均等待遇のむずかしさ

きのうの日経「経済教室」は、労働政策研究の重鎮、慶応大学商学部教授の樋口美雄先生が登場され、「均等待遇強化こそ本筋」と題して非正規労働問題を論じておられます。前半部分は、近年非正規雇用が増加したことで労働市場が二極化し、雇用調整のスピードが速くなったことを指摘しています。後半は、それに対する今後の政策の方向性です。そのキーワードは、表題にもあるように「均等待遇」です。

 確かに、派遣や有期雇用をすべて禁止し、正社員しか雇えなくなると、不安定労働の問題は目の前から消えるかもしれない。だがそうなると雇用が新たに創出されず、間接的に失業者が増える恐れがある。いま問われているのは、雇用の量の拡大と質の向上を同時に達成することであり、対症療法より労働市場の二極化を解消するための抜本的対策である正規と非正規の均等待遇の強化こそ必要だ。
(平成21年1月20日日本経済新聞朝刊「経済教室」から、以下同じ)

またずいぶんあっさりと書かれたものですが、実際にはなにをもって「均等」とするかというのは非常に難しい問題です。もちろん、企業としてみても、企業にとって価値ある労働に対して適切に報いていくことは従業員と組織の活性化のために非常に重要ですから、ここには大きな苦心があります。ただ、企業が労働の価値をどう考えるかは千差万別で、能力を重視する企業もあれば職務を重視する企業もあるでしょうし、成果を重視する企業もあるでしょう。もちろん、生計費も大切です。さらに、同じ企業の中でも、ある仕事については能力を、ある仕事については成果を重視するということも当然ありえます。一般管理は能力重視だけれど営業職は成果重視、などというのは普通にありふれているでしょう。
さらに、雇用が長期にわたる正社員などについては、雇用期間内での均衡、ということも当然考慮されます。未熟練な若年期は、短期的には教育コストを考えると賃金はかなり低くないと見合わないわけですが、そこは生計費なども考慮して高めに設定する。ある時点からは、短期的に見合う賃金よりは低く設定して、若い頃払いすぎた分を回収する。そして、先々賃金が上がることを約束することで、定着・長期勤続を促進する、という賃金制度はこれまた普通にみられます。賃金と貢献とは長期で見合っていればよい、能力向上が促進され、人材投資が流出しにくい制度設計にすることで生産性を高めよう、という考え方でしょう。
そして、それでは実際に労働の価値や貢献度を評価して賃金を適正に決めよう、ということになると、これがまた非常に難しい。これはかつての成果主義騒ぎのときに大いに思い知らされた企業が多いだろうと思います。成果に限らず、能力にしても職務価値にしても同じことでしょう。しかも、かたや新製品の設計をしているエンジニア、かたやマーケティングのプランをつくる企画マン、さまざまな仕事の人がいる中で、どれとどれの価値が同じか、ということになると、およそ基準を決めて測定して評価して比較して、などということが神ならぬ人間にできるわけがありません。そこでどうするかというと、職能資格とか職務等級とか、ある程度幅広なランクを設定する。ランク内では大きな差をつけず、ランク間ではランク内よりは差をつけるものの、それほど大きくはしない。明確な説明ができないような大きな差はつけない、というのは実務の常識と申せましょう。そして、ランク間移動(昇格)のような目に見える機会での相対的な比較を繰り返し実施していくことを通じて、組織内に「まあ、こんなものだよなあ」という一定の納得が得られる相場観を作り上げ、安定させていくわけです。もちろん、こうしたしょせんは感覚的な評価では、100%の納得など望むべくもありません。しかし、多くの仕事においては、いかに精密な評価基準を作り上げてみたところで、結局は100%の納得など得られませんし、基準をさらに精密にしてみたところが、出てきた結果は組織の実感からさらに外れてしまった、などという話もあるくらいです。
正規の中での均等待遇においてすらこれだけの困難と苦心があるわけですからそのうえ、「正規と非正規」の間にまで「均等」を持ち込もうとすると、これはまことに難問と申せましょう。そもそも、樋口先生ご指摘のように、現行のしくみだと正規と非正規は「二極化」する傾向があります。ということは、正規と非正規の間には両極端なくらいの違いがそもそも存在しているわけです。それだけ大きな違いがあるものについて「均等」といわれても実務的には対処不能でしょう。実務家としてみれば「違うものは違う」「違うのだから違って当然」としかいいようがないのではないでしょうか。このあたりは先般のパート労働法改正の際にも相当の議論があり、現実を無視した政治的圧力が強くかかる中、なんとか現行のような形に落ち着いた経緯もあるところです。

 「均等待遇」について、企業間の雇用条件に差がある以上、派遣労働者がどの企業に派遣されるかで不公平が生じるという問題が提起される。しかし必要なのは、派遣労働者の枠の中での公平性の確保ではなく、枠を超えた一般労働者も含めた公平性である。

これはどうなんでしょうか。まあ、派遣労働者なり求職者なりにしてみれば、賃金の高い企業に派遣され、あるいは採用されたのは自分がコンペティターに較べて優れていたからであり、したがって他の派遣労働者や求職者に較べて高い賃金を得て当然だ、という考え方はありうるでしょう。とはいえ、求人サイドにしてみれば、自社の賃金水準をふまえた賃金(これをどうやって決めるのかも実務的には大問題です)でしか募集をできず(均等待遇である以上、正規よりも高い賃金での求人も当然できないわけですよね?)、市場の需給の状況を労働条件設定に反映できないというのはいかにも理不尽です。これは市場の価格決定機能を著しく損ねるのではないかと思いますが、どんなものなのでしょうか。

 派遣先企業の責任が強化され、良好な雇用条件の派遣労働者が増えれば、そうでない企業に行こうとする人は減り、派遣労働者全体の処遇が改善される。職能資格などに基づき処遇が均等になれば、受け入れ企業は派遣会社に手数料を払う分だけ、派遣労働は割高な存在となり、派遣労働活用の本来の目的である緊急性や専門性が求められない場合は直接雇用に切り替えられ、派遣期間は短縮される。

うーん、これもどうなんでしょうか。短時間労働者や契約社員について正社員と同一の人事制度を適用する例は増えていて、正社員が職能資格制度であれば短時間労働者等も職能資格制度になるわけですが、派遣社員というのは建前としては特定の仕事ができる人、というスペックで派遣料金(派遣労働者の賃金のほか、派遣元の手数料なども含まれる)が派遣元から提示され、それを支払うことで派遣されてくるわけで、派遣社員の能力を派遣先企業の職能要件にあてはめてランク付けして賃金を決める、というのもなんとなくしっくりこないのですが。そうでもないのでしょうか?それで派遣料金が変わってくるというのもおかしな話のような気がしますし…。いずれにしても、職能要件は熟練のほかに多能工化なども重視されますから、すでに高い専門性を持って派遣料金も高い(こうした派遣社員は正社員より高賃金ということも往々にしてあるようです)派遣社員はともかくとして、そうでない派遣社員が高い職能資格に位置づけられることは考えにくく、それでどれほど賃金が上がるかどうかは微妙です(まあ、平均的には上がりそうな気はなんとなくしますが)。
それから、派遣労働者の賃金が上がれば需要が減るというのはそのとおりでしょうし、その場合、採用や管理の費用が手数料を下回れば派遣が直接雇用に置き換わっていくというのはありそうなことです。ただ、その大半は有期契約で、非正規であることに変わりはなさそうなので、これが「二極化」解消にどれほど効果があるかは疑問ではありますが。

 非正規労働者に対するセーフティーネット拡充も必要である。…欧州では、一定の条件さえ満たせば、失業保険の対象にならない人でも一般財源から給付を受けられる「失業扶助制度」が存在する。わが国でもモラルハザードが起きない工夫を施した上で、この種の制度導入を検討してよいだろう。

これはまことに同感で、雇用保険とはまた別の、福祉的給付としてこうしたものを設定することはおおいに検討に値すると思います。必ずしも失業者でなくとも、扶養家族の人数やそれによる就労の制約などを考慮に入れて、低収入の人にまで対象を拡大してもいいかもしれません。低所得者対策としては勤労所得税額控除も有力でしょう。

 ワークシェアリングについては、労働者の賃金が低下したり、人員削減に比べた人件費の十分な削減につながらなかったりすることが懸念されている。これに対し政府は、事業活動の縮小に追い込まれた企業が雇用を維持する際に助成する「雇用調整助成金制度」を活用し、実施企業に休業手当の一部を助成するとしている。中期的視点で雇用の安定につながるよう、認定の際、「仕事と生活の調和」促進の具体的計画を要件に加えてはどうか。
 ワークシェアリングを実施するには、時間管理や職務の見直し、均等処遇の促進、短時間正社員の増加を議論することになり、これを、今後の働き方の改革につなげていくことが望ましい。

ワークシェアリング、特にかつての政労使合意の際に提唱された「多様就業型ワークシェアリング」においては、非正規労働も重要な選択肢として位置づけられるわけなので、これも一応は非正規労働問題と申せましょう。もっとも、「中期的視点で雇用の安定につながるよう、(雇用調整助成金の)認定の際、「仕事と生活の調和」促進の具体的計画を要件に加えてはどうか」というのはよくわかりません。「仕事と生活の調和」を促進すると雇用が中期的に安定するのでしょうか?まあ、雇用調整をしている時期というのは、育児休暇や短時間勤務を利用しやすい環境ではありますので、雇調金の対象に有給の育児休業や短時間勤務を含めるとかいったことは考えられますし、仕事がなくて定時退場が続いているときだからこそ、仕事と生活の調和について考えてみませんか、という呼びかけをしてみてもいいかもしれません。しかし、それが「中期的視点で雇用の安定につながる」かというと、あまり関係ないような気がしますが…。
また、「ワークシェアリングを実施するには、時間管理や職務の見直し、均等処遇の促進、短時間正社員の増加を議論することになり、これを、今後の働き方の改革につなげていくことが望ましい」ということですが、「時間管理や職務の見直し」というのは具体的にどういうことなのでしょうか?まあ、労働時間を短縮するのだから当然それに応じて職務も見直すだろう、ということかもしれませんが、現状では雇用が過剰で各人に一人分の仕事がない、たとえば一人一日8時間の労働時間に対して6時間分の仕事しかないという状況でワークシェアリングをしようという話なのでしょうから、職務はそのままで6時間分の仕事を6時間でやって早く帰る、ということも多いのではないでしょうか。まあ、続けて「均等処遇の促進、短時間正社員の増加」ときますので、多様就業型ワークシェアリングを念頭においているのかもしれませんが…。
さて、このあとは非正規雇用問題からさらに離れて(いくように私には思えるのですが)英国のソーシャル・エンタープライズが紹介されます。話題としては興味深いものなのだろうとは思いますが、非正規労働や均等待遇との関係はよくわからず、これまでの議論との脈絡がわかりません。
まあ、最後はこういう一文で締めくくられていますので…

 従来、日本企業は、所得や生きがいを社員に保障し、人づくりを進める役割を果たしてきた。だがグローバル競争が激化する中、その機能が弱体化した。それを社会としてどう補っていくのか。国内外の環境変化を見据え、新たな資本主義社会のパラダイム形成に向けた総合的なパッケージ戦略が求められている。

ということで、「新たな資本主義社会のパラダイム形成に向けた総合的なパッケージ戦略」の一環として紹介された、ということなのかもしれません。ということは、この論考は非正規労働や均衡待遇にとどまらない、より大きなビジョンを示したものなのかもしれません。