このごろのあれこれ

春季労使交渉がこの時期に行われるのは例年のことですが、今年はほかにもあれやこれやとめまぐるしく動いておりますな。いずれも以前まとめて書いたことがあるような話ではありますので、現時点での感想を日経新聞の記事をもとに簡単に。まずは1月31日のこの記事から。

 安倍晋三首相は30日の参院予算委員会で、退社から翌日の出社まで一定時間の休息を設ける「インターバル規制」の導入を検討する考えを示した。中小企業を念頭に「助成金創設や好事例の周知を通じて自主的取り組みを推進し、導入の環境整備を進める」と表明した。今後、法律で義務付けをするか否かについては明言を避けた。民進党蓮舫代表への答弁。
 インターバル規制は労働組合などが求めており、民進党などが提出した「長時間労働規制法案」にも盛り込まれている。蓮舫氏は「長時間労働を無くすには残業時間の上限設定とインターバル規制が大事だ」と主張。首相は「インターバルを設けることは健康な生活にも重要だ」と応じた。
(平成29年1月31日付日本経済新聞朝刊から)

繰り返し書いていますが、交替制勤務に従事する人など、インターバル規制を積極的に考慮すべき人については適切な規制が考えられるべきだろうと思います。いっぽう、そこまで必要性が明白でないケースについては、まずは産別・個別の労使の協議を通じた適切な制度の導入を先行させるべきでしょう。それがある程度広がってきて、「この業種・この仕事・この働き方にはこの程度の規制」という方向感が見えたところで法制化を考えるのが望ましい手順だろうと思います。まあ今回は助成金などを使って取り組みを促すということですから、いいのではないでしょうか。
また、わが国の実情を考えると、これを普及させるためにはインターバル確保のための不就労時間については無給とできることが望ましいように思われます。欧州においてはインターバル確保のために勤務免除が発生するというのは相当のレアケースでしょうが、わが国ではホワイトカラーを中心としてこれが長時間労働インセンティブになってしまうという懸念が(残念ながら)否定できないからです。いずれ、本当に働き方の大勢が変わってくれば、有給としていくことも可能になるでしょう。
次に、翌1月31日に報じられた、春季労使交渉に関する神津連合会長の談話記事から。

…――経営側は一時金などを含む年収ベースの賃上げを掲げていますが。
 「年収で対応するというのは違う。月例賃金を上げてこそ初めて『春闘』だ。個別交渉であるべき水準を追求していく」
 「一時金は短期的な収益動向に左右される。働く人が求めているのは、将来の安心感、安定感だ。賃金が上がるという常識を取り戻すには、月例賃金を上げるしかない。消費への影響も一時金よりはるかに高い。ベアを通じ、個人消費の増加、デフレ脱却につなげていく」
(平成29年1月31日付日本経済新聞朝刊から)

これはこれでそのとおりだとは思うのですが、しかしベアゼロが続いたのも働く人が安心感、安定感を求めたからだというのも一方の事実だとも思うのですね。ベースアップで固定費が増えた結果雇用削減、失業増ということになるくらいならベアゼロでも致し方ないというのも、ある時期の労使の判断だったわけです。
でまあその時期にはこんな話もあったわけで、当時の鷲尾連合会長と奥田日経連会長の春闘セミナーでのやりとりの記事ですが、

 鷲尾氏がまず「もしベアゼロなら、個人消費を冷やし、景気回復に水を差すことになる」と賃上げの必要性を強調した。これに対し奥田氏は「賃上げと消費拡大との関係性は薄い。むしろ雇用安定を最優先すべきだ」と反論。一方、鷲尾氏が「もし、失業率を二%台まで下げることを約束してくれるのなら、ベア要求を引き下げることもありうる」といえば、奥田氏が「賃上げした部分を一〇〇%消費に回してくれるのであれば、賃上げも考えられる」と応じた。
(平成12年1月14日付朝日新聞朝刊から)

現在も過去数年のベアにもかかわらず個人消費の伸びははかばかしくないわけですが、当時も「賃上げと消費拡大との関係性は薄い」という状況だったらしく(鷲尾氏も反論していないようですし)、働く人が安心感、安定感を求める結果として家計防衛的に倹約に励んでしまっているというのが当時も今も現実だったようにも思えるわけです。
ということで、奥田氏がかつて述べたようにベア分は消費することが好循環の実現に向けて重要であり、連合および神津会長には「ベアを通じ、個人消費の増加」にぜひとも強力なリーダーシップを発揮してもらいたいと思うわけです。さらに言わせていただければ、せっかく経営サイドが「年収ベースでは賃上げする」と言っていることでもありますから、年収ベースアップ(?定昇分は含まない)分は消費しましょう、という呼びかけなどもあっていいのではないでしょうか。ここはぜひ労働サイドから踏み込んでほしいと思います。しかしあれだな、賃上げしても消費がさほど増えないのは将来不安があるからだというのも昔も今も言われている話ですが、特に根拠はないですが消費が伸びないのは物価が上がらないからじゃないかと思うことしきり。
続いて同じ日の記事ですが、前日に開催された厚労省の「透明かつ公正な労働紛争解決システム等の在り方に関する検討会」で解雇の金銭解決制度について議論されました。

 厚生労働省有識者検討会は30日、裁判で不当とされた解雇を職場復帰でなくお金で救済する「金銭解決制度」の導入に向けた本格的な議論を始めた。…
 もともと今回議論されている制度は、中小・零細企業でほとんどお金を得られずに、泣き寝入り同然に解雇される労働者を救済する目的が大きい。2013年には裁判で不当とされた解雇が約200件あった。
 制度の導入を掲げた日本再興戦略では、仕組みを新たに作ることで、解雇を巡る紛争処理の「時間的・金銭的な予見可能性を高める」ともしている。十分な解決金を迅速に得られれば、次の仕事も探しやすくなり、結果として労働市場の流動化促進にもつながる。
 労働者側が懸念しているのは、新制度を企業が使えるようになれば、金銭による安易な解雇が助長されるのではないかという点だ。…
 解決金の金銭水準に基準を設けるかも焦点になる。勤続年数や解雇される前の年収などが考慮の要素となりそうだ。また、金銭水準に上限や下限を設けるかも議論になる。上限を設けることに労働者側は反対の立場だが、下限の設定には解決金が膨らむとして中小・零細企業の反対が強い。
 ただ大企業からすれば、新制度導入を通じて解決金の相場が形成されれば、解雇をする際のコストの見通しが立ちやすくなる側面もある。ただ、金銭水準の議論は制度設計の根本に関わる点だ。新しい仕組み自体を不要とする労働者側の反発は必至で、議論は次回以降に持ち越しとなった。
(平成29年1月31日付日本経済新聞朝刊から)

日経新聞はすぐにこの話を流動化とか相場とかに結びつけたがるわけですが、本当の要点は不当解雇の救済方法の多様化です。解雇が不当とされた場合の救済は法的にはバックペイと職場復帰ということになるわけですが、現実には章場にとってもご本人にとってもそうそう簡単なことではないでしょう。そのため、結局はあらためて話し合いを持ち、解決金を支払って退職という形で決着することも多く、そのプロセスは労使双方にとってかなりの負担になっているという現状もあるといわれます。そこで、裁判所が金額を示す形での救済も可能にしてより迅速で負担のない解決を可能にすることを考えてもいいのではないかという話になるわけです。したがって、基本的には労使のいずれかが金銭解決を望めば金銭解決できることが望ましいと考えられます。
もちろん、労働サイドが「解決金の相場が形成されれば、解雇をする際のコストの見通しが立ちやすくなる」ことで「金銭による安易な解雇が助長される」と心配するのはもっともで、もしかなり固定的で予測可能な解決金の相場ができてくれば、その相場にそった手切れ金を提示して「裁判所で不当判決が出ても解決金の金額は変わらないんだからこれで解雇されてね」といったことをやりはじめる企業というのは出てくるかもしれません。したがって、記事にあるような「金銭的な予測可能性を高める」ことは望ましくなく、不当解雇の多様な実態に応じて解決金も個別に判断されることが求められるでしょう。具体的には、悪質なケースに対しては懲罰的に高額な(事実上使用者が金銭解決を選択不可能な)解決金を示す一方で、労働者にも相当の非がある場合には比較的低額の解決金を示すわけです(極端な話ですが、私はバックペイについても労働者の非に応じた減額があってもいいと考えているくらいです)。
そう考えると、上限についても設けないか、かなりの高額に設定する(まあ設定する意味がないが)べきでしょう。
下限についても、現実問題として企業の支払能力を考慮しない解決金というのもあまり意味がないので、やはり設定しないか、設定するにしてもあまり高くしないことが望ましいと思われます。ただし、これについては、ある程度高めの下限を設定する一方で、ドイツのように従業員10人以下の企業は解雇規制を大幅に緩和するという方法は考えられるかもしれません。
続いて、2月2日のこの記事です。

 政府は1日、首相官邸で「働き方改革実現会議」を開き、長時間労働是正に向けた議論を始めた。残業上限を月平均60時間、年間計720時間までとする政府案に沿って意見集約を急ぐ。対象は原則、全業種。安倍晋三首相は会議で「長時間労働は構造的な問題で、企業文化や取引慣行を見直すことも必要だ」と指摘した。政府は年内に労働基準法改正案を国会に提出し、早ければ2019年度の施行を目指す。
 この日の会議は各委員からの意見表明が中心で、1カ月の残業上限を平均60時間、年間計720時間までとした政府原案は14日の次回会議で示す。企業の繁閑に柔軟に対応できるようにするため、単月なら100時間、その翌月と合わせた2カ月平均では80時間までなら残業を認める方針だ。…
 全業種が大原則だが一部で例外は設ける。「企業競争力の発揮」といった観点から特例が必要となる業種を選定する方向で、研究開発職などが候補となりそうだ。…
(平成29年2月2日付日本経済新聞朝刊から)

労使とも上限規制の必要性では一致しているそうですので、なんらかの規制はできるのでしょう。問題は水準ですが、原則として全業種ということになると、まあかなり緩めのものになるのは致し方のないところでしょう。年720時間、二か月160時間、月100時間という水準であれば、まあ大方の労働者はその程度には収めるべきレベルのように(あまり根拠はありませんが)思われます。
もちろん、いつぞやの週刊ダイヤモンド長時間労働の実例として紹介されていた大手証券会社の商品企画など、経験豊富で自己完結できる高度な専門職で物理的身体的な負担がそれほど高くない人についてはそれ以上の長時間労働にもそれほどめくじらを立てる必要もないわけで、まあそういう人たちは裁量労働制の対象者になるか、今回設定される研究開発職などの例外で対応すればいいでしょう。これまた、まずは幅広く緩い網をかけておいて、産別や個別の労使で実態にあった適切な制度を導入していけばいいのだろうと思います。
もう一つ、これは電子版の記事ですが、

 厚生労働省は、長時間労働の温床とされるサービス残業をなくすため、会社側の「暗黙の指示」で社員が自己啓発をした時間も労働時間として扱うことなどを求めた指針を作成した。指針の作成は電通社員の過労自殺を受けて同省が昨年末に公表した緊急の長時間労働対策の一環。指針に法的拘束力はないが、同省は労働基準監督署の監督指導などを通じて企業に守るよう徹底する方針。
 労働基準法違反容疑で書類送検された電通では、実際は働いていたのに残業時間を減らすため、自己啓発などを理由に会社にとどまる「私事在館」と申告していたことが問題となり、同社は原則禁止とした。…
 指針では労働時間について「使用者の指揮命令下に置かれている時間」と定義し、「使用者の明示または黙示の指示により労働者が業務に従事する時間は労働時間に当たる」との判断を示した。
 具体的には、業務に必要な資格取得の勉強や語学力向上の学習など自己啓発をした時間について、「海外転勤するんだから英語を勉強しろ」などの上司からの指示がなくても、そうした状況に追い込まれる暗黙の指示があれば労働時間に当たるとした。…
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG03H6H_T00C17A2CR8000/

明示だろうが黙示だろうが会社の指示でやってるなら自己啓発じゃなくて仕事だろ。仕事をするのに法制度の知識が必要であり、それを習得するために教科書や参考書で学ぶというのは、まあ仕事でしょう。ただまあそのすべてが本当に仕事に必要かという話はあり、直接は必要ないけれど興味を惹かれてより深く・広く勉強しましたというのは、さて仕事かどうかはっきりしません。ホワイトカラーの仕事というのは高度になればなるほど仕事と勉強の境界があいまいになるわけで、そこについては「使用者の指揮命令下に置かれている」判断の要素として会社構内にいるかどうか(当然拘束度は高い)といったことで判定するという知恵も必要かもしれません。電通のいわゆる「私事在館」は認めません、勉強したいなら社外に出てやってくださいというわけですね。これだと会社の設備や資材を使って個人的な関心事を学びたいというエンジニアの欲求には応えられないわけですが…。
もう一つ考えなければいけないのは、黙示というのは上司としては一切そんな指示しているつもりはないけれど部下はそういう指示があったと思い込んでいるというケースも想定されるわけで、そういうのはなかなか扱いが難しくなるでしょうね。記事にもあるような「海外転勤するんだから英語を勉強しろ」と明示的な指示はなく、上司は「海外転勤はいつかはあるかもしれないけれど英語はその時勉強すればいいよ」くらいに言っていて、しかし大半のマネージャーがキャリアパスとして海外駐在しているという実態があれば、部下はやはり自己啓発で英語を学ぼうとするでしょう。それは暗黙の指示といえるのか。
これに労働時間の上限規制が重なってくると、コンプライアンス上安全サイドに構えて「自己啓発も含めて上限規制内に収めなさい」とかいう話になりかねないわけで、それは学習意欲の高い労働者にとって本当にいい話なのかどうか。まあ少なくとも私はまっぴらですな。長時間労働対策も重要でしょうし世論が盛り上がっている間にあれこれ仕掛けたいというのも悪いたあ言いませんが、しかし息苦しい話だなとも思う。いいのかねえ。