最低賃金の改定

なんか非常に間が空いてしまいましたが「賃金事情」2614号(2011年9月5日号)に寄稿したエッセイを転載します。いやすでに今年の最賃の改定もすんでしまっているわけではなはだしく今さらの感がありますが。なおタグは労働政策と迷いましたがこちらにしました。
http://www.e-sanro.net/sri/books/chinginjijyou/a_contents/a_2011_09_05_H1_P3.pdf
ということでいきなり「この7月27日」ではじまりますが、これは2011年7月27日のことですのでどうかそのようにお読みいただければと存じます。

 この7月27日、中央最低賃金審議会が本年度の地域別最低賃金額改定の目安(中賃目安)を示しました。この目安にもとづいて機械的に試算すると全国平均で6円の引き上げになるとのことです。
 2007年の最低賃金法改正以前の最低賃金は、物価や賃金の上昇が少なかったこともあって伸び悩み、2001年から2006年の5年間で10円の引き上げにとどまっていました。2007年以降は、同年の改正で地域別最低賃金を決定する場合には生活保護との整合性にも配慮することとされたことを受け、2007年度が14円、2008年度が16円、2009年度が10円と大幅な引き上げが続き、昨年度は政労使の雇用戦略対話において名目3%・実質2%の経済成長を前提に早期に一律800円、2020年に平均1,000円を目指すことが合意されたこともあり、17円の引き上げとなりました。今年度の目安は、2007年以降からのペースに較べれば減速したものの、それ以前に較べればまだ高い水準といえそうです。
 さて、中賃目安については例年中央最低賃金審議会目安に関する小委員会で実質的な議論が行われ、労使の合意ができないままに公益委員見解が示され、これが中賃目安とされるという運営が定着しています。今年も同様で、労働者側委員は生計費水準に達しない最低賃金の絶対水準の低さや、雇用戦略対話で早期に800円との合意が成立した事実を重視して全国有額の目安を主張したのに対し、使用者側委員は経済情勢が厳しい中で賃金改定状況調査結果がAランク以外はマイナスとなっていることや、雇用戦略対話の合意の前提となっている経済成長が実現していないことなどを指摘して、ゼロ円目安が適当であると主張し、合意には至りませんでした。
 双方の主張を踏まえた公益委員の見解は、最低賃金生活保護の逆転が起きていない38県についてはAランク4円、B-Dランク1円が目安とされました。逆転している9都道府県については、昨年から引き続き逆転している5都道県(北海道、宮城、東京、神奈川、広島)については昨年度定めた予定年数(北海道2年、他4都県1年)での解消、新たに逆転が発生した4府県については2年以内での解消をはかるとされています。ただし、「地域の実情を踏まえて適切な審議が行われることを切に希望する」などの表現が随所にみられ、岩手、宮城、福島については据え置き、北海道・神奈川については解消予定の1年延長が念頭におかれているものと思われます。
 さて、今後、これを踏まえて各都道府県の地方最低賃金審議会で審議が行われることになりますが、公益委員見解も地方最低審議会に対して「その自主性を発揮することを強く希望する」と述べているように、必ずしも目安どおりに決まるとは限りません。昨年度も、引き上げ額は前述のとおり17円でしたが、中賃目安は15円でした。生活保護との乖離の解消や、雇用戦略対話での合意などを考えれば、「自主性の発揮」が最低賃金をより引き上げる方向に働くことは一応自然と言えそうです。もちろん、労使が合意の上で中賃目安以上の引き上げが実現するのであれば、それは基本的に望ましいことであろうと思います。
 しかし、残念ながら現実にはそうはなっていないことには注意が必要ではないかと思います。昨年度の地方最低賃金審議会の結審状況をみると、全会一致で決着したのはわずか8道県にとどまり、残り39都府県は多数決、しかも38都府県は使用者側委員全員反対の多数決となっています。これは一昨年度の16県に較べても非常に多く、最低賃金額を時間額表示に一本化した2002年度以降で最多となったとのことです。昨年度の中賃目安が地方の実態にてらして高すぎたのか、あるいは自主性の発揮が行き過ぎたのかはわかりませんが、各地で雇用戦略対話の合意を重視する労働側委員と前提となる経済成長が達成されていないことを重視する経営側委員の意見対立が先鋭だったらしく、合意ができた直後の審議ということも影響したのかもしれません。
 中賃目安も例年労使の合意ができていないことを思えば、地方でも合意ができないのは驚くことではないのかもしれませんが、とはいえ昨年度のような状況は労使の対話と合意を重視する三者構成主義の観点からみて好ましいこととはいえないでしょう。本年度は多くの地方で労使の合意が得られることを期待したいと思います。
 最低賃金生活保護の逆転については、前述のとおり本年度も新たに4府県で逆転が発生しています。これはつまり最低賃金を引き上げて逆転を解消したにもかかわらず、生活保護の水準も引き上げられることで再度逆転してしまう、ということが起きているということでしょう。小委員会の議論では、使用者側委員から「地域の使用者の心情を代弁すれば、『逃げ水』のようだ」との発言もあったようです。
 もちろん、生活保護生活保護で、その制度の趣旨を満足する水準を確保する必要があります。生活保護法はその目的を「生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長する」と定めており、その水準は「健康で文化的な生活水準を維持することができるものでなければならない」とされています。これに対して、最低賃金法はその目的を「賃金の低廉な労働者について、賃金の最低額を保障することにより、労働条件の改善を図り、もつて、労働者の生活の安定、労働力の質的向上及び事業の公正な競争の確保に資するとともに、国民経済の健全な発展に寄与する」と定めており、その水準は「労働者の生計費、類似の労働者の賃金及び通常の事業の賃金支払能力を考慮して定められなければならない」とされています。このように、制度の趣旨や水準決定の考え方が異なる中では、常に最低賃金生活保護を上回らなければならないと考えることには無理がありそうです。もちろん、生活保護最低賃金を上回ると「働かずに生活保護を受けたほうが得」ということになってしまい、就労促進の観点からは好ましくないわけですが、あまり性急に、杓子定規に考えることなく、経済情勢なども考慮しながら漸進的に取り組むべきものだと思われます。
 なお、今年の地方最低賃金審議会の審議にあたっては、昨今の円高も大いに懸念されるところです。2010年の日本の最低賃金が平均730円なのに対し、米国のそれは7.25ドルです。1ドル=100.7円で均衡する水準であり、昨今の1ドル=80円を切るような為替レートでは、米国の最低賃金は円換算で580円を下回ることになります。最低賃金が高いとされているフランスでも8.86ユーロであり、昨今の1ユーロ=110円という円高では円換算で1,000円を下回ります。つまり、わが国の最低賃金が2020年に本当に1,000円になれば、現在のフランスを上回ることになります(もちろん、その間フランスの最低賃金も上がると思われますが)。
 もちろん、最低賃金の国際比較においては購買力平価や各国内での相対的位置なども考慮に入れることが必要であり、単純な比較だけで議論すべきではないとしても、しかしここにも相当のウェイトが置かれざるを得ないことも間違いないでしょう。各地方において、公労使による十分慎重な議論が必要ではないかと思います。