日本キャリアデザイン学会第15回研究大会

ということでまずは研究大会の感想ですが上記の経緯により1日めはほぼ会務の方に没頭しており、2日めの自由論題セッションからの参戦となりました。会務はなくなった代わりに酒が残っておりましたが(こら)。
さて私が参加したのは「ワークとライフのマネジメント」というお題で富士電機内田勝久さんが仕切っておられました。最初は帝塚山大学の井川静恵先生と摂南大学の平尾智隆先生の連名で、平尾先生が報告されました。製造業で従業員数500人強の企業の人事マイクロデータとアンケートを組み合わせて、さまざまな要因がワーク・ライフ・バランス満足度にどのように影響しているのかが分析されています。特に人事マイクロデータから上司−部下関係を抽出して、各上司それぞれについてダミー変数を設けることで「上司がワーク・ライフ・バランス満足度に与える影響」を確認しようというのはなかなか野心的な試みのように思われます。比較的サンプル数の多い生産、営業、研究開発・品質管理の3部門について、上司−部下関係が単層で明確な一般社員を対象に分析されており、サンプルサイズは223と半分程度になっています。
結果をみると、相関はそれほど多く見られない印象ですが、面白いところをいくつかご紹介しますと、まず賃金水準はワーク・ライフ・バランス満足度に有意な相関はなかったとのことで、まあそんなものかとも思うわけですが興味を引かれるところでもあります。時間外勤務時間がWLB満足度と負の相関を示すのは納得いくところですが、それを部門に分解するとなぜか有意でなくなっているのも面白いところです。
仕事配分については「能力に応じて公正」が全体と生産・営業においてWLB満足と有意に正の相関を示しているのに対して研究開発では有意ではなくなっています。「能力以上の高度な仕事をしている」については生産において有意に負の相関を示しているのは納得いく結果ですが、研究開発においては有意に正の相関を示しているのが非常に目をひきます。能力以上に高度な仕事をしていれば普通に考えて忙しく・労働時間が長くなりがちだろうと思われるわけで、それでもWLB満足度が高まるというのは、仕事の面白さや(職務付与を通じた)評価の高さなどを通じた職務満足がWLB満足度をも高めるということなのでしょうか。研究部門では「仕事の進め方に自分の意思が反映」がやはりWLB満足度と有意な正の相関を示していますので(これは納得がいくところ)、能力以上の仕事→労働時間を含む仕事の進め方の自由度が高い、というルートかもしれません。いっぽうで生産部門では「能力以下の仕事」が「能力以上」と同じくWLB満足度と有意に負の相関を示していますので、仕事の面白さや評価が低いことがWLB満足度にも悪影響を与えることも示唆されているようにも思えます。
上司については個別に見て、上司13人中、営業の1人がWLB満足度に有意に負の、1人が正の相関を示したということでした。
感想としては、まずはこうした良質な人事マイクロデータの提供を得られるだけの信頼関係を企業との間に構築したことについて敬意を表したいと思います。
内容については、この結果をふまえて発表者の方は「部下のワーク・ライフ・バランス満足度について、上司の役割やマネジメントが重要であることが示唆される」と結論づけておられ、まあもちろん一般論としては私も(というか多分どこからも)特段異論のないところではありますが、しかしこの結果を理由に「あなたはWLB満足度と有意に負の相関があったので上司として無能です」とか言ったら絶対に納得しないだろうなとも強く思いました。
つまり、当日も何人かの方が類似の指摘をしておられましたが、上司なのか職場なのかという区別ができないのではないかと思うわけです。WLB満足度が低いと言われた上司にしてみれば、そんなこと言われたって他の部署に較べると仕事が忙しすぎるとか、(当該上司は営業の人でしたので)苦情処理やトラブル対応で呼ばれれば24時間対応せざるを得ないんだよとかいう事情を主張するかもしれません。これについては他の条件が変わらない中で上司が代わったときにどう変化するかを見る必要がありそうで、発表者によれば今後このデータをパネルデータにしていく予定ということですから、将来的には検証できる可能性はありそうです。
その他にも、せっかくの良質なマイクロデータなので外野からはあれもこれもと望みたくなるわけですが、質疑の中でもこの集計・分析はまだ探索的なものだとの説明もありましたので、今後の発展を楽しみに期待して待ちたいと思いました。
続いては中央の佐藤博樹先生と法政の松浦民恵先生の「「変化対応行動」と仕事・仕事以外の自己管理−ライフキャリアのマネジメント」と題する報告でした。電機連合総研が昨年実施した1万人規模の大規模アンケートを用いた研究で、この調査についてはこの7月に電機総研の「ライフキャリア研究会報告」電機総研研究報告書シリーズ17としてまとめられていて非常に興味深い結果が得られています。「電機連合NAVI」最新号に集計速報が掲載されていますね。
さて今回の報告は上記レポートとはまた異なった内容で、タイトルにあるとおり「変化対応行動」と「仕事・仕事以外の自己管理」の観点からの分析です。「変化対応行動」とは他社や他業界に関心やネットワークを持つ「知的好奇心」、情報収集や自己研鑽に励む「学習習慣」、経験のない仕事や新しいやり方に挑む「チャレンジ力」で構成される概念で、「仕事・仕事以外の自己管理」については「仕事をするときと仕事をしないときの『けじめ』がうまくつけられているか」という設問で、具体的には「土日は仕事のメールを見ない」とかいうことになるのでしょうか。
結果としては3つの仮説が検証されました。第一は「変化対応行動」ができている人材は、将来に対する不安感が低く、エンプロイアビリティが高いと考えられる、というもので、不確実性が高まる中でなにを学べば大丈夫なのかはわからないので、新しいことをやるとか学びの習慣があるとかいったメタレベルの能力がより大切になる、という話ではなかったかと思います。第二は、社内外での多様な人々と交流している人はより多く変化対応行動を取っているということから、企業によるダイバーシティ経営の取組が変化対応行動の向上に貢献できる、とのことでした。
そして第三として、企業としては「変化対応行動」ができ、かつ「仕事と仕事以外のけじめ」をつけられる人材の確保、育成が重要というものでした。これは非常に興味深かったので少し詳しくご紹介しますと、変化対応行動とけじめの2軸4象限をとったときに、代表的な3象限について以下のような傾向が見られたとのことです。

  変化対応高・けじめ有 変化対応高・けじめ無 変化対応低い・けじめ有
性格 社交性・計画性・情緒安定性が高い 社交性・計画性・情緒安定性が低い 社交性・計画性・情緒安定性が低い
地位・志向 管理職多、昇進速い 管理職多、昇進速い 管理職少、昇進遅い
働き方 残業短く時間配分に満足 残業長く時間配分に不満 残業短く時間配分に満足
意識 決められた時間内で最善を尽くす 決められた時間を過ぎてもやりとげる 決められた時間内で最善を尽くす
経験 多様な人々との仕事経験が多く、社外活動参加が多い 多様な人々との仕事経験は多いが社外活動は少ない 多様な人々との仕事経験が少なく、社外活動参加が少ない

当然それぞれのカテゴリの内実はまた多様でしょうし、上記は私が非常に大雑把にまとめたものなので報告者からは困るねえと言われる可能性は高いのですがご容赦いただくとして、この「変化対応高・けじめ有」のタイプは意欲も満足度も高く働き方改革にも肯定的で家庭参加も進んでいるということで、企業はこうした人材を育成し確保すべきだとの結論でした。
私の感想としては、第一・第二の結論については実務実感にも一致するものでおおいに賛同するところですし、第三についても大筋ではそうかなあとは感じました。
でまあ第一・第二に較べて第三に対する書き方がやや微妙なのは、この調査結果によれば「変化対応高・けじめ有」は現状すでに49.1%とほぼ半数に達しているらしくそれだけいれば十分じゃねえかと直観的に思ったからです。もちろんこれは電機連合傘下の組合員と管理職を対象とした調査なのでそれなりに雇用も安定し技能も労働条件も相対的に高い人が多いものと思われ、また電機産業は他産業と比較しても変化の速さとそれへの対応や人事管理の先進性などで先行しているため相当のバイアスはありそうで、労働市場全体でみればまだまだ「変化対応有・けじめ有」は少なく、その育成・確保が重要ということだろうとは思います。
ただまあ「変化対応高・けじめ無」も25.3%いて「変化対応有・けじめ有」とあわせると4分の3になり、「管理職が多く昇進が速い」類型が4分の3というのはまあ人材のポートフォリオとしては上限だろうなあと思わなくもありません。当然ながら全員が「管理職が多く昇進が速い」というわけにはいかないのは明らかですし、変化対応行動が低くて社交性・計画性・情緒安定性は低いし社外活動もしてないけれど決められた時間内で確実に仕事をこなしてくれる人というのも一定数いないと組織が成り立たないのではないかとも思います(とりあえず現状の企業組織においては、という前提ですが)。「変化対応高・けじめ無」も困ったもんだというよりは一定程度は存在するのが多様な組織というものではないかなあ。
ということで、「変化対応行動」ができ、かつ「仕事と仕事以外のけじめ」をつけられる人材の確保、育成が重要という結論には大筋では同意見ではあるのですが、含意としてはそこ(だけ)を重視するというよりはそれぞれの類型に目配りしながらバランスを意識しながら人材の確保、育成をはかっていくということではないかと感じました。
ということで今日のところはここまでにさせていただいて明日に続きます。なんとか少しずつでも進めたい。

日記

日本キャリアデザイン学会の会務があってこれがなかなかに厄介であり、それでもまあこの週末の研究大会の際の総会でとりあえず一山越えることは越えました(まだこれから相当の作業量はあるのですが)。想定した範囲の中ではもっとも穏当に事が運びましたのでまあよかった。長年培ったリーマンとしての汎用スキルが生きるお役目なのでお役に立てるのはうれしいのですがさすがにブログに手を回す余裕はなかったな。ということでこのかんのあれこれについて書いていきたいと思います。

スポーツボランティア

もう8月も終わろうとしているわけですが例年この時期にスポーツネタを書くのがなかば定例化しているので今年も書こうかと思います。なにかというと私のTwitterのタイムライン上に東京2020のボランティアについて「ブラックボランティア」などとdisるツイートが流れてきていてこれがまた多数RTされたりしているのを見てちょっとねえと思ったという話です。ウラ取りしながら書く時間がなく記憶頼りなので間違いもあろうかと思いますのでどうかそのようにお読みいただきたいのですが大筋は外さないだろうと思う。
さてツイートだけではいまひとつどういう趣旨なのかわからないのでウェブ上を探してみたのですがたとえばジャーナリストの本間龍氏が熱心に取り上げておられるようです。このあたりかな。
東京五輪「ブラックボランティア」中身をみたらこんなにヒドかった
ざっと読んでの率直な感想は本間氏はボランティアよりもオリンピックよりも電通が嫌いなんだなあというもので、冒頭でいきなりこう断定しているのですね。

東京オリンピックは巨大な商業イベントだ、ということです。…たとえばプロ野球Jリーグ、アーティストのライブやコンサートは有償スタッフが現場を切り盛りしていますよね。
 同じボランティアといっても、災害ボランティアと五輪ボランティアは…まったく異なるものです。突発的な災害に対し、被災地で多くの手助けが必要なのは当然ですし、それが無償で行われることに対して、私も異義はありません。公共の福祉、公益に貢献していますし、利潤追求を目的としていませんよね。
一方で、五輪は商業イベントです。スポンサーのために利益をどう生み出すか、どう最大化するか、というのが目的です。これで莫大な利潤を上げているのが組織委員会であり、スポンサーを取り仕切る広告代理店…つまり電通です。公共の福祉も公益もほとんどありません。

当然ながら(元)スポーツクラスタとしては五輪が巨大な商業イベントだということはそのとおりだとしても一方で五輪は巨大なスポーツイベントでもあると申し上げたくなるわけですがそれは後に譲るとして、商業イベントだとしても本間氏の論にはかなりの疑問があります。
本間氏はどうやら利益を最大化するためにボランティアで人件費を抑制しようとしているのだ、とお考えになっているようなのですが本当に経費抑制になるのかという疑問は相当にあります。現場の管理や研修などはたぶんシミズオクトとか専門の業者に発注するのだと思いますが、当然ながら有給のアルバイト(これはボランティアより相当大きな人数になるはず)に較べれば管理の面でも研修の面でも多くのコストがかかるでしょう(専門業者のアルバイトはリピーターが大半)。おそらくはトータルではボランティアのほうがコスト高の可能性が高そうで、実際問題、前回2016年のリオデジャネイロ五輪では、財政難のためにボランティアを縮小せざるを得なかったわけですよ…?
加えて、本間氏は「ボランティアですから労働基準法の管轄外となります」と鬼の首を取ったように指摘していますが、それはそのとおりとしてもなぜかといえば労働契約を結んでいないからであり、それが現場でなにを意味するかというとボランティアは活動環境に不満があれば帰ってしまうということであるわけです(たしかアトランタ五輪ではこれが大規模に発生して運営に相当の支障が出た、はず)。これもむしろボランティアのコストアップ要因であり(けっこう大きいかも)、とりあえず本間氏がほのめかしているような過重作業の強制みたいなことはやりようもないだろうと思いますけどねえ(まあ日本人はまじめな人が多いらしいので無理して頑張る人もいるかもしれませんが)。

  • なおこれは本筋とは無関係ですが記事では「労働基準法では一日の労働時間や休憩時間、交通費のルール、最低時給などが細かく定められています」と書かれていますが、「交通費のルール」(?)は労働基準法には「細かく」どころかまったく定められていないですし「最低時給」を定めているのは最低賃金法(に基づく都道府県労働局長の決定)です。まあこのあたりはゲンダイの編集にがんばってほしかったところですが。

ということで、別のところで「11万人のボランティアを有給のアルバイトにしても全体の規模に較べれば追加コストは微々たるもの」と主張している人がいましたがまさにそのとおりであり、電通の経営陣はどうか知らないが少なくとも電通の担当者とかはボランティアなんか募集せずに全部アルバイトで統一的に管理したほうが現場管理の面でも質保証の面でもよほど楽でいい(たぶんコストも安上がり)と考えているんじゃないかなあ。
じゃあなんでボランティア募集するのさというのが最初に書いた五輪はスポーツイベントだ、という話になるわけです。本間氏は見落としているのかあえて認めないのか知りませんが五輪はスポーツイベントではなく商業イベントでしかないとお考えのようなのでそのお立場からは「公共の福祉も公益もほとんどありません」ということになるのかもしれません。しかし、常識的に五輪をスポーツイベントとしてとらえれば、そこには競技力の向上、競技あるいはスポーツ一般の普及・振興やそれを通じた健康や福祉の増進といった「公共の福祉も公益」もふんだんに存在すると申し上げられるでしょう(スポーツが嫌いな人にとっては「自分には関係ないけどなあ」という話でしょうが公益ってそういうもんだよね)。形式的なことをいえば組織委員会もJOCも日本スポーツ協会もNF(競技別団体)もほとんどは公益財団法人ですし。それはそれとしてさすがの本間氏もパラリンピックに「公共の福祉や公益」がないというつもりはないだろうな?
さて公共の福祉がヘチマとか公益が滑った転んだという話はさておいて(実際それほど関係ない)、元に戻ってなぜボランティア募集するのかというとボランティア(スポーツボランティア)はスポーツ文化の大切な一部だからということに尽きるでしょう。
もちろんその源流にはスポーツはボランティア(自発的)であるべきであり、政治や商業などからは独立でなければならないという古くからの理念があり、これはオリンピックムーブメントにも通じています。もちろん現実的には政治とも経済とも無縁ではありえないわけで、このあたりの関係性の現実や在り方などについて問題提起することは重要ですし、すでに多くの議論や調査・研究の積み重ねがあるところです。
そこまで固いことを言わなくても、私の経験談ですが私もかつて地元の体育協会の理事を数年間務めたことがあり(なぜ私)、地元のマラソン大会などの運営にも携わっていましたが当然無償でした(昼過ぎには表彰式も終わっていたので昼食も出なかったな)。地元のマラソン大会といっても参加者は1万人を優に超えていましたし(まあ標準的なサイズの範囲内だとは思うが)、参加費も大人はたしか一人2,000円とか徴収していたのでけっこうな経済規模のイベントであり、1万人も集まるとなればテントを建ててスポーツ用品や焼きそばを売る地元の商店というのもあるわけですが運営は(自治体のスポーツ課の職員さんとか体育協会の事務局の方とかお仕事の人を除けば)すべて無償で、まあ百数十人くらいの話なので仰々しい公募などはせずに、ノウハウの必要な部分の運営は毎年やっている自治体の競技団体の人、沿道整理などは部活動の一環として協力する高校の運動部員という感じだったと思います。まあそれが当たり前のこととしてスポーツ文化の一部になっているわけですね。五輪と同じ話で、百数十人のボランティアを5,000円のアルバイトにしたとしてもコストアップは100万円もいかないわけで、参加料を100円上げれば十分賄えてお釣りがくる計算になりますしそれで参加者が減るという話にもならないでしょう。カネ勘定ではなくて文化ということだと思います。
大規模なものとしてたとえば国民体育大会・全国障害者スポーツ大会を見てみますと、こちらは一気に一声数百億円規模の大イベントになるわけで、残念ながら切符を売って興業できるのは高校野球だけでのようですが会場近辺では用具用品や飲料食品、記念品やら土産物やら盛大に売られて相当の経済効果があります。でまあ今年開催される福井しあわせ元気国体・福井しあわせ元気大会のボランティアは福井県福井市だけで8,000人という規模なので、まあ全体では10,000人とかそんな感じでしょうか。いずれにしても無償でスポーツを支えたいという人が一定数いるということがスポーツの価値観として大切に共有されているわけです(そんな価値観嫌いだという人はいるでしょうがあるものはあるのであり、禁止することもできないでしょう)。
だから、東京2020がこれだけの巨大商業イベントであり、カネで解決したほうがよほど簡単だろうと思われるにもかかわらず、わざわざボランティアを募集するのだ、ということになるのでしょうし、それが高度に商業化された1984年のロサンゼルス大会以降もボランティアが募集されてきた理由だろうと思います。

  • ちなみに本間氏は「プロ野球Jリーグ、アーティストのライブやコンサートは有償スタッフが現場を切り盛りしていますよね」と、あたかもボランティアが存在しないかのように言っておられますが不勉強もいいところで、全球団ではないかもしれませんがプロ野球Jリーグも多くの球団がボランティアを募集し、運営の一部をその活動に委ねています。これまた人件費の節約などという意図はおそらくないはずで、まあチーム活動への参画を通じてよりロイヤリティの高いコアなファンを育成するのが主たる意図だろうとは思いますが、しかしスポーツボランティアの文化にも沿った取り組みだろうとも思います。つか野球の独立リーグとかサッカーのJ3とかだとボランティアが運営している部分が相当大きいのではないかという気もします(よくは知りませんが)。

あとは「こんなにヒドかった」の個別論になります。まずは本間氏も憤っておられる「交通費も宿泊費も自己負担」についてですが、これは過去の五輪においても基本的に同様で、とりあえず東京だけが特別にひどいというわけではありません。ここは激しく自信がないのですがこれについてはおそらくIOCのレギュレーションがそうなっているのではないかと思われまず。五輪の運営についてはIOCが定めた極めて詳細なマニュアルが存在してそれに忠実に実行されることが求められており(欧州ではむしろ当然の話でサッカーW杯なども同様ではないかと思う)、ボランティアの交通費等についてもそうだというような話を聞いた記憶があります(繰り返しますが不確かです)。まあ現実には首都圏在住者でなければ難しかろうという気はしますが、しかし災害救援と同様にスポーツボランティアの世界でも手弁当で全国を回っている人というのもいますので(少数ですが)、そうした人は参加するのではないでしょうか。
次は、本間氏のインタビューでも話題になっていますし私のツイッターのタイムライン上でも多々見られたのですが「学生が動員される」という話です。文科とスポーツ庁が大会期間を休日にするように大学に要請したとか、中高生枠を設けたとかいう報道があったのに対して「さてはこれはボランティアが集まらなさそうだから動員する布石に違いない」という反応があるようです。
まあ確かに集まるかどうかは募集してみなければわからないわけですが、過去の五輪を見ても募集を上回る応募があったようなので「集まらない」と決めつけるのも気の毒なような気はします(ちなみに私は北京五輪では現地に出張したのですがその時聞いた話ではボランティアの応募が100万人で参加は30万人とか言っていて、これはさすがに話半分かつ広範囲の一切合財だろうとは思いましたが)。また、ボランティアを11万人絶対に揃えなければならないと大会運営ができないということでもなく、それこそ各方面が推奨されるようにアルバイトなどで対応することも可能でしょう(なおスポーツイベントでは有償のアルバイトと無償のボランティアが共存しているのがむしろ普通なので人間関係的なフリクションはそれほど心配いらないだろうと思われます)。ただ日本では欧州ほどにはボランティアの歴史がない(のかな?)とか、暑いからやり手も少ないだろうとかいう心配ももっともであり、やはり募集してみないことにはわからないかなとは思います。あまり少ないと、日本はスポーツ文化が未熟だねえとか、やっぱり東洋人にはボランティア文化がないねえとか言い出す海外メディアとかいうのはありそうなので、そういうのが出てくると残念だなあと思うとは思いますが…。
これには実は逆の話もあり、どうやらオリンピックのボランティアというのはかなり大きな国際的ムーヴメントになっているらしく、国境を超えてボランティアに出向く人というのが数万人オーダーでいるという話も聞いたことがあります。なるほど考えてみればボランティアなら観光ビザで入国・活動できるので、五輪観戦や観光も兼ねてボランティア参加しようと考える人というのも全世界ではそのくらいいても不思議でないような気もします。さらに考えてみれば多様な言語のボランティアがいることはありがたい話だろうとも思われるわけですが、さて幸いにして海外からの応募が6万人、国内の応募が7万人とかいう形で定員を超えたときの選考は難しいかもしれません。日本人を優先に…という人も当然いそうですし。まあそうなるかどうかわかりませんし、そうなった段階で考えることでしょうが。
一方で分野や機能という面では不足するボランティアも出てくるだろうと思われ、たとえば私が承知しているのは1998年の長野冬季五輪ですが、この際にも運転とか通訳とかいった技能系のボランティアは充足できませんでした。そこで組織委員会は長野県内の企業に協力を要請し、要請を受けた企業がなにをしたかというと社員に業務としてボランティア活動させる(賃金や交通費等を企業が負担する)という対応が多数行われました。たしか長野県労働局か労働基準監督署かに照会して、企業の指名でボランティア活動をするのは業務であり賃金の支払を要するといった見解を引き出してもいたはずです(不徹底で事後的に指導されたという話もあったと思う)。要するに企業が就労を現物で寄附したような形になったわけで、それってボランティアって言うのかねえとは正直思うわけですが、しかし長野の組織委員会はボランティアにカウントしていたように記憶。こういったことは2020年にも随所で発生するだろうという予感はするわけで(特に根拠もありませんが)、まあこのあたりは本間氏も書いているように「まあ仕事で行ってもいいけどボランティア休暇を使ってみるのもいいか」といった企業人というのも出てくるかもしれませんし、端的に業務命令なのでやりますという人も多いでしょう。
あと考えられるのが「中高生枠」とかでは組織委員会の描くきれいな絵を実現すべく動員が行われるのではないかという心配ですが、実業団のバスケットボールの試合でアリーナのモップ係を地元高校のバスケ部員がお手伝いとかいうのはごく当たり前に行われていますので(善し悪しは意見があるかもしれませんが)抵抗なく受け入れられるような気はします。もちろん微妙な論点はあり、これまた私の身近な話ですが東日本大震災の際には労組の専従役員が被災地ボランティアに多数参加したわけですが、これは労組の理念である連帯や友愛の具現化という部分はあったと思われるわけで、それを動員と言えば言えなくもない。このあたりの評価は人それぞれの価値観や好き嫌いによってさまざまでしょう。
あと本間氏の指摘の中で暑いというのはまったく同感で、ボランティアに限らず適切な対応が必要だろうと思います。周知のとおりこの時期に開催されるのは他の大規模スポーツイベント(かつ大規模商業イベント)とのスケジュールの関係上であり、前述したスポーツの商業化の問題と非常に密接に関連しており、すでに問題提起や議論も多くあります。ただまあここに苦情を申し立てるのであれば組織委員会に対してではなくIOCに対してでしょうが。
ということで、本間氏のご著書は未読ですし、ボランティアそのものについては特段の知見も所論もないのですが、ボランティア全体を見渡せばなにかとブラックな実態というのもあるだろうと思います。ボランティアが嫌いな人たちが「やりがい搾取」と批判するのも一つの意見だろうとも思います(私も「やりがい」とか「感動」とか「絆」とか格別好きでもありませんし、オリンピックボランティアに応募するつもりもありませんし)。ただ、とりあえず元スポーツクラスタの一員としてはスポーツボランティアを人件費コスト削減と決めつけないでほしいとは強く思ったので長々と書いてみました。

経団連『2018年版日本の労働経済事情』

(一社)経団連事業サービスの讃井暢子さんから、日本経済団体連合会『2018年版日本の労働経済事情−人事・労務担当者が知っておきたい基礎知識』をお送りいただきました。ありがとうございます。

経団連が2014年以降毎年刊行している、人事・労務部門の初任担当者向け解説書の最新版で、働き方関連法など最新の状況をカバーしています。「労働経済事情」とのことですが労働経済の記述は最初の1割だけで、3分の1以上が労働法制の解説にあてられており、人事管理の解説も充実していて若干書名に偽りありの感がなくもありません(いい意味で)。分量は少ないながらも集団的労使関係や社会保険などの概説もあり、初任者が入門書として座右に置くには手頃な一冊といえるでしょう。その上で、自分の担当分野についてはさらに専門的な解説書で学ぶことが望ましいように思われます。学部の人事管理論の副読書としても適切かもしれません。

労務行政研究所『HRテクノロジーで人事が変わる』

労務行政研究所の石川了さんから(だと思う)、同所編『HRテクノロジーで人事が変わる−AI時代における人事のデータ分析・活用と法的リスク』をお送りいただきました。ありがとうございます。

HRテクノロジーで人事が変わる

HRテクノロジーで人事が変わる

AIブームの中、人事管理でもRPAと並んで注目を集めているHRテックですが、安西法律事務所の気鋭の経営法曹・倉重公太朗先生が編集代表となり、「HRテックってなに?HRテックでなにができる?」にはじまり、「どう使えばいい?どこに気をつければ?」といった幅広い論点を豊富な事例紹介を通じて網羅し、技術動向から法的課題まで読みやすく解説した労務行政研究所らしい本です。HRテックの導入・活用を考えている担当者には好適な一冊といえそうです。

脇坂明『女性労働に関する基礎的研究』

「歌う労働経済学者」脇坂明先生から、『女性労働に関する基礎的研究−女性の働き方が示す日本企業の現状と将来』をご恵投いただきました。ありがとうございます。

勤労婦人福祉法が男女雇用機会均等法に変わった1986年当時、著者の脇坂先生は決して数多くはない女性労働を研究する経済学者のひとりでした。それ以降、今日に至るまで一貫してこの分野に取り組み続け、2002年の日本型ワークシェアリング、2007年のワーク・ライフ・バランス宣言など政策面でも大きく寄与され、いまや押しも押されもせぬ第一人者のひとりといえるでしょう。
本書は、主に著者自身による過去20年程度の研究の蓄積をもとにまとめられた学術書とのことで、全編を通じて日本企業の職場・現場の実情に根差した調査と考察が積み上げられており、この時期に人事管理の実務を経験した人にとっては説得力のある・納得のいく内容が多いのではないかと思われます。
そして、これをふまえて第8章で示される提言は、わが国企業の「遅い選抜」は「女性活躍を阻む以外はすぐれた慣行」であるとして、それを維持しつつワークライフバランス施策を推進する、というものです。そのうえで、男女がともに能力向上していくよう、(その限界の自覚のもとに)仕事表を活用して各職場のすべての仕事とメンバーのそれぞれの仕事の習熟度を明確化し、ジョブ・ローテーションを促進することを提言しています。「抜本的な改革の提案」みたいなものをご期待の向きには物足りない、というか拍子抜けかもしれませんが、逆にいえば著者が自ら調査した「日本企業の職場・現場」の裏付けのある範囲に自制した良心的な提言ということだろうと思います。
なお今回は「いつまでも燃える紅葉の茜」が登場しなかったのは淋しいといえば淋しいような(謎)。

東京医大の女性差別

もうひとつ、絶賛炎上中のこれも書いておきます。タグをどうするか迷った。

 東京医科大(東京・新宿)が医学部医学科の一般入試で、女子受験者の得点を一律に減点し、合格者数を抑えていたことが2日、関係者への取材で分かった。一部の男子学生に加点をしたこともあったという。受験者への説明がないまま、遅くとも2010年ごろに入学者の男女数に恣意的な操作が始まっていたとみられる。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3370137002082018CC0000/

まあ正直いつまでそんなことやってんのさと思うわけですが思いのほか広がりがあるのではないかという話らしく暗澹たるものがあります。とりあえず人事管理的にみれば古くからある女性の統計的差別案件ですね。
解決策としては当然ながら医療従事者を増やすなどしてもっと女性(だけでなく男性も)が働きやすい仕事・職場にしていくことが求められるわけですが、それには当然コストがかかるわけで、いろいろと努力して成功している好事例というのもあるようですが(そしてそういう努力にフリーライドしようとするから東京医大はタチが悪いわけだが)、しかし医療というのも上記介護と同様にかなり特殊なマーケットであり、行政が関与して取り組むべき課題でしょう。となると結局はそれにともなうコストアップはどうカバーするのかといういつもと同じ話がまた出てくるんだろうなと。