による日本経済の先行き悲観材料を挙げながらも自ら「悲観論から生産的なものは生まれない」とし、力説した。
 経団連は昨年十二月十九日に発表した〇八年春季労使交渉指針で「家計の購買力への配慮」を盛り込み、消費底上げの材料の一つとして「賃上げ容認」姿勢を明示。御手洗会長の発言は指針に沿い体力のある企業に限り賃上げはやむを得ないとの見方を打ち出したものだが、この一カ月で景況感は大きく変わった。
(平成20年1月24日付日経産業新聞朝刊)

しかし、これは本当に「遅すぎた判断」なのでしょうか。過去の経団連「経営労働政策委員会報告」をみると、必ずしもそうとは思えません。
たとえば、3年前の「2005年版」経労委報告をみると、すでに「もちろん、個別企業レベルにおいては、大幅な生産性の向上や人材の確保などのために賃金の引き上げが行われる場合があろう」との記述があります。さらに「2006年版」においては、「経済環境が好転しつつある現在、企業にとっては本格的に「攻めの経営改革」に乗り出す環境が整いつつあり…労使の一層の協力が不可欠であり、賃金などの労働条件の改定についても、企業の競争力を損ねることなく働く人の意欲を高める適切な舵取りが望まれる」との記述があります。実際、「2006年版」については、日経産業新聞自身が「日本経団連は十三日、来年の春季交渉の指針となる経営労働政策委員会報告(経労委報告)をまとめた。賃金決定は労使がそれぞれの経営事情を踏まえ判断すべきだとし、実質的に賃上げを容認する姿勢を示した」(平成17年12月14日付日経産業新聞)と、「賃上げを容認する姿勢」との報道を行っていますし、結果を見ても多くの企業がいわゆるベアの有額回答を示しました。
すなわち、前回の「2007年版」でこうした「賃上げ容認」とも読めるような表現が消えてしまったことがむしろ不自然だったといえるのではないでしょうか。なぜかは推測しにくいのですが、2007年も現実にはやはり多くの企業が賃金改善の回答を示したことをみても、経団連が当初ここまで強硬姿勢をとったには結果的に疑問が残ります(もちろん、交渉事を始める前なので、それなりに強硬な態度を取るのは当然ではありますが)。
これを除くと「賃金改定は個別労使の交渉で決定」「横並びのベアはありえない」「個別交渉の結果、賃金改善は難しいとの結果が出ることが多いと思われる」といった経団連のスタンスは、実はこの間ほとんど変わっていません。そう考えると、経団連としてもいまさら「遅すぎた判断」と言われても困るのではないかという気がします。まあ、過去2年もっと賃上げしてもよかったとか、せっかく今次春闘で賃上げの気運が盛り上がってきたのにサブプライム問題で…とかいう気持ちはわかるのですが。