城繁幸氏

ブログがたまってしんどくなってきたので、手軽なネタとして城繁幸氏のブログから。本日のエントリは「有効な雇用対策とは」となっています。
http://www.microsoft.com/japan/windows/ie/ie7/about/customizelinks.mspx
http://blog.goo.ne.jp/jyoshige/e/e91505ff7c9705f6b447a193c2628934
前振りは省略させていただいて、

 雇用対策というのは本来、職を作ることだ。
 といって、インフラの整備された日本のような先進国では、有効な公共事業はもう存在しない。
 だから、規制緩和で競争を促し、民間に新たなフロンティアを拓いてもらうしかない。
 個人的には、日本にとって最大の雇用対策となりうる規制緩和は、正社員の雇用についての規制緩和だと考えている。単純に「解雇しやすくなるから、採用数も増える」ということだけではない。以下の点が大きい。

雇用対策と言ってもいろいろあり、「本来、職を作ること」とまでは言えないような気がしますが、経済を活性化して雇用を増やすことが最も効果的な雇用対策であることはたぶん間違いないでしょう。
もっとも、「日本はインフラが整備されていて経済効果の大きい公共事業はもう存在しない」というのがそのとおりだとしても、「『だから』規制緩和で競争を促し、民間に新たなフロンティアを拓いてもらう『しかない』」というのはあまり論理的とは申せません。財政政策にしても、「賢く」支出することで経済活性化につなげることは十分可能です(グリーン・ニューディールなんかその典型ではないでしょうか)。金融緩和はかなり進みましたが、それでも金融政策の余地もまだあるでしょう。また、「民間に新たなフロンティアを拓いてもらう」(これは情緒的な表現でいまひとつ意味不明ですが)にしても、たとえば法人税減税であるとか、あるいはもっと直接的に研究開発投資減税であるとかいった有効な方法が存在します。
規制緩和についても、「個人的には、日本にとって最大の雇用対策となりうる規制緩和は、正社員の雇用についての規制緩和だと考えている」とのことですが、本当に「最大の」雇用対策になるかどうかは大いに疑問です。城氏はその理由としてこう述べるのですが…*1

・正社員と非正規雇用の間で競争が発生し、生産性が向上する。
 ある意味、これほど大規模な“新規参入”は他にないだろう。

労働市場流動性が高まることで、エリートによる起業が増える。
 結果的に雇用のフロンティアが拡大する。

まず、現状でもすでに正社員と非正規労働の間の競争は存在します。しかも、それは思いのほか激しい(まあ、これは評価の問題ですが)もので、だからこそ正社員から非正規労働への「常用代替」が起きているわけです。たとえば補助的・定型的業務においては正社員は非正規労働に対して競争力が少なく、それゆえにかつては一般的だった「一般職」の多くはパートタイマーや派遣社員などに置き換わっているわけです。
また、現状では正社員の間でかなり激しい競争が行われていて、これが相当程度生産性を高めていることも間違いありません。そんなしんどい競争をさせられるのはたまらん、という人たちが非正規労働で働いているという実態も現実にあるわけで、はたしてこれらの人たちをいっしょくたにして競争させたところで現状より生産性が上がるかどうかは疑わしいものがあります。案外、日本の競争のしくみはうまくできているのかもしれません。まあ、条件がいろいろ違うので単純な比較はできないにしても、米国ではリストラの結果生産性が上がったというデータもあるそうですから、日本でも上がるかもしれません。ただ、仮に本当に上がったとしても「最大の」雇用対策となるほどの効果は見込めないでしょう。
「エリートによる起業が増える」というのは、米国の経験を念頭においているのでしょうか。たしかに、クリントン政権下で軍事予算が大幅に削減された(いわゆる「平和の配当」)際には、軍需産業や軍そのものから多数の技術者が放出され、彼らの一部はたしかにその技術力を生かして起業し、成功を収めました(民間企業に転職した人もまた多かったのですが)。ただ、これは当時の米国がいわゆる「ニューエコノミー」の好況下にあって、起業が比較的成功しやすい状況にあったからうまくいったという部分は多分にあり、今の日本のような不況期にも同じようにうまくいくという保障はまったくない、というかまずうまくいかないでしょう。少なくともこれが「最大の」雇用対策となるとは思えません。
もちろん、それでも起業するという人はすればいいわけです。

 残念ながら日本では、優秀層の多くは大企業や官庁を目指し、日本型雇用というサロンに入って生涯を捧げるという伝統がいまだに残っている。
 そこから漏れてしまった人たちを捕まえて「リスクを取れ、フロンティアを目指せ」と尻を蹴飛ばすのはちょっと酷だし、結果的に優秀者は社会に対して義務を果たしていないと感じる。国立大なんて、国のお金で教育されているわけだから。

まずもって、城氏が富士通をスピンアウトして起業?し、見事に成功を収めたことはまことに立派であると私は思います。それをもって「優秀者として社会に対する義務を果たしている」と自負するのも結構だろうと思います。
ただ、それはリスクテイクしたから立派だとか、リスクテイクすることが優秀者の義務だとかいうのとは違うでしょう。それはあくまで起業に成功して経済活動に貢献したこと、社会のニーズに応えたことをもって評価されているわけです(まあ、城氏の言説がいかにニーズがあるとはいえトンデモであることによる不経済をどう評価に織り込むかは難しいところですが)。逆に、リスクテイクそのものが美徳であるとすれば、リスクテイクしたあげくに大穴をあけて世の中に多大なご迷惑をかけた人でも「義務を果たした」ということになってしまうわけで。
「日本型雇用というサロンに入って生涯を捧げるという伝統」という感傷的で意味不明な言説は無視するとして、「国のお金で教育され」た「優秀者」が「大企業や官庁」で活躍することでも、その社会的「義務」を果たすことはできるのではないでしょうか。大企業で先端技術やビジネスの「フロンティアを拓いて」いる人もたくさんいます。
どうも城氏の文章を読んでいると「俺は富士通を飛び出して起業したから偉いのだ、それに引き換え富士通の中高年正社員の奴らは…」という本音があるのではないかと邪推されてしまうのですよねぇ。解雇規制の緩和も、結局は城氏のお嫌いな「大企業の中高年正社員」が解雇されてひどい目にあうのを見たい、というだけのような。いやもちろん邪推なのですが、しかしこの手の解雇規制論者の論をみると、そういう印象を禁じえないのです。

*1:為念申し上げておきますが、私は規制緩和一般を否定するものではなく、たとえば「株式会社の農地保有を認めない」といった規制を緩和することは産業育成・雇用創出に大いに資するものと考えています。また、雇用分野においても必要な規制緩和は多数あると考えています(具体的にはこのブログの過去のエントリをごらんください)。