相対的貧困率のその後

きのう発見したのですが、一昨日の朝日新聞の社説です。
http://www.asahi.com/paper/editorial20091104.html

 日本の相対的貧困率は、07年調査ですでに15.7%だったと長妻昭厚労相が発表した。約6人に1人が「貧困」という事実は何を意味するのだろう。
 日雇い派遣で生計を立てる都内の大卒30代男性の生活を紹介したい。
 宅配便の配達や倉庫の仕分け作業で一日中くたくたになるまで働いて、手取りは6、7千円。結婚して子供も欲しいが、この収入では想像すらできない……。「明日の仕事もわからないのに、将来がわかるはずがない」
 「国民総中流」は遠い昔の話となり、いくらまじめに働いても普通の暮らしさえできない。これが、貧困率15.7%の風景である。
 相対的貧困率とは、国民一人ひとりの所得を並べ、その真ん中の額の半分に満たない人の割合を示す。経済協力開発機構OECD)の04年の調査では日本の相対的貧困率は14.9%。加盟30カ国中、4番目に高いと指摘されていたが、自民党政権は公表を避け続けてきた。日本が“貧困大国”となった現実に目を背けてきたのだ。

いやはや、これが日本を代表する大新聞の社説かと思うと涙が出ますね。
朝日さんは、ここでご紹介された「日雇い派遣で生計を立てる都内の大卒30代男性」のような人が国民の15.7%もいる、とおっしゃりたいのでしょう(少なくとも、読者にそのような印象を与えたいのでしょう)。しかし、この「相対的貧困率」というのは統計上の概念であって、現実の生活が貧困であるかどうかとは別問題だということは10月28日のエントリ(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20091028)で書いたとおりです。
若干ですが救いがある?のは、この社説は単に無知であって、承知の上でミスリードしようとの悪意があるわけではなさそうだ、ということです。というのは、先日ご紹介したように相対的貧困率にカウントされる基準は単身世帯で可処分所得が年間114万円以下なのですが、この「日雇い派遣で生計を立てる都内の大卒30代男性」は「手取りは6、7千円」とのことです。必ずしも手取り=可処分所得とは限りませんが、仮に日当たりの可処分所得が6,500円とすれば、月20日、年12か月の就労で年間可処分所得は156万円となり、相対的貧困率のラインを上回ってしまうのです。わざわざ「相対的貧困率とは、国民一人ひとりの所得を並べ、その真ん中の額の半分に満たない人の割合を示す。」と親切に説明しているにもかかわらず、この社説自体はその定義も意味するところも無視して、ひたすらイメージだけで書かれているわけです(実際、「風景」とか、イメージを示唆する用語が使われています)。
自民党政権は公表を避け続けてきた」というのも、長妻厚労相が指示して算出、発表させたことをふまえてのことでしょうが、こういう間違った用法で世論をミスリードするために数字を出せと言われたら、二の足を踏むのもある意味まことに当然と申せましょう。社説は続けて「英国などのように、具体的な数値目標を設定して貧困対策に取り組む」ことを求めるのですが、おそらくこうした言われ方は英国の政策当局としては不本意ではなかろうかと思います。これが英国の何を指しているのかは不明ではありますが、私が知る限りでは、英国で貧困率が政策目標とされたのは前政権の時代であり、しかもそれは子育て家庭の救貧政策においてであり、さらに貧困の定義も異なっていた(たしか平均の6割以下だったと思いますが自信なし)からです。もっとも、これに関しては私が無知である可能性は高く、ご存知の方にご教示いただければ幸甚です。

  • 毎度の注記ですが、私は相対的貧困率のラインを上回っているから「日雇い派遣で生計を立てる都内の大卒30代男性」のような人に対する支援が不要だなどとというつもりは全くありません。当然ながら、こうした人には適切な政策的支援が行われるべきと考えます。ただ、それを相対的貧困率と結びつけて議論することにはあまり意味がないと思うというだけのことです。

このようなイメージ論に終始した社説であるだけに、その後の内容もまことに空虚、無意味なもの(もちろん部分的には正論も含まれてはいます。為念)となっており、ありていに申し上げて恥さらしではないかと余計なお世話をしてしまうわけですが、まあ感じない人は感じないのでしょう。
一例として、雇用システムに言及した次の一節は秀逸(笑)です。

 新たな貧困を生まない雇用のあり方を考えることも必要だ。企業が人間を使い捨てにする姿勢を改めなければ、国全体の労働力の劣化や需要の減退を招く。正規、非正規というまるで身分制のような仕組みをなくすためには、同一労働同一賃金ワークシェアリングの考え方を取り入れなければならない。正社員の側も、給与が下がる痛みを引き受ける覚悟がいる。

いやはや、短い中に「人間の使い捨て」「身分制」といった朝日読者好みのキーワードを効かせつつ、「同一労働同一賃金」「ワークシェアリング」という流行りの言葉もちりばめ、というかそれだけで構成された文章で、具体的にどうなるのかは全く見えず、当然ながら全体の整合性などはまったく考慮されない、まさにイメージだけで中身はからっぽな文章の典型としてじっくり鑑賞するに値する逸品と申せましょう。

連合総研「雇用ニューディール研究委員会報告書」

連合総研から、「雇用ニューディール研究委員会報告書」を送っていただきました。ありがとうございます。神野直彦先生を主査に錚々たるメンバーが委員に名を連ねています。
まだ連合総研のサイトにPDFが掲載されていませんので、内容については掲載後(要するにコピペできるようになってから)別途コメントさせていただくとして、今日のところは相対的貧困率に関する話題だけ。
というのも、実は神野先生が書かれた序論の中で、相対的貧困率があたかも貧困の指標のように取り上げられているのですよねぇ。もちろん鳩山首相朝日新聞のような明白に間違った解釈をしているわけではないのですが、日米独とスウェーデンの比較において、「格差」についてはジニ係数が別途示されている横に「貧困率」の指標として相対的貧困率が提示されているのです。神野先生のような大家にこうした紹介をされれば、鳩山首相朝日新聞が「そうか、相対的貧困率が15%ということは、貧困者が15%もいるということなんだ!」と勘違いするのも無理からぬところかもしれません。まあ、首相や朝日が連合総研のレポートを読んでいるかどうかはまた別問題ですが…。

ところで

これは相対的貧困率とは関係ないのですが、連合総研の「雇用ニューディール」のニューディールは、「この前の「100年に一度の危機」である1929年の世界恐慌の歴史的経験に学ぶという含意」ということで、大恐慌後の米国のニューディール政策を念頭においているとのことです。英国でも98年から「ニューディール」政策が行われています。
ただ、私は「雇用ニューディール」と言われると、どうしてもP.Cappelli"The New Deal at Work: Managing the Market-Driven Workforce"(邦訳『雇用の未来』若山由美訳、日本経済新聞社)を思い出してしまうのですよねぇ。この"New Deal"は"Market-Driven"であって、連合総研のビジョンとはかなり異なるものなのですが…。ま、まったくの余談ではあります。私はといえば、どちらのニューディールにもあまり賛同はしかねるのではありますが…。

雇用の未来

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