建前にこだわりすぎると

 このところ池田信夫先生を中心に経済学者のネタが多いので、バランスをとるために(?)今日は法学者のネタを取り上げてみたいと思います。ご登場願うのは早稲田大学教授の島田陽一先生ですが、島田先生というよりは労働法学者の言説の一つの典型としてのご紹介としてお読みください。かなり批判的な内容になりますが、島田先生はきわめて誠実かつ現実的な研究姿勢を持つ碩学であり、また学生スポーツの振興にも多大な貢献をなしておられ、私が深く尊敬する先生であることを、誤解なきようあらかじめ記しておきたいと思います。
 さてご紹介するのは経産省外郭の独法、経済産業研究所(RIETI)のサイトにある「短期集中連載 雇用危機:克服への処方箋」という企画コンテンツです。おそらくはRIETIの鶴光太郎上席研究員の企画と思われます(ご自身も登場しておられます)。執筆者は経済学者が中心で、いずれも非常に有益な指摘を含むものでたいへん勉強になりますが、その第7回として、島田先生が「正社員と非正社員の格差解消の方向性」という論考を寄せておられます。
http://www.rieti.go.jp/jp/projects/employment_crisis/column_07.html
前段は現状認識とその歴史的背景に関する記述ですが、省略させていただいて、具体的な政策提言の部分をまず引用します。

非正社員が経済的に自立が困難であり、社会的に排除される傾向が強いのは、日本の労働市場が企業という内部労働市場と外部労働市場とが深く分断されている状況の反映であり、このことが解消されないかぎり、抜本的な解決はない。
 従って、誰もが雇用を通じて生計を立て、かつ自己の職業能力の向上を図ることができるような社会を実現するためには、従来の企業社会ともいうべき社会構造の変革が必要である。具体的には、企業が正社員に対してのみ保障してきた利益を雇用者全体に広げるために、社会が担うように改変し、正社員が雇用者における一種の特権的な地位であることを解消することを通じて、どのような雇用形態も雇用者の条件に応じた良好な雇用であることを実現しなければならない。
 もっとも、正社員と非正社員との格差問題を両者の対立の構造とのみとらえることは適切ではない。正社員にとっても現状は満足できる雇用環境というわけではない。これまでの長時間労働も単身赴任も厭わぬ働き方は、これまでは、女性が長期的なキャリアを形成する上で大きな壁になってきた。ワーク・ライフ・バランスの実現は程遠い状況にある。正社員の状況を解決する鍵を、非正社員の雇用の改善策のなかに見つけ出していくという姿勢こそが肝要だろう。もっとも、その道筋は平坦とはいえない。社会構造の転換は、一朝一夕に実現するわけではない。相当に長い過渡期があるだろう。だからこそ、しっかりとした見取り図を社会が共有することが必要なのだ。

 正社員と非正社員との待遇の格差は、大きく分けると(1)賃金などの労働条件格差、(2)社会保険などの社会制度に係る格差、および(3)キャリア形成における職業教育機会の格差がある。正社員の労働組合は、これらの待遇格差の是正を展望しながら、自らの要求を組み立てていくべきであろう。
(1)賃金などの労働条件格差については、賃金が職務に応じて決定される仕組みを整備することによって、正社員と非正社員との均等の均等待遇が実現する社会的基盤を形成することが必要である。また、(2)社会制度に係る格差については、一方で、税・社会保険の仕組みを正社員をモデルとするものから雇用形態に中立的な制度に改変する必要があり、また、他方で、これまで企業が担ってきた家族手当や安価な住宅の提供などの福利厚生的な部分を社会が担うようにして、正社員という地位に付属する諸利益を軽減する必要がある。そして、(3)職業教育機会の格差についても、企業がその雇用する社員にのみ行うのではなく、社会が提供する仕組みを築く必要がある。このような条件が整うならば、現在の正社員と非正社員との待遇格差が徐々に解消し、勤務地限定社員、短時間正社員などのワーク・ライフ・バランスに適合的な多様な正社員制度の実現も夢ではないだろう。
 最後に、このような課題を実現していくためには、まずは、労使が将来像について合意を生み出し、政府・国民に働きかけていくという大胆な発想が望まれることを強調しておきたい。
島田陽一「正社員と非正社員の格差解消の方向性」http://www.rieti.go.jp/jp/projects/employment_crisis/column_07.htmlから)

まず、「社会構造の変革」という大仰なビジョンはともかく、能力開発や生計維持を多く個人の自己責任に帰するのではなく、政府が社会保障などで一定の役割を果たすべきだとの考え方は私も同感できるものです(程度問題はありますし、そこが重要でもあるのですが)。
また、「正社員の状況を解決する鍵を、非正社員の雇用の改善策のなかに見つけ出していくという姿勢こそが肝要だろう」という理念には、私も大いに共感します。また、「勤務地限定社員、短時間正社員など多様な正社員制度の実現」をめざすという方向性も、大いに賛同するところです。
ただ、これには「現状の正社員を全否定はしない」ということが大前提になります。島田先生は繰り返し「ワーク・ライフ・バランス」を担ぎ出しておられますが、「長時間労働も単身赴任も厭わぬ働き方」でキャリアの向上を追求することも立派なワーク・ライフ・バランスの一つだ、ということだろうと思います。ワーク・ライフ・バランスが多様でなければ、多様な正社員もありえないでしょう。
実際、現状のすべての正社員が「長時間労働も単身赴任も厭わぬ働き方」でキャリアの向上を追求したいと思っているのかといえば、それは必ずしもそうではないわけでしょう(島田先生のご指摘のとおり、現実として女性においては特にそうでしょう)。しかし、短時間ないし残業なしで転勤もない働き方をしようとすると、とたんに雇用の安定も労働条件も大きくダウンする非正規労働に就くしかなくなってしまいます。これはたしかに問題です。だからこそ「勤務地限定社員、短時間正社員など多様な」雇用契約を可能にしていくことが必要であり、そのための労働法制の規制緩和が必要です。それには解雇規制を撤廃して全員の雇用を不安定化するといった短絡的な方策ではなく、職種限定社員、10年の有期契約といった(必ずしも正社員に限らず)多様な雇用契約を、従来あるものに加えて可能にすることを原則とすることが必要です。「従来あるものに加えて」というのが大切で、たとえば日雇い派遣の禁止のように多様性を損ねる施策は慎むべきでしょう(「原則とする」ですから、もちろん弊害の大きいものには規制も必要ということです)。
そこで、多様な雇用契約が可能になれば、契約の形態や内容に応じて企業内での能力開発等も行われるでしょうし、企業内外でのキャリア展開の可能性も現状よりはかなり拡がるでしょう(現状だと極端から極端に飛び移らなければいけないわけですが、多様化が進めばその間のラダーができるわけです)。もちろん、そこに公的な職業訓練やキャリア支援などを介在させていくことも大切なポイントです。そして能力やキャリアが上がれば、自然と処遇もついてくるということで、徐々に問題の解決もはかられるだろうと、これはこのところ何度も繰り返し書いていますねぇ。
で、私のような粗忽で大雑把な人間は、これで十分うまくいきそうじゃん、ということで良さそうに思ってしまうのですが、法律の先生方というのはそこからさらに難しいことをお考えになるわけです。たとえばこうです。

…従来の企業社会ともいうべき社会構造の変革が必要である。具体的には、企業が正社員に対してのみ保障してきた利益を雇用者全体に広げるために、社会が担うように改変し、正社員が雇用者における一種の特権的な地位であることを解消する…

ちょっと脱線しますが、「正社員が雇用者における一種の特権的な地位であることを解消する」という表現にはちょっと引っかかるものがあります。企業が正社員に雇用の安定や能力開発奨励的な賃金制度、あるいはキャリア形成の機会などを提供するのは、当然ながらそれに対する見返り(生産性向上への協力や人材育成の取り組みなどのほか、それこそ「長時間労働も単身赴任も厭わぬ働き方」だってその一部かもしれません。さほど重要な一部ではないでしょうが)を期待するからこそであって、これらはすべて労働条件のひとつに過ぎません。これを特権的というのであれば、パートタイマーが短時間勤務でその自由度が高いことや、契約社員が契約外の仕事を与えられることがなく、転勤などもないことも、「特権的」といえば特権的ということになります。ある雇用形態に特有な特徴を「特権的」と称するのは、多様化を容認する姿勢とは相容れにくいものがあります。企業が人により異なる待遇を行うのは、それぞれの業績への貢献に報い、期待する役割を果たしてもらうための動機づけとするためです。もちろん島田先生は違いますが、世間には「企業は差別したいから差別するためだけに差別するのだ」と信じているらしい人も往々にしてみられます。そんな馬鹿げたことをしていたら、企業が存続できないことは明白だろうと思うのですが、信念とは恐ろしいもので…。いずれにしても、この発言は島田先生のように影響力の大きい方としては不用意なように思います。
それはそれとして、「企業が正社員に対してのみ保障してきた利益を雇用者全体に広げるために、社会が担うように改変」する、ってのはどういうことなんでしょうか?文脈からすると、おそらく、それに続いてあげられている「正社員と非正社員との待遇格差の是正」がそうなのでしょうが、しかし、これがまた難しい話続きです。
具体的には3つあげられているのですが、まず「(1)賃金などの労働条件格差については、賃金が職務に応じて決定される仕組みを整備することによって、正社員と非正社員との均等の均等待遇が実現する社会的基盤を形成することが必要である」ということです。職務給キター(笑)
過去にも何度か書きましたが、この職務給という奴、米英マンセー構造改革屋さんにも北欧・大陸欧州マンセー社民主義屋さんにも好評という不思議なシロモノですが、どっちにするにしても島田先生ご指摘のとおり「社会構造の転換」、世の中のしくみと考え方をひっくり返すくらいの話です。
つまり、職務給職務給っていうけれど、どうやって決めるんですか、という話です。構造改革屋さんたちは、解雇規制を撤廃して労働市場をすべて非正規労働にし、ジャブジャブに流動化させればおのずと需給関係で職種毎の相場が決まってくるだろう、というお考えのようですし(これはちょっと違うかな)、社民主義屋さんたちは、職種別労組のナショナルセンターと使用者団体とが中央団体交渉で協定賃金を決めればいい、とお考えのようです(こちらはたぶんそうでしょう)。まさに正反対という感じですが、実は基本的な理念の部分で共通している部分があって、それは「労働者なんてしょせんは所定の職務を実行する装置であって、入れ替え可能な部品みたいなもんなんだから、企業の業績とはなにも関係ない」という考え方です。まあ、職種別・経験年数別のテーブルにすれば多少は習熟の要素は入りますが、基本は同じでしょう。
それに対し、わが国では従業員、とりわけ正社員については、決して交換可能なピースではなく、生産性向上や人材育成などを通じて、業績についても一定のコミットをする存在と考えられています。一般社員にも業績に応じて大きく変動しうる多額の賞与が支払われていることが、それを明確に示していて、ワーカーには賞与がないか、あっても小額の恩恵的なもの、という欧米諸国とは明らかに異なります(さらにいえば、日本でも業績へのコミットがないと考えられている非正社員*1については、賞与はないか、「金一封」程度のことも少なくありません)。また、同じ業界で同じ職種に従事していても、企業業績が異なれば労働条件が異なることも当然として受け止められているのも、こうした考え方によるものでしょう。構造改革屋さんも社民主義屋さんもこうした考え方は捨てなさい、労働者は職務を実行する装置になりなさい、生産性向上や人材育成などの業績への関与はおやめなさい、というわけですが、さてそれが本当にいいのかどうか。
もちろんこれは人事管理にも大きな影響があって、日本企業、とりわけ大企業では長期雇用下での長期的な人材投資と回収、企業特殊的熟練の蓄積、柔軟な配置転換や職種変更といったものを競争力の源泉とする人材戦略がとられていることが多いわけですが、当然ながらこうした人事管理においては「職務」によって賃金を決定することは非常に困難になります。経団連会長の某氏は職務給論者で有名ですが、これとて一企業内で完結した職務給制度であり、社内におけるキャリア形成と密接に関係する形で設計されています。だからこそ可能な職務給なのであって、労働市場全体に通用するような話ではありません。
また、職務給論者は同一職務同一賃金を均等待遇と考えるようですが、これもおそらく社会的には少数派でしょう。職務が同じなら能力や成果がいくら異なっても賃金は同じで、それが均等待遇であって正義である、という主張がわが国で受け入れられるようになるには、コペルニクス的な「社会構造の変革」が必要になります。可能かどうかは別としても、それがいいかどうかは難しいものがあります。賃金決定にあたって職務によるのか能力によるのか、成果によるのか、あるいは生計費に配慮するのかしないのか、これらをどのように複合するのか、といったことは、企業により使用者によって多様であることが容認されてよいのではないでしょうか。
次に「(2)社会制度に係る格差については、一方で、税・社会保険の仕組みを正社員をモデルとするものから雇用形態に中立的な制度に改変する必要があり、また、他方で、これまで企業が担ってきた家族手当や安価な住宅の提供などの福利厚生的な部分を社会が担うようにして、正社員という地位に付属する諸利益を軽減する必要がある」ということですが、公的な諸制度を雇用形態に中立的なものにするという方向性は間違っていないものと思います。最近議論が進んでいる雇用保険もそうですし、医療・年金などについても非正規雇用をできるだけ広くカバーするものとしていくことが必要でしょう。
いっぽう、「これまで企業が担ってきた家族手当や安価な住宅の提供などの福利厚生的な部分を社会が担う」というのはどういう意味なのでしょうか、理解に苦しみます。家族手当は賃金決定における生計費配慮を制度化したもので、一部福利厚生的色彩も持つものですが、これは一時期生計費配慮の後退にともなって廃止、縮小の動きが広がりました。そして近年は、少子化対策やワーク・ライフ・バランス配慮といった性格を付与されて、「育児手当」などの名称で新たに制度化される例が出てきています。要するに、生活の不安を軽減すれば業務に集中して能力を十分に発揮できるとか、育児・家庭に配慮する企業には優秀な人材が集まりやすいとか、きわめてプラグマティックな動機にもとづく労働条件の一部であって、それを「正社員という地位に付属する諸利益」と断罪して「軽減する必要がある」と企業に求められるのは、ありていに申し上げて余計なお世話であると言わざるを得ません。というか、これは正社員のみに付随するかというとそうとも限らず、たとえばパートタイマーの看護師に託児サービスを提供している病院は少なくありません。まあ、こうした例は多くはないでしょうが…。
また、「安価な住宅」については、通勤可能範囲で労働力が不足している場合に、地方から労働者を集めようとすれば、必須のアイテムです。住宅手当を支給してもそもそも適当な借家がないということも多く、現物支給で対応することが合理的な場面も多いでしょう。当然、これら労働者は親の家に住むことも望みにくいわけで、新婚者には適当な社宅を提供するということも、労働力確保のためには必要な処遇でした。そしてその間に勤労者は貯蓄にはげみ、安定した職のもとにローンを組んで持家するというのは、勤労者財形の思想によくかなうものであると申せましょう。これは当然ながら正社員の長期勤続を要請することへの見返りであって、これまた「正社員という地位に付属する諸利益」という断罪のもとに「軽減する必要がある」と求められても企業は困るでしょう。
たしかに、非正規労働者に企業が住居を提供し、就労が終了して退去した後の住居がなくなってしまう、という問題はありますが、それを解決するために企業による住宅の提供をやめさせ、正規・非正規を問わず社会が住宅の提供を担う、というのが妥当な解決策とはおよそ思えません。企業が住宅を提供する間はそれを便利に活用すればいいわけであって、住居を失って困窮している人のセーフティネットを整備するというのが妥当な政策ではないでしょうか。「住宅の提供を社会が担う」と言うことは簡単ですが、現実に労働者の広域移動が容易になるよう、安価で良質な借家が多数供給されるように誘導する政策はかなりの困難をともなうでしょう(必要かつ重要な政策ですが)。さらにいえば、企業の立地まで含めた都市政策、国土政策との連携も欠くことができず、なかなか大きな問題になります。
さて続いて「(3)職業教育機会の格差についても、企業がその雇用する社員にのみ行うのではなく、社会が提供する仕組みを築く必要がある」ということですが、これはとりあえず「企業がその雇用する社員にのみ行うのではなく」ですので、企業がその雇用する社員に教育を行うことを禁止しようというわけではないようで、一安心です。で、企業に雇用されていない人、あるいは雇用されていても十分に訓練を受けられていない人にも利用できる、公的な職業教育の提供も、方向としては間違っていないでしょう。もちろん、どの程度のものをどのようにやるかについては吟味が必要ですが。
さて、最も不可思議なのは、上記(1)〜(3)を受けて、「このような条件が整うならば、現在の正社員と非正社員との待遇格差が徐々に解消し、勤務地限定社員、短時間正社員などのワーク・ライフ・バランスに適合的な多様な正社員制度の実現も夢ではないだろう」と結論付けていることです。まことに不可解です。私には、上記(1)〜(3)が整わなくても、勤務地限定社員、短時間正社員などの多様な正社員制度の実現は十分に可能だとしか思えないからです。多様な労働契約の導入と、上記(1)〜(3)とはなんの関係があるのでしょうか?職務給じゃなくても、勤務地限定社員の導入は可能です。家族手当や独身寮があっても、短時間正社員の導入は可能です。公共職業訓練校がなくたって、育児休業の取得は可能です。
労働法学者に多くみられる特徴として(もちろん全員ではありませんし、多数でもないかもしれません)、「同一労働同一賃金・均等待遇に教条的信念を持つ」というのと「格差の存在から直接に差別の存在を推定する」というのがあるように思われます(すみません、いいがかりです)。しかし、たとえば「均等待遇」に固執することが「短時間正社員」の導入・普及を阻むというのは、私のような実務家からみれば当たり前のことと思えます。育児時間のような短時間勤務であれば、これは時間割で賃金を控除すればいい。多くの企業がそうしていると思います。しかし、短時間勤務を5年、10年と続けるようであれば、これは業績への貢献や能力の伸長、経験の蓄積などに違いが出てくるのは避けられないので、別の人事制度・賃金体系を考えざるを得ない。当然、時間割にした時間単価も、短時間のほうが低くなるけれど、もちろん短時間でもめざましい成果をあげる人はいるので、そういう人はそれに見合って高い処遇を受けられるようにする。これなら、短時間正社員制度を検討する企業も多いかもしれません。ところが、往々にして見られるのが「均等待遇だから、時間単価が低いのは許されない。賞与、昇進昇格等も同じでなければならない。違いがあるのは差別である…」これでも短時間正社員制度を導入する企業があるとすれば、そのほうが驚きです。勤務地限定社員というのは、実は不完全な形(当該勤務地がなくなっても当然に退職する、というわけではない)ではありますがすでに広く普及していて、そこでは転勤可能であることのプレミアムはかなり大きくとられている傾向があります。というか、転勤可能であるかどうかを総合職と一般職の定義としているので、両者の間の能力差や拘束度・柔軟性の差も含まれてしまっている(というか、たぶんそのほうが大きい)わけですが。これだって、職務給にして均等待遇にしろ、とか言われたら、企業としては仕方なく全員転勤ありうべし、という制度にせざるを得ないでしょう。
なにも力みかえって「社会構造の変革」などと言わなくても、まずは多様な雇用契約が可能になるような規制緩和(解雇規制は残りますし、驚くほど大きな規制緩和にはならないはずです)を行って多様化を進めれば、二極化はおのずと解消の方向に向かうのではないかと思うのですが、どんなものなのでしょうか。

*1:これは非正社員のすべてが業績へのコミットがないと言っているのではなく、業績へのコミットがないと考えられている一部の非正社員、ということです。為念。