『新時代の「日本的経営」』20年シンポジウム

慶應義塾大学産業研究所・商学会共催になる標記イベントが開催されましたので聴講してまいりました。福岡道生元日経連専務理事がパネルにご登壇されたのをはじめ、成瀬健生氏・大久保力氏・小柳勝二郎氏・荒川春氏・紀陸孝氏といった旧日経連の大物幹部OBが顔を揃え、かつてたいへん頼りにし指導もいただいた方々に再会できて非常にうれしく思いました。会場には佐野陽子先生はじめ慶応関係者の方はもちろんのこと、八代尚宏先生や都留康先生、守島基博先生、荒木尚志先生といった著名な研究者の方々や、ゼンセン同盟の逢見会長をはじめ労組関係者も参加しておられました。石川島播磨の伝説の労担・浅澤誠夫氏のお姿も見えました。
さて内容のほうは2部構成で、第1部は今回のオーラルヒストリーの中心メンバーである慶応の八代充史先生と香川大学経済学部准教授の島西智輝がその知見を紹介され、これに対してJILPTの鈴木誠先生と敬愛大学の高木朋代先生がコメントされました。
八代先生と島西先生のご報告のポイントを勝手にまとめますと、まず『新時代の「日本的経営」』の位置づけとして、89年以降の円高バブル崩壊後の不況の中で、日経連が1992年に確認した「長期的視野に立った経営」「人間中心(尊重)の経営」との理念を新たな経営環境のもとでどのように具体的に実践していくかを示すことが「新時代の…」プロジェクトの役割であったが、実際には当時の企業の実態をふまえた、いわば(当時の)現状追認的な提言であって、変化の直接の契機となったわけではない、ということがあげられます。つまり、実態として当時の日本企業の主流は「長期的視野」と「人間尊重」を理念としていたことから、日経連もそれを追認的に確認し、したがってこうした理念を持つ企業の取り組みを整理紹介することで十分に提言として成立しえたということではないかと思います。
次に、『新時代の…』の主たる関心事は賃金問題であり、当時の当事者たちも「定昇制度の廃止などが主に注目されるのではないかと考えていた」との証言もあるわけですが、それに反してもっぱら注目されたのは自社型雇用ポートフォリオ(以下必要ない限り「自社型」は省略)だった、ということです。さらに、これについては「非正規比率上昇・格差拡大の元凶」と言う読まれ方がある一方で「長期雇用が日本の労使関係の中心であることを確認」という読まれ方(私もこう読むべきと思いますし、当事者の意図もおおむねこちらだった)もあるなど多様な読まれ方を許すものとなっており、これは当時の日経連としても方向性が必ずしも明確でなかった、つまり日経連内部でも長期雇用をどの程度残すかなどについて温度差がある中で、規模間・業種間の相違を包含するという要請もあってニュートラルな記述となったことによるものだと述べられました。読まれ方についてはともかく、これはシンポジウム後のレセプションでも成瀬健生氏が強調しておられましたが、当時の急激な円高の中では輸出競争力の減退を食い止めるためには総額人件費管理が喫緊の課題であり、雇用ポートフォリオにせよ賃金制度にせよ(人件費の抑制もさることながら)主に人件費の変動費という要請に基づくものであったことは認識しておく必要はあるように思います。
もう一点、当時の時代背景として企業統治の問題がクローズアップされていたことが指摘されています。これはもともと企業不祥事から出てきた話ですが、当時は経済同友会に拠る宮内義彦氏を中心に(雑なまとめですが)「株主利益のためには解雇も当然」との議論も出てきていました。これに対して日経連は1997年の「ブルーバード・プラン」などで欧米型でない「第三の道」を主張するなどしており、『新時代の…』もまた従業員重視の企業統治を維持しながらの生き残りを模索するものであった、と指摘されました。実際、日経連はその後の企業統治に関する提言では資本市場によるガバナンスに並ぶものとして労働市場によるガバナンスをあげています。これは「労働市場で評価されない企業は人材が集まらなくなって存続が困難になるだろう」という理屈で、まさに今のワタミゼンショーに起きていることがそれだと言えなくもありません(まあどれほど効き目があるかという話はありますが)。
これに対して、JILPTの鈴木誠先生は本研究へのコメントとして、提言と実態は異なるものであることについては本研究も自覚的ではあるものの、賃金制度の部分を中心に提言と実態を一致したものとしていると批判されました。具体的には、現実には『能力主義管理』の想定した職能的資格制度ではなく能力的資格制度の導入が多かったと思われること、『新時代の…』についてもその後はその提言した「職務にリンクした職能資格制度」よりは成果主義・役割等級が拡大したことを指摘されています。『能力主義管理』から『新時代の…』に至る日経連の賃金制度に対するスタンスの推移を説明する史料として日経連職務分析センター編(1980)『新職能資格制度−設計と運用−』を紹介されており、正直なところもうすっかり忘れておりました(失礼)が今となってはこれも重要な史料なのかもしれません。続く高木朋代先生のコメントには申し上げたいことが多々ありますのであとでまとめて書きます。
さて第2部は慶應義塾長の清家篤先生の司会のもと、「『新時代の「日本的経営」』の現代的意義」と題して、中央大学佐藤博樹先生、JILPT理事長の菅野和夫先生、NPO法人働く文化ネット理事の鈴木不二一氏、元日経連専務理事の福岡道生氏という豪華な顔ぶれによるパネルディスカッションとなり、福岡氏を中心に非常に活発な意見交換が行われました。
「現代的意義」ということで雇用ポートフォリオ関連が中心となり、歴史と現在が交錯する場面も多くありましたがそれも含めて非常に興味深く面白いものでした。そのすべてをご紹介することは不可能なので、特に印象に残った点をいくつかご紹介したいと思います。
ひとつは、議論を通じて「雇用ポートフォリオの模式図は長期蓄積能力活用型と高度専門能力活用型、高度専門能力活用型と雇用柔軟型とが大いに重なり合い・重なった部分は(実線でなく)破線で表現されているなど、相互の移動が存在することを前提している(というか、注に「各グループ間の移動は可」と明記されている)が、現実には移動は起こらず固定化し、特に高度専門能力活用型は増えずに長期蓄積能力活用型と雇用柔軟型に二極化しており、このモデルは無効であった」という認識が支配的だったように思うのですがそれって本当かしら
いやもちろん事実関係としては大筋でそのとおりと思うのですが、とはいえ2005-2007年くらいの(力弱いながらも)好況期においては、このブログでも度々紹介しているように非正規雇用労働者の正社員登用はかなり活発に行われていましたし、昨今もそうした動きは目立ちはじめています(ユニクロが16,000人正社員登用するという話もありましたね)。たしかに外部労働市場を通じての移動はおそらくははかばかしくなく、それが二極化・固定化といった評価につながっているのかもしれませんが、内部労働市場を通じた移動は実はそれなりに起こっているのではないか。雇用柔軟型として入社した人がそこで働く間にある種の「高度専門能力活用型」に変わり、その能力を認められて長期蓄積能力活用型へと移行していったという図式はそれなりの規模であったのではないかと思います。
特に高度専門能力活用型については、これは佐藤博樹先生が指摘しておられましたが、その主たる供給源として長期蓄積能力活用型の中からその専門能力を生かして高度専門能力活用型に移行する人が想定されていたところ、そうした動きが少なかったことが、今日高度専門能力活用型が拡大していない要因だろうと思います。この間、その主たる理由が賃金水準はじめ処遇の問題であることも明らかになっているわけで、たとえば産業競争力会議のような場でも中小企業経営者の方から(意訳)「大企業をリストラされた技術者は中小企業ではぜひ欲しい人材だが中小企業では大企業のような賃金は出せない、その結果高報酬しかし超短期で海外企業に転職しているがこれは技術流出であり国益に反する、したがって国益のために政府が大企業と中小企業の賃金差額を補填するような制度を考えてほしい」という要望も出ているわけです。これはすなわち、中小企業の業況が好転して大企業退職者に対してそれなりに魅力的な水準の賃金を提示できれば(必ずしも前職を上回る必要はなく、魅力的な職務や地位、権限などで補うこともできるでしょう)外部労働市場を通じて移動する高度専門能力活用型が拡大する可能性を示唆します。残念ながら『新時代の…』が発表されて以降の20年はほぼ「失われた20年」でもあったのであり、こうした状況が出現することも期待しにくかったわけですが、この先も失われ続けると考えるのは悲観的すぎるでしょう。
ふたつめは佐藤博樹先生のご指摘で、雇用ポートフォリオの概念図は横軸に企業、縦軸に労働者の意向をとって長期−短期としているが、これは実は同じことではないか。海外研究で一般的なスキルの高/低と勤続の長/短(≒内部/外部調達)を2軸にとった分類と較べて不明確ではないか、という議論です。海外についてはあまりいい資料がみつからなかったのですが、JILPTの『雇用ポートフォリオ編成のメカニズム』という調査研究報告書(http://www.jil.go.jp/institute/reports/2014/0166.htm)で紹介されているものが参考になると思います(7ページの図表1-2-2。その前には佐藤先生が名前をあげられたアトキンソンのモデルも紹介されています)。この図に雇用ポートフォリオの三グループをあてはめると第I・IV象限が長期蓄積能力活用型、第II象限が高度蓄積能力活用型、第III象限が雇用柔軟型ということになるのでしょうか。
たしかにその方が明快ですが、おそらくわざわざ「企業・従業員」の2軸を立てた理由は(成瀬健生氏が語っておられるように)雇用ポートフォリオは、雇用する方、される方の合意の上に成立するということを(数直線上に並べるよりもさらに明確に)表現するところにあったのではないかと思われます。少なくとも内部労働市場的には企業が一方的に従業員が所属するグループを変更することはないし、おそらくは外部労働市場についても同様で特段の意識はなかったのでしょう。ただし、外部労働市場においては、これまた成瀬氏がレセプションで語っておられましたが、日経連も円高デフレの悪影響を過小評価していたため、想定以上にいわゆる「不本意非正規」が拡大してしまった…という事情ではなかったかと思います。
さてもうひとつ、これはかなり細かい話なのですがやはり佐藤博樹先生のご発言に関するもので、大意「1969年の『能力主義管理』の当時は企業の人事担当者は海外事例や海外の研究などを積極的に学んでいたが、1995年当時にはそうした形跡はなく怠惰になっている」とのご指摘についてです。
英文文献を読んでいたか、とかいう話においてはまことにそのとおりと思うのですがいくつかの事情は考えられ、ひとつは1995年には多くの企業はすでに海外展開を開始しており、とりあえず欧米の事情は各社の現地駐在員から聴取することが可能であった、ということです。もうひとつは、1969年にはまだ少なかった経営コンサルタント会社様の情報が1995年には容易に利用できるようになっており、まあ要するにアウトソーシングではありますから怠惰であるとのご指摘は甘受すべきかとは思いますが、まあ使えるものを使って悪いこともないでしょう。さらに怠惰の言い訳を重ねればこの間欧米におけるHR研究も大拡大したわけで、人事担当者としても大量にある情報のどれを利用すべきかというのは判断が難しい状態であったわけでして…もごもご。
ただまあここからは余談になりますが当時現地駐在員情報とコンサル情報のいずれかまたは双方を利用した企業というのが多数あると思うのですが、どういう情報を利用・信用したかによってパフォーマンスに違いがあったかどうかは非常に興味深いところです(私には経験にもとづく仮説があるのですがどういう仮説かは内緒です(笑))。そういう調査はないものだろうか、もしあればぜひご教示ください。
ということで内容のご紹介は以上にさせていただいて、最後にいくつか全体を通じての感想を書いてみたいと思います。
ひとつはやはり(いつものことながら)マクロ経済及び労働市場の動向が人事管理に与える影響が軽視されがちだ、ということがあります。さきほど書いた「以来20年グループ間の移動はなかった、したがって雇用ポートフォリオは無効であった」という議論もその一例です。繰り返しになりますが拓銀・山一が破綻して日本経済がどん底に突入するのは『新時代の…』発表2年後の1997年だったのです。
ほかにも、たとえば1969年の『能力主義管理』は高度成長末期という時代背景があり、たしかに当時すでに繊維などの構造不況業種においては余剰人員やポスト詰まりといった問題も顕在化していましたが、基本的には人手不足であり、特に高度人材は不足基調でした。そのためだと思いますが、以前も書いたように『能力主義管理』においては「従業員の能力を高めればその能力に応じた職務に配置できる」という暗黙の前提が感じられるように思います。つまり当時の時代背景では「能力給(職能給)≒職務給」という関係が成り立っていて、その上での鈴木先生ご指摘の「職能型資格制度」だっただろうと思うわけです。
ところがその後、1980年の『新職能資格制度』までの間に日本経済は2度のオイルショックを経験し、高度成長から安定成長へと移行しました。余剰人員やポスト詰まりが幅広い産業で顕在化し、そうした中では「職能型資格制度」が(成り行きで)「能力型」に変質したのも当然だったのではないでしょうか。
もうひとつは、まあこれは今日的な関心事項からして致し方のないことではあり、そもそも研究内容紹介で触れられたのがそれだけだったので当然の成り行きではあるのですが、議論の大半は雇用ポートフォリオに割かれ、賃金については若干の議論はあったものの、それ以外についてはまったく話題に上らなかった点です。
特に「動態的組織編成」については当時もそれなりに問題意識は高かったと記憶しているので、もう少し議論があってもよかったように思いました。もちろん、動態的組織については当時すでにまったく目新しいものではなく、むしろ1969年の『能力主義管理』の当時あるいはそれ以前に英米から輸入された考え方であったわけですし、実際『能力主義管理』にも言及があります。もっともこれはセクショナリズム官僚主義を排しコミュニケーションの改善と意思決定の迅速化をはかるといった趣旨で、事業部制やプロジェクト組織などが取り上げられていたと記憶しています(すみませんちょっとウラ取りさぼってます)。
その後、上記のようにオイルショックなどを通じて安定成長に移行し、とりあえず余剰人員の問題を切り抜けた後にも企業ではポスト詰まりの問題が拡大しました。それへの対応として、いわゆるスタッフ管理職の拡大や、フラット組織の導入などが進みました。要するに(身もふたもない言い方かもしれませんが)管理職ポストを増やせるだけ増やしてもまだ足りないなら、いっそのことその時々の必要最小限で増減させられるようにして、管理職になれるはずだけれどポストのない人はスタッフとして活用する、という方向に舵を切ったわけです。そして、場合によってはそういう人たちが高度専門能力活用型に移行して企業を離れていっても差し支えない、あるいは積極的に離れて行ってほしい、というのが『新時代の…』の背景にはあったのではないでしょうか。そう考えると、やはりまったく話にも上らなかった「複線型能力開発体系」などの記述も理解できるところがあるように思われます。
あとまあこれは書くかどうか迷ったのですがやはり書きますが、そりゃ春闘セミナーとかでお忙しい時期(特に今年は)だとは承知しておりますがそれにしても登壇された福岡氏をはじめ最初に書いたような錚々たる大先輩が多数来場されておられるわけですから経団連事務局はせめて一人くらい聞きに来たらどうかと思います。いや私が見落としていただけなら無礼をお詫びしますしそうであってほしいと思いますが。

能力主義管理―その理論と実践 日経連能力主義管理研究会報告

能力主義管理―その理論と実践 日経連能力主義管理研究会報告

『新時代の「日本的経営」−挑戦すべき方向とその具体策 : 新・日本的経営システム等研究プロジェクト報告』
新時代の「日本的経営」
『新時代の「日本的経営」』オーラルヒストリー:雇用多様化論の起源 (慶應義塾大学産業研究所選書 戦後労働史研究)

『新時代の「日本的経営」』オーラルヒストリー:雇用多様化論の起源 (慶應義塾大学産業研究所選書 戦後労働史研究)

新職能資格制度―設計と運用 (1980年)

新職能資格制度―設計と運用 (1980年)