NIRA『終身雇用という幻想を捨てよ』

総合研究開発機構(NIRA)から、「終身雇用という幻想を捨てよ―産業構造変化に合った雇用システムに転換を―」という研究報告書を送っていただきました。NIRAから報告書を頂戴するのは初めてですが、昨年NIRAの「就職氷河期世代のきわどさ―高まる雇用リスクにどう対応すべきか」というレポートにかかわりましたので、関係のあるテーマということで送っていただいたものと思います。ありがとうございます。
私がかかわったプロジェクトは若年非正規問題にフォーカスしたものでしたが、この研究報告書は雇用システム全体を視野にいれた壮大なものになっています。全文PDFがNIRAのサイトに掲載されていて(http://www.nira.or.jp/pdf/0901report.pdf)、コピペもできますので(笑)、若干のコメントを試みたいと思います。

総論

NIRAの理事で、この研究会の座長を務められた柳川範之先生が書かれていて、タイトルは報告書名とほぼ同じ「終身雇用という幻想を捨てよ―産業構造変化に合った雇用システムに転換を」となっています。
http://www.nira.or.jp/pdf/0901yanagawa.pdf
全体的な印象としては、労働研究者ではない経済学者によくみられる論調だなあ、という感じです。最初の3分の1は、あれこれとデータをひきながら、かなり力を入れて「終身雇用制は幻想である」と主張しているのですが、ある程度日本企業の人事管理について承知している人であれば、正直言って「そりゃそうでしょうが、それが何か?」という感じでしょう。柳川先生がお考えの「終身雇用制」というのはかなり大仰なもので、それはたしかに例外的な存在に違いありませんし、制度とするにはいかにも無理があるでしょう。そんな「終身雇用制」などというものが広く存在すると信じているのはマスコミの記者くらいのもので、そういう意味では記事で「終身雇用制度」などと平気で書いている新聞記者諸氏にはぜひとも柳川先生のこの論文を勉強してほしいものです。
わが国の人事管理として広く定着しているのは「長期雇用慣行」であって「終身雇用制」ではありません。「終身」でもなければ「制度」でもないわけです。その内容は、「長期間(典型的には定年まで)の勤続を前提として、内部育成・内部昇進を原則に、長期的に人材投資とその回収を行う」という程度のものです(特段新卒であることは要せず、中途採用者に対しても類似の人事管理を行っている例は普通にみられます)。これについては柳川先生も「長期雇用は重要だ」ということを「あえて強調しておかなければならない」と述べておられます。
また、柳川先生は解雇規制についてもかなり大仰にお考えのように思われます。私のような理解力の低い人間が読んでいると、柳川先生は解雇どころか労働者が離職することが禁止されているとお考えになっているのではないかと錯覚してしまう(錯覚です、もちろん)くらいです。
現実には、わが国で(というか、米国を除く大半の先進諸国で)できないのは「客観的に合理的な理由がない、あるいは社会通念上相当でない解雇」です(しかもこれとて、解雇されたほうが文句を言わなければそれまでです)。有期契約であってもこれは同様(というか、有期契約の途中解除のほうがより高度な合理性を求められる)ですから、少なくとも解雇権濫用法理においては柳川先生が言われるように「雇用を強制する、解雇規制がそもそも終身で雇用すべきだというスタンスになっている、つまり終身雇用を制度として維持すべきだとなっている」というわけではありません。まあ、労働政策に関してはそれに類似の発想がみられることも事実でしょうが…。
現実には、現在の職よりよい条件の求人があればそちらに移る、という転職は、とりわけ好況期においては普通にみられます。その場合も、転職先がやはり長期雇用慣行下にあることが多いわけです。業績好調な企業、成長している企業が求人を出せば、放っておいても将来性の見込めない、先行き不安な企業からの転職は起こるでしょう。なにも一度解雇して労働市場に放り出し、それを国がトレーニングして、あらためて別の企業に入りなおす、などというテマヒマかかることをするまでもなく、自発的に退職して直接転職する、あるいは「出向→転籍」という方法もあるわけですが、いずれにしても転職してしまって働きながら仕事を覚えていく、というほうがよほど効率的でコストも低いことは明白です。
どうも、労働研究者でない経済学者が労働市場政策を論じると、内部労働市場の機能をはじめ、人事労務管理や労使関係の実態に関する理解が必ずしも十分でなく、空論に陥りがちな傾向があるように思われます。この論文も、これ以降は例によって(笑)デンマークやら、産業政策やらを担ぎ出してきて賑やかにワッショイワッショイやっているのですが、大いに空振っている印象があります。

各論1

各論の最初は、日本総合研究所調査部ビジネス戦略センター所長にして主席研究員の山田久氏による「今次雇用危機の構図と政策対応―産業構造転換が求める雇用シフトと「同一価値労働同一賃金」実現に向けた労働市場改革を」です。なにせこの人、『大失業』の印象が悪すぎる(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20051231)ので、どうも最初からマユツババイアスがかかってしまうのですが…。
http://www.nira.or.jp/pdf/0901yamada.pdf
前半部分については、言いたいことはなくもありませんがスルーしておいて、中盤の「(2)労働市場の規制・ルールの見直し」あたりからかなりおかしくなります。「具体的には、「同一価値労働同一賃金」の原則を浸透させていくことがポイントである」というのですが…。

…同じ仕事であるといっても人によって仕事の出来栄えは異なる。その場合に賃金が同じというのは説得的ではない。能力育成のことを考えれば、潜在能力を考慮して決めるべき面もあるだろう。そう考えれば、評価・報酬体系を(1)職務によって決まる部分(職務給)、(2)潜在能力を評価する部分(職能給)、(3)毎年の業績結果を評価する部分(成果給)に分け、これらを組みわせることが現実的である。(1)(2)(3)のウェイトづけや(2)(3)の具体的内容は個別企業によって異なり、それらの違いが企業の競争力を決めることになる。しかし、(1)の部分については、企業の枠を超えた社会共通の同一価値労働・同一賃金原則が適用されるべきで、それにより正規・非正規間の処遇均等が自ずと実現する。

実現しませんって。っていうか、「処遇均等」ってその程度のものでいいんですか?とりあえず職務給一本にしろと言わないところは上出来ですが…。
現実には、流通業などでは基幹的職務を担う非正規労働者については正社員と同一の人事・賃金制度を適用するといった先進的な取り組みも拡がっていて、こうした例では職務給部分についても正規・非正規同一のテーブルになっているでしょう(同一制度を適用するのですから当然ですが)。これに対し、それほど基幹的でない業務を担う非正規労働者については、これはほぼ100%が職務給のマーケットプライスになっているでしょう。いっぽう、正社員はといえば職務給以外にも相当額の職能給などが支払われている。とりあえず総額では大差でしょう。それでも処遇均等だ、というのであれば、それはそれで現実的な考え方といえるのかもしれませんが…。
また、非正規労働者に正社員と同一制度を適用している企業が、職務給部分に「企業の枠を超えた社会共通の」賃金を適用することに納得するかどうかはかなり疑問です。イトーヨーカ堂の人事部長に「職能給はイオンやダイエーと同じにしなさい」と言って理解が得られるかどうか。もしこれが強制されるなら、ことによると職務給部分をなくして職能給一本にしてしまうかもしれません。
さて山田氏は続けて…

…ここで政府が重要な役割を果たす。同一価値労働・同一賃金のためには社会横断的な基準を設けることが必要であり、英国のNVQ制度のような、職種別・技能レベルごとに設けられた職業能力資格制度を整備することが求められる。2008年4月にスタートした「ジョブカード制度」は、そのための第一歩として位置づけられる。
…ジョブカードを日本版NVQ へと発展させていけば、先述のキャリアラダー・プログラムを推進するためのインフラの役割を果たす効果も期待できる。現状のジョブカードは、ビジネスマナーやコミュニケーションといった、基本的能力と職種の基礎レベルの能力を評価する段階にとどまっている。これを中級・上級レベルまでの5段階で職務能力を認定するNVQ のような仕組みに進化させる必要がある。

ほほぉ、NVQを担ぎ出してきましたか。ただ、「これを中級・上級レベルまでの5段階で職務能力を認定するNVQのような仕組み進化させる」と言いますが、しくみを作れば思いどおりに働くってものでもありません。実際、柳川先生もNVQに言及されていて、

ただし、管理職レベルであるレベル4および5ではこの制度の利用が非常に低調であるとの評価がある。

と述べられています。小池和男先生はNVQについて「よく整備されているが、使えるのは技能レベルでいえば中の下くらいまで」と発言しておられました。5段階でいえば「2」までということでしょう。実際、4と5が「非常に低調」なら3も低調だろう(「非常に」ではないにせよ)ということは容易に想像できます。逆にいえば、日本のジョブ・カードが初級しかないのは、英国のこうした経験をふまえているわけで。このあたり、餅を絵に描いても喰えないが、絵に描いた餅をうまく売れば喰っていけるということですな。
さて少し先に進みまして…

…企業経営の柔軟性を確保しつつ同一価値労働・同一賃金原則を確保するには、現在の正規・非正規の区分をいったん白紙にしたうえで、従業員を職務内容と技能レベルによって分類された多元的な人材タイプに再編する必要がある。その際の要点は、特定地域・特定職種での限定勤務とその範囲での雇用保障を行うといった、現在の正社員と非正社員の中間形態を設けることである。つまり、「正社員の多様化」を進めることで、トータルな労働市場の柔軟性・多様性を高める必要がある。
 こうした人材タイプの再編を行った場合、職務によっては現在正社員の立場にある人々の処遇引き下げが必要になるケースが発生することは避けられない。このため、実際には移行措置や能力開発支援制度などを設けて、時間をかけて新しい人材ポートフォリオを実現していくことになる。

あのー、「特定地域・特定職種での限定勤務とその範囲での雇用保障を行うといった、現在の正社員と非正社員の中間形態を設ける」ことがどうして「従業員を職務内容と技能レベルによって分類された多元的な人材タイプに再編する」際の「要点」になるんですか?地域・職種限定労働契約と「職務内容と技能レベルによる分類」とはどう考えても関係が薄そうなんですが…。私も「特定地域・特定職種での限定勤務とその範囲での雇用保障を行うといった、現在の正社員と非正社員の中間形態を設ける」ことは非常に大切だと思っていますし、そのメリットのひとつが「トータルな労働市場の柔軟性・多様性を高める」点にあるとも思っているのですが、それは「同一価値労働・同一賃金原則を確保する」とかいった絵空事とは関係ないですよね。また、別になにも「正規・非正規の区分をいったん白紙」などという破壊的手法をとる必要もありません。あとの方では「実際には移行措置や能力開発支援制度などを設けて、時間をかけて新しい人材ポートフォリオを実現していくことになる」という現実的な漸進的アプローチを提言しているだけに不思議なところです。まあ、世間には処遇の引き下げが大好きな評論家も何人かいますので、それが見られればそれだけでうれしいというだけのことかもしれませんが。
その後、山田氏は派遣労働についても快調に飛ばしまくっているのですが残念ながら(笑)スルーさせていただきます。とりあえず山田氏は派遣についてはドイツがいいと言っていることだけ書いておきます。
次に山田氏は「新卒一括採用の見直し」を主張するのですが…。

 まず着手が必要なのは新卒一斉採用という慣行の見直しである。90年代後半から2000年代前半期において、一生を不安定な職で過ごさざるを得ない恐れのある人々が多くを占める世代が発生した要因の一端を、新卒一斉採用という慣行に求めることができる。そこで、その新卒採用数は一定レンジに固定し、景気で変動させないようにすればどうか。一方、景気拡大時に非正規の正社員への登用を増やすことで、徐々に世代ごとの正社員比率を高めていくのである。これにより、非正規労働の若者にもキャリアの展望を開き、卒業時の景気によって一生が左右されかねないという理不尽な慣行を打破することが期待できる。

「新卒採用数は一定レンジに固定し、景気で変動させないようにすればどうか」って、どうやってやるんですか?企業ごとに「この会社は新卒採用は年○○人から○○人まで」と割り当てを決めるとか?(えーと、この「新卒採用」ってのは新卒正社員採用のことなのかな?)人員過剰になって四苦八苦している企業にとってはかなり迷惑な話でしょうが…。ああ、それは解雇規制を撤廃するから、割り当て人数を採用できるまで現有の社員を解雇しなさい、ということなのか。それもずいぶん御無体な話のように思いますが…。
あるいは、上限だけを決めるとか?しかし、それは規制がなければ就職できたはずの人を無理矢理に「新卒無業」にする制度なわけで、本当にそれがいいのかどうか…。
結局これは、景気動向や企業の求人動向にかかわらず、新卒者については正社員就職できる人とできない人の比率を毎年同一に固定しよう、という政策なわけですね。これはたしかに世代間マクロの格差が縮小するようにみえます。しかし、正社員採用された人は格別、されなかった人が「景気拡大時に非正規の正社員への登用」されるまでの期間は、1年ですむかもしれませんし、もっとかかるかもしれません。
山田氏のいう「90年代後半から2000年代前半期において、一生を不安定な職で過ごさざるを得ない恐れのある人々が多くを占める世代が発生した」というのは、新卒一括採用だけの問題ではなく、むしろこの期間の経済不振が例外的に長期にわたり、したがって長期にわたって企業の求人が冷え込んだことのほうが直接的な要因になっています。景気後退が通常のように2〜3年ですんでいれば、その時期に就職を逸した人も比較的短期間で「第二新卒」などの形で吸収されていきますが、これが長期化することで吸収されにくい人が出てきてしまったわけです。
ですから、山田氏のいうような規制を実施したところで、2000年前後のような長期・大幅な求人減が起きれば、結局は「一生を不安定な職で過ごさざるを得ない恐れのある人々が多く」発生することは避けられないのです。1995年、1996年あたりに山田氏の規制のせいで正社員就職できなかった新卒者は、それ以降の就職超氷河期のおかげで、ずっと正社員登用が行われず、やはり「一生を不安定な職で過ごさざるを得ない恐れのある人々」になったことでしょう。「卒業の年の景気のせい」と「山田氏の規制のせい」とに優劣があるとはあまり思えません。しかも、2000年前後においては、新卒採用の下限規制をして採用を強要しない限り、正社員採用はやはり少なかったわけで、結局「一生を不安定な職で過ごさざるを得ない恐れのある人々」はほぼ同様に発生したでしょう。
たしかに新卒時の景気による世代効果は存在しますし、2000年前後のようなはなはだしいものについては政策的対応が必要なことも間違いないでしょう。しかし、それが新卒一括採用の禁止、企業への新卒採用割り当て制の導入かといえば、それは違うだろうと思います。むしろ「一生を不安定な職で過ごさざるを得ない恐れのある人々」に必要・適切な支援や救済を行っていくことが正論でしょう。
その後も山田氏は次々と電波を繰り出していますが、面倒なのでこのくらいにしておきます。最後にもう一点だけ、セーティネットの再構築をワークフェアの理念に基づいて進めよう、という話があって、これはなかなか好ましい方向性だと思うのですが、ここでもまた「英国の制度が参考になる」と言っています。実際、たしかに英国の制度は参考になるんですが、しかし英国、ドイツときてまた英国ですか。
いや、なにを申し上げたいかというと、この山田久というお方、例の『大失業』では「日本の労働市場アメリカ型に改革しなければ、2005年には完全失業率は9.5%に達し、失業者は650万人にのぼる」とかっ飛ばして、大外れをかましているんですね。現実の2005年の完全失業率は4.4%ですぜ。で、さんざん礼賛していた「アメリカ型」はどこに行ったんですか。まあ、そこで外したからアメリカを見切って英国、ドイツに鞍替えしたかな。そのくらい無節操でなければ「主任研究員」なんてやってられないのかもしれません。

各論2

次なる各論は日本大学大学院総合科学研究科准教授にしてNIRA客員研究員の安藤至大先生の手になる「労働ルールの再構築と新システムへの移行プロセス―雇用契約の多様化と新制度導入過程の明示的な検討が必要」です。
http://www.nira.or.jp/pdf/0901ando.pdf
これは申し上げたいことも多々ありますが、しかし賛同する部分も非常に多い論文です。山田氏のところでくたびれてしまいましたので、特に賛同する部分をご紹介するにとどめておきます。

 現在、補正予算を伴う追加的な緊急経済対策が与野党によって検討されている。そこでは、医療・介護、子育て、環境・エネルギーなど様々な分野の施策が議論の対象となっているが、費用対効果の観点からは、公共事業を行う際にはできるだけ波及効果が大きく我が国の潜在成長率を高める事業を選択することが求められている。首都圏の環状道路を整備することや羽田空港の更なる拡張などは効果が大きいと思われる。ここで労働政策の観点から指摘しておきたいのは、公共事業による労働力の活用を考える際には、職業訓練を伴うものであることが望ましいということだ。景気が悪化している時期には余っている労働力を無駄にしないことに力点が置かれやすいが、中長期的な視点からは、景気回復時のことも考えた人材の活用と教育訓練が必要となる。具体的には、公共事業により労働者を雇用する際には、単純労働としての公共事業を担う人と職業訓練を受けるそれ以外の人とに完全に分かれてしまわないようにすることである。

 現状では、労働者側も目先の生活のことを考えて職業訓練を受けるよりもフルタイムで就労することを望むだろうし、使用者側も労働者の長期的なキャリアプランを考えることなくフルタイムでの雇用を希望すると思われる。そのほうが費用は安いからだ。しかし公共事業として労働力を活用するのであれば、社会的により望ましい就労・訓練形態を採用するべきである。

なるほど、なるほど。現実にうまく実行するためにはさらに工夫が必要でしょうが、たしかに大切な観点だと思います。

 現在の労働ルールで許容されている契約の種類は非常に限られたものである。労働契約の期間については、実質的には、長期契約(例えば新卒の場合は定年までのおよそ30年契約だが整理解雇の可能性があり、また集団的労働条件や配置転換などは実質的には使用者側が決める契約)と原則3年までの期限付き契約の二択となっている。
 これは労働条件を二極化させる要因となっているものであり、セーフティネットの充実を前提とするなら、契約の類型を多様化すべきである。
 それではどのような契約を締結可能とするべきだろうか。労働需要を増やすという観点からは、契約解除の要件を明確化することが必要である。それにより安心して採用することができるようになるからだ。私見では、少なくとも、雇用契約の期間と場所、そして職務内容について当事者の自由意志に基づく契約を可能にすべきであると考えている。
 まず期間でいえば、5年契約や10年契約を可能にすること、また一年前に告知すれば解除可能な雇用関係なども考えられる。次に場所については、配置転換の可否について契約に明記するだけでなく、仮に転勤ができない場合には事業所の閉鎖と共に雇用契約が解除されるなどの特約も許されるべきである。また職務内容についても、仕事がなくなったことを理由とする契約解除を可能にすること等が考えられる。
…この提案は長期雇用を否定するものではない。当事者の合意による長期雇用は多くの場合において社会的にも望ましいものであるからだ。例えば5年契約を2回繰り返した上で、定年までの長期雇用を提示される労働者がいるかもしれないし、有能な労働者に対しては仮に当初の契約期間が5年であっても、1年目に長期雇用契約が提示されるかもしれない。しかしそれは選択肢を絞ることによって外から強制される形で長期雇用を実現するのではなく、あくまで当事者たちが選択した結果としての長期雇用であることが大切であると考える。

 これもほとんど同感です。「こうなったら退職してもらうことになりますが、そうでなければ定年まで何らかの形で働いてもらいます」とあらかじめ明確に決めておいて、お互いにその約束を守る、ということが大切でしょう。もちろん、必要なだけの予告期間を取り決めておくことも必要ですし、当然ながら約束を破ることについては法的な規制が行われるべきです(つまり、現行の解雇規制は維持されるということです)。これは勤務地や職種にこだわりのある人にとってもメリットのあるやり方で、ワーク・ライフ・バランスやキャリアデザインの観点からも好ましいものです。非正規労働のキャリア形成にも有意義で、最初は1年契約のパートタイマー、それが認められて5年契約のフルタイムになり、3年目くらいで「この店がある間は来てくれないか」と勤務地限定の契約になる。そのうち、その店を閉じることになったときには「これだけの仕事ができるのだから、もし転勤できるなら、別の店で働き続けてくれないだろうか」と、いわゆる正社員になる…といったキャリアの可能性が開けるでしょう。これは1年契約のパートタイマーに職業訓練を施して正社員に…というよりかなり現実的な感じがします。

…最近、同一(価値)労働同一賃金という議論がなされることが多い。しかしこれが実現可能であるか否かを検討する際には注意が必要である。まず、そもそも同一労働であるか否かを外部の者が判断することは難しいし、当事者にとっても見解が分かれることは十分に起こりうる。そのため判断基準をできるだけ明確にする必要があるだろう。また、現在担当している仕事が同じであれば年齢や経験、勤続年数などに関係なく賃金が同一であることを強制するような形になってしまうと、自発的に採用される年功制度の否定にもつながりかねない。年功制度には、様々な利点もあり、自発的にこれが採用されることを妨げる必要はないはずである。

これまたまことに現実に即した見解と申せましょう。さらに現実をみれば、「判断基準をできるだけ明確にする」のも多くの場面では困難であって、結局のところ社会的・企業横断的な「同一(価値)労働同一賃金」はわが国では空論にとどまるということになりましょう。もちろん、同一企業内での「同一(価値)労働同一賃金」は企業の人事管理の最重要課題であり永遠の目標ですが、これとてなにをもって同一と判断するかは結局のところは経営に責任を持つ使用者でしかありえません。

…新卒の時に採用されないと待遇が良い正規雇用の職を得るのが難しい環境下では、生まれた年が1 年異なるだけで人生の明暗が分かれるといった現象も発生することになる。おそらく2007年に就職活動をした大学生は就職先を比較的容易に見つけることができたのに対して、2008年になると途端に難しくなったことなどは記憶に新しいことだろう。
 これらの問題に対処するためには、リスクの分散が必要となる。そのためには、世帯内や世代内だけでなく、世代間での分担を可能にする制度作りが必要である。例えば、若年失業率に相関させる形での所得税率の設定を行い、その税収の変動部分を失業者対策に使ってはどうかという大竹文雄氏による提言などは世代間のリスク分散策の一例である(大竹、2009)。また、公務員の採用人数は新卒時の失業率に逆相関させる形で設定するなどの取り組みも有用かもしれない。

これは山田氏の珍説とは異なり、かなり有力な考え方と申せましょう。大竹説は若年失業率が上昇する不況期に増税を行うという形になる可能性が高く、マクロ経済的には疑問もありますが、「公務員の採用人数は新卒時の失業率に逆相関させる形で設定する」というのは傾聴すべき説だと思います。まあ、あまり硬直的・制度的に行うと弊害もあるかもしれませんが、民間での就職が厳しいのであれば、公的部門での採用を増やす、逆に民間の求人が強いときには公的部門は少し減らすといった調整は十分考えられるものです。
安藤至大先生は例の福井・大竹『脱格差社会と雇用法制』にも参加しておられましたし、他でも時折お見かけしましたが、今回の論文はだいぶイメージが違う感じです。まあ、感じだけかもしれませんが。

各論3

続いては労働政策研究・研修機構研究員の原ひろみ先生の登場です。お題は「非正社員の企業内教育訓練と今後の人材育成―企業横断的な能力開発を実現するためのシステム構築を」。私が参加したときもそうだったのですが、NIRAの研究会はメンバー構成がなかなかユニークなような気がします(失礼でしょうか)。まあ、これはこちらがJILPTとかの定番研究会メンバーになじみすぎているからそう思うだけのことかもしれませんが…。
http://www.nira.or.jp/pdf/0901hara.pdf
さて原先生の論文は短いもので、厚生労働省の『平成18 年度能力開発基本調査』の分析を通じて、比較的企業内訓練の行われにくい非正社員への訓練が行われやすくするための方策が考察されています。

 非正社員に教育訓練を行う企業に対して支援を行うことが、適切な企業内訓練促進手段になること、さらには、訓練人材や訓練ノウハウの情報を蓄積・流通させることも、有効な手立てとなりうることが示された。また、職業能力の評価の実施が企業の非正社員への訓練コストを低下させる可能性が示され、こうした仕組みが、長期的な収益回収期間が見込めず、さらには仕事に対する志向が正社員とくらべて多様である非正社員への人的投資コストを引き下げると考えられる。
…短期的には、既存の制度を活用することが効率的であろう。既存の制度に目を向けると、職業能力についての評価と職業訓練がワンセットになった制度としては、2008年4月に導入されたジョブ・カード制度が近いと思われる。
…ただし、このような制度が幅広く普及するには、評価や訓練が通用する範囲を広げなければならず、長期的にみた場合、職種別労働市場の整備が必要であろう。また、企業の訓練インセンティブを維持していくには、雇用形態に関係なく能力向上に見合うようにより高度な業務に活用していく仕組み作り、つまり正社員も含めて雇用管理のあり方を問い直すことが、将来的には不可欠であろう。

こういう分析、論文だとこういう結論になりがちなのでしょうが、しかし「職種別労働市場の整備」といった現実性のない提言では仕方がありません。本当に不可欠なのは、評価や訓練の通用する範囲には限界があるという現実を受け止め、あきらめ、非正社員から段階的に正社員へとキャリアを移していくことを考えることではないでしょうか。これもかなり制度を変える必要がありますが、しかし「職種別労働市場」よりははるかに現実的だと思います。そのほうが早く多くの人を幸福にできるでしょう。

各論4

最後の各論は、NIRAリサーチフェローの辻明子氏による「社会設計としての労働移動を考える―デンマークを事例に」です。
http://www.nira.or.jp/pdf/0901tsuji.pdf
これは資料としてたいへん勉強になる、貴重な論文だと思います。デンマーク労働市場、雇用政策の現状について、幅広く現状を紹介してくれています。というか、ついきのうのエントリで私が教えてクレーと厨房化していた項目についても、きちんと記載されているではありませんか。ああ恥ずかしい。
事実の紹介が中心で、詳細な記述にもかかわらず政策的含意についてはまことに冷静かつ慎重な姿勢が取られていることにも好感が持てます。
ということで、全体を通してみれば、総論については労働研究者ではない人が書いたものだという前提で読めばいろいろな意味でそれなりに興味深く、各論については山田氏の部分を除いていずれも有益な内容を多く含んだ論考であると思います。あ、山田氏の部分も、個別にみればいいこともいくつか書いてはあるんですけどね…。