お訊ねをいただきましたので簡単にコメントしたいと思います。もちろん統計については素人で詳細に論じることはできませんのでそのようにお願いします。
さてこれに関しては先月西日本新聞が「ローテーション・サンプリングに変更したら賃金上昇率が高くなった」みたいな記事を掲載していて何の話だろうと思ったところ案の定追随も続報もなかったのでまあそうだろうなあと思っていたわけですが、西日本新聞の親分(?)格である東京新聞が週末にこんな記事を掲載していたわけです。
厚生労働省が今年から賃金の算出方法を変えた影響により、統計上の賃金が前年と比べて大幅に伸びている問題で、政府の有識者会議「統計委員会」は28日に会合を開き、発表している賃金伸び率が実態を表していないことを認めた。賃金の伸びはデフレ脱却を掲げるアベノミクスにとって最も重要な統計なだけに、実態以上の数値が出ている原因を詳しく説明しない厚労省の姿勢に対し、専門家から批判が出ている。
問題となっているのは、厚労省が、サンプル企業からのヒアリングをもとに毎月発表する「毎月勤労統計調査」。今年1月、世の中の実態に合わせるとして大企業の比率を増やし中小企業を減らす形のデータ補正をしたにもかかわらず、その影響を考慮せずに伸び率を算出した。企業規模が大きくなった分、賃金が伸びるという「からくり」だ。
多くの人が目にする毎月の発表文の表紙には「正式」の高い伸び率のデータを載せている。だが、この日、統計委は算出の方法をそろえた「参考値」を重視していくことが適切との意見でまとまった。伸び率は「正式」な数値より、参考値をみるべきだとの趣旨だ。
本給や手当、ボーナスを含めた「現金給与総額」をみると、七月が正式の11.6%増に対し参考が0.8%増、六月は正式3.3%増に対し参考1.3%増だった。実態に近い参考値に比べ、正式な数値は倍以上の伸び率を示している。
厚労省がデータ補正の問題を夏場までほとんど説明しなかった影響で、高い伸び率にエコノミストから疑問が続出していた。統計委の西村清彦委員長は「しっかりした説明が当初からされなかったのが大きな反省点」と苦言を呈した。
SMBC日興証券の宮前耕也氏は「今年の賃金の伸び率はまったくあてにならない」と指摘した上で「影響が大きい統計だけに算出の方法や説明の仕方には改善が必要」と提言している。 (渥美龍太)
<毎月勤労統計調査のデータ補正> 厚生労働省が一定数の企業を選んで賃金などを聞き取るサンプル調査。対象になった大企業や中小企業の割合は世の中の実態と誤差が出るため、総務省が数年ごとに全企業を調査したデータを反映させ、補正する。賃金の伸びを正確に把握するため、このデータを更新した年は過去の分も補正し、連続性を持たせてきたが、今年は「統計改革の一環」(厚労省)として補正をしていない。その結果、規模が大きい企業の割合が多い2018年と少ない17年を比べることになり、賃金の伸び率が実態よりも大きくなった。
(平成30年9月29日東京新聞朝刊から)
これに関してはこの分野では最強の専門家である大正大学の高原正之先生がツイッターで連投しておられるのが参考になりますのでまずご紹介します。
Takahara Masayuki @m_takaharasan 9月30日
東京新聞:厚労省の賃金統計「急伸」 実態表さずと認める 政府有識者会議:経済(TOKYO Web) http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/list/201809/CK2018092902000129.html …「サンプル企業からのヒアリングをもとに毎月発表する「毎月勤労統計調査」は誤解を生む。調査票を用いた調査である。
https://twitter.com/m_takaharasan/status/1046221768103522304Takahara Masayuki @m_takaharasan 9月30日
調査票はこちら。https://www.mhlw.go.jp/toukei/chousahyo/maikin-zenkoku.pdf …
(続)
https://twitter.com/m_takaharasan/status/1046222034878058496Takahara Masayuki @m_takaharasan 9月30日
「政府の有識者会議『統計委員会』」も、妙な表現。統計委員会は統計法に基づき設置されている公式の委員会。権限は強く「有識者会議」というようなものではない。もちろん、委員の方々はご自分の専門分野で有識者ではある。統計法の概要はこちら。http://www.soumu.go.jp/toukei_toukatsu/index/seido/1-1n.htm …(続)
https://twitter.com/m_takaharasan/status/1046223144791494657Takahara Masayuki @m_takaharasan 9月30日
「規模が大きい企業の割合が多い2018年と少ない17年を比べることになり、賃金の伸び率が実態よりも大きくなった。」これは二重に奇妙。まず、毎月勤労統計で公表しているのは、日本の平均賃金。賃金が相対的に高い大企業(正確には大事業所)に勤める方が多くなれば平均賃金は高くなる。(続)
https://twitter.com/m_takaharasan/status/1046224100241412096Takahara Masayuki @m_takaharasan 9月30日
実態がそうなったのであれば、平均値や合計を迅速に示す速報統計である毎月勤労統計の平均賃金が高くなるのは当然。大企業に勤めている労働者同士の賃金比較は、構造統計である賃金構造基本統計で見るのが原則。(続)
https://twitter.com/m_takaharasan/status/1046224781950013443Takahara Masayuki @m_takaharasan 9月30日
この話はかなりややこしく、分かり易く伝えようと努力された結果であるとは思う。(終わり)
https://twitter.com/m_takaharasan/status/1046225541219667968
さて記者の方はおそらく28日の統計委員会を傍聴して記事を書かれたものと思いますが、その資料や議事録などはまだ公開されていないので現時点ではなんともいえない部分はあります。ただ、こうした政府の会議体については本委員会の前に分科会や部会などで議論が積み上げられていることが多いわけで、この件についてもさる7月12日に開催された統計委員会国民経済計算体系的整備部会で議論されていました(議事・資料はこちら)。
こちらはすでに議事録も公開されていて、議題はローテーション・サンプリングへの移行状況の確認ですが、当該部分については厚生労働省の担当官が次のように説明しています。
…平成30年1月の入替えでは、入替え時に2,086円の差が生じましたが、この差が生じた要因は、調査対象事業所の入替えだけではありません。
毎月勤労統計調査では、最新の経済構造を反映するために、経済センサスなど、全数の結果、信頼できる結果、信頼できる常用労働者数が得られた際に、その数字をベンチマーク、ウエートとして使っておりまして、平成30年1月に入替えに合わせまして、ベンチマークも、平成26年の経済センサス‐基礎調査の結果で、更新いたしております。
平成30年1月に生じた2,086円の差のうち、295円が部分入替えによるものでして、残りの1,791円は、ベンチマークの更新によるものです。具体的には、ベンチマークの更新によりまして、資料の下の方にありますが、5~29人の規模の労働者のウエートが、旧のサンプル、これまでは43.9%でしたものが、ベンチマークの更新によりまして、41.1%に減少いたしました。その分、規模の大きな事業所の労働者の割合が、増加しております。
規模の小さい事業所は、給与水準が、若干、相対的に低くて、規模が大きい事業所の給与水準は高くなっております。したがいまして、規模の大きな事業所の労働者のウエートが高まることで、平均賃金は高い方に修正されております。
http://www.soumu.go.jp/main_content/000568758.pdf
ということで、ローテーション・サンプリングへの移行は差が生じた要因としては大きなものではなく、要因として大きかったのは平成26年の経済センサスにもとづくベンチマーク・ウェートの変更であったということのようです。これに関しては、今回の統計委員会と同日付で厚生労働省のウェブサイトに毎月勤労統計:賃金データの見方(平成30年9月28日)という資料が掲載されており、ていねいに説明されています(おそらくは統計委員会でもこれを用いて説明がされたものと推測)。
さてこの資料をみると、ベンチマークについては過去にも何回か実施されており、今回の対応は過去の例と異なるものではないらしいことが読み取れます。たしかに頻度は低いものの、しかし厚生労働省にとってはルーチンワークを踏襲したものであるとはいえそうです(過去には今回とは逆に変更の結果低い数字が出たこともあったような)。また、上記で引用した7月12日の部会の議事録の中では、中村洋一部会長代理(法政大学理工学部教授)の「ベンチマークの更新は、今回だけでなく、今後5年ごとに行う必要があり」という発言が記録されており、統計委員会の意思としてもベンチマークが継続的に実施されるべきだとされていることがわかります(まあいわば常に実態に即した統計を行うべきだということでしょう)。ちなみに5年に1回ではなく毎年くらいの頻度で現状より精度の高いベンチマークを行う手法についても検討されているようです。
さて次に記事のいわゆる「参考値」ですが、これは今年1月分から新たに(昨年はなかった)【参考資料】として毎月算出・公表されている「毎月勤労統計における共通事業所による前年同月比の参考提供について」のことを指しています(部会の資料には5月分までしかありませんが、6月、7月の数値も公表されていて厚労省のウェブサイトで確認できます。ちなみに記事は今回高めに出た数字を正式正式と連呼していますが厚労省の公表資料には「正式」なる語はありません)。これは、有効な回答のあった調査対象事業所の中で、昨年同月の調査でもやはり有効な回答のあった事業所だけで集計を行った結果であり、上記部会において厚労省担当者から「共通事業所の集計におきましては、このベンチマークの更新による影響などを除くために、前年比を計算する際には、前年も、当年と同じ労働者ウエートを使って、計算してあります」との説明がなされています(さらに「今後、集計して、公表する系列を、項目としては、例えば、特別に支払われた給与だとか、所定外給与といったもの、項目を増やして、さらに産業別にも増やして、公表していく」ことも表明されています)。
その背景としては、上記「賃金データの見方」にもあるように、もとより「統計委員会は「『労働者全体の賃金の水準は本系列、景気指標としての賃金変化率は共通事業所を重視していく』ことが適切」としている」ということがあったわけです。そのために「継続標本(共通事業所)による前年同月比」の参考提供もこの1月から実施しているけれど、項目等も増やしてさらにわかりやすく公表していくことが必要だ、という話になっているわけです。
なお前回(8月28日開催)の統計委員会に提出された資料「「毎月勤労統計」の接続方法及び情報提供に係る統計委員会の評価(案)」においても、今回の対応は標準的かつ適切なものと評価された上で、以下の注文がつけられています。上記「賃金データの見方」はこれに応えて作成されたものでもあるでしょう。
・新旧指数の接続に関する情報提供を円滑に進め、かつ、継続サンプル系列の利用方法に関するユーザーの理解促進を図る。
・このため、総務省(統計委員会担当室)の協力を得て、①新旧指数の接続、②継続サンプル系列の利用方法、などに関する分かりやすい説明資料を作成し、次回の統計委員会に提出する。
http://www.soumu.go.jp/main_content/000571394.pdf
ということで記者さんはまあ仕方ないとして(失礼)、エコノミストのみなさまがあまりブウブウ言われると厚労省の担当官としては「不十分だったかもしれないけど1月から継続標本の集計結果を提供してますよね…?」と言いたくなるかもしれません(まあ実際サンプル替えによる押し上げ効果に留意が必要、としているレポート類も多々ありますし)。あとこれは私はこの記者さんは本当によくがんばられたなと思うのですが記事の文章自体は(まあ正式を連呼したり「からくり」とか言ってみたりはしているのだが)かなり客観的なものになっていると思います。ところが残念なことに記事に添えられた挿絵がいかにも「国民を欺いている」ことを示唆しようとの意図がありありであーあという感じです。
というか、ウェブ上をざっと見た限りでもこれについて「官僚が忖度して官邸に都合のいい数字を作った」「統計も恣意的に捏造されている、政府の発表はすべて信用できない」みたいな言説がうじゃうじゃ見つかるわけでみなさん統計をなめすぎだと思います。実際にはローテーション・サンプリングについては3年近く前から検討されていてもっと早くできないのかと言われていたくらいの話であり、ベンチマーク変更も経済センサスの結果発表後サンプル替えにあわせて実施したものであって恣意的に時期が決められたわけではありません。結果が高すぎるという指摘についてもまさに上で見たように統計委員会やその部会においてきちんと検証され評価されて、所要の対応も求められ実施されているわけですよ。特に毎月勤労統計調査は「平成二十五年度労働時間等総合実態調査」とかと違って統計法に定められた基幹統計であって、設計も運用も評価もしっかり行われており、官僚の恣意がそうそう簡単に入りにめるようなものではないはずです。もちろん完璧な統計など望むべくもないわけですし、正直リソーセスに限界のある中でやれることにもやはり限度があるだろうとも思いますが、統計に携わる方々にはこういう雑音に惑わされることなく(まあ惑わされるわけもないとは思うが)、その改善に取り組んでいただくことを期待したいと思います。いや本当に統計はあらゆる政策の基礎ですしね。