金融経済の専門家、最低賃金を語る

ということなのですが全体版の配信は31日ということで、現時点では寄せられた順に各専門家の個別回答がバラバラと送信されている段階です。これまで回答があったのが信州大学経済学部教授の真壁昭夫氏と経済評論家の水牛健太郎氏、伊藤忠商事チーフエコノミストの中島精也氏です。現時点で全文コピペで紹介するのはJMMの営業上さすがにまずかろうと思いますので、一部分を取り出してコメントさせていただきたいと思います。ご関心を持たれましたらぜひhttps://griot-mag.jp/mypage/regist/gssTTbbsgTsssR4から購読をお申し込みください。無料です…と、突如としてJMMの回し者と化す私。
でまあ案の定と申しましょうか、金融経済の専門家なので最低賃金のことはよくおわかりにならずになんとなく回答されているのだろうなあと思うところも多いわけですが、そういう人はむしろ最賃の話以外の話をしたいと思っておられるようなフシもあり、であればそれでもいいということかもしれません。
まず信州大学経済学部教授の真壁昭夫氏ですが、

生活保護の給付額は、相応の生活が成立することを前提にした金額になっていますから、生活保護だけに依存していると殆ど余裕はできないでしょう。恐らく、生活保護だけでは家庭を持って、家族を維持することも難しいと考えます。
 最低賃金生活保護の逆転現象は、理屈から考えて合理性はありませんから、まず実施すべきことは全国的に最低賃金の水準を見直すことだと思います。具体的には、最低賃金水準を引き上げて逆転現象を解消する必要があります。

ということで、うんやっぱりわかってないよね(なにがわかってないかは本ブログの過去エントリをご参照ください)という感じなのですが、ただこの前段では最賃と生活保護の逆転はワークフェアの観点から好ましくないという趣旨の議論がされていて、それには私も同感するところです。
真壁氏はさらに、とはいえ単純に最賃を引き上げてしまうと経営が成り立たなくなる企業がたくさん出てきてしまうということを指摘し、続けて真壁氏の本論を展開されます。

…経済専門家の中には「従業員に最低賃金を払えないような企業はなくなっても構わない」という議論がありますが、そのロジックはやや乱暴だと思います。…解決策の中で最も大切なことの一つは、わが国が企業を強くするという意識を持つことだと思います。私たちの生活水準は、若干低下しているとはいうものの、世界的な水準から見ればかなり高いレベルにあると思います。私たちがそれなりの生活水準を維持できるのは、一部の例外を除くと、企業が付加価値を創出しているからです。企業が稼いだ収益を給与の格好で分配されているため、生活にそれなりのお金を掛けることが可能になっているのです。
 企業が強くなって、従業員に十分な給料を払うことができるようになれば、最低賃金を引き上げることにもそれ程の問題は生じないでしょう。また、失業などのために生活保護を受給する人の数も減ることでしょう。

御意。おおむね全力で賛同です。もちろん業績にかかわらず企業は労働者に一定の職務給を支払うべきとの意見もあるでしょうし、その立場に立てば「従業員に最低賃金を払えないような企業はなくなっても構わない」という議論になるわけですが、しかし現在のわが国においてどちらがより現実的な解決策かといえば明らかではないかと。
さて真壁氏のいたってまっとうな見解に較べると、経済評論家の水牛健太郎氏の見解はなかなかユニークです。

 生活保護の給付水準は憲法の定める「健康で文化的な最低限度の生活」を保証する額であるはずなので、最低賃金はそれを上回るのが当然でしょう。働いてなお「健康で文化的な」生活ができないというのは問題です。引き上げられるべきだと思います。

まあ金融経済の専門家であっても最低賃金についてはこんな感じでなんとなく議論されるのが普通だと考えるべきなのでしょう。まあこれを言いたいわけでもないでしょうしね。で、水牛氏が言いたいところはこういうことのようです。

最低賃金というものには、実はそれほど意味がないのではないかとも思います。
 生活保護の給付水準よりも最低賃金が上回るべきだとする主張の背景には、「働いて苦労しているのに」という感覚があります。要するに働くのは苦痛だから、その代償があるべきだということです。働くのが楽しくて有意義なことならば、生活保護より給料が安くてもなお、働く方がいいはずです。
 働くのが苦痛だという感覚は、もちろんよくわかります。私もそれほど恵まれた職業生活を送ってきたわけではないので、「こんなに苦しくてストレスも大きいのに」と思うわけです。
 だからちょっときれいごとに聞こえるかもしれないのですが、働くというのは本来、楽しくて有意義なことのはずでは? と思うのです。苦しくて嫌だから、その我慢代に給料をもらう。それでいいのでしょうか。実際に多くの仕事はそんなものですが、しかしそういう仕事ほど未来がありません。事実、嫌な時間の我慢代であれば、もっと安いお金でいっぱい我慢してくれる人が外国にたくさんいるものですから、どんどんそちらに仕事が流れていってしまうわけです。
 要するに我慢代じゃなくて、働き手が創造性を発揮するような、そして働き手を成長させるような、キャリアになるような仕事じゃなければ、今はもう国内に残りようがないのです。一部残った我慢仕事はいわゆる「最低賃金」に設定されるわけですが、そうした会社は経営がかつかつで、将来への展望もありません。

ここまであっけらかんと「働くのが楽しくて有意義なことならば、生活保護より給料が安くてもなお、働く方がいいはずです。」なんて言い切られてしまうとかえって毒気を抜かれるというか。私は力が抜けてしまいましたので各位適宜叩いて論評していただければと思います。しかしまあフロンティア云々の人たちも同じような発想なのかなあ。
続いて伊藤忠商事チーフエコノミストの中島精也氏ですが…。

 最低賃金につきましては、2007年当時、経済財政諮問会議の下部組織である「成長力底上げ戦略推進円卓会議」に黒子としてレポート作成等に係わりましたので、その経験から意見を述べたいと思います。

とのことで、さすがに

 最低賃金の決定方法ですが、先ず、中央最低賃金審議会なるものが、最低賃金の引き上げ幅を審議して目安額を答申、それに基づき、地方最低賃金審議会が各都道府県の引き上げ幅を決定するという仕組みになっています。
 中央最低賃金審議会で目安額を算定する根拠ですが、次の3つの要素、労働者の生計費、類似の賃金、そして事業主の賃金支払能力からなっています。…

と、前のお二人に較べると正確な知識で論じようとしておられます。その上で、

…当時、最も疑問に思っていたことは、最低賃金を決めるのに、事業主の賃金支払能力が入っていることでした。
 そもそも最低賃金は労働者の生計を支えるに足る下限の賃金であり、それ以下の賃金は許されるべきではないと考えていました。
最低賃金は労働者の生計費のみで絶対水準を決めるべきであると思います。

と主張しておられます。現行最低賃金がなぜ3要素で決定されるのかについて理解されているのかどうかわかりませんが、理解した上であってもなお「生計費のみで決めるべき」という考え方はありうるとは思います。単身世帯が増加していることもあり、もはや世帯単位での生計費確保という発想は時代遅れだとの主張にも一理はあるでしょう(まあ、一方の生活保護において売れないタレントの母親が生活保護を受けていたところ当該タレントが売れっ子になったにもかかわらずこれを受給し続けていたのがけしからんと言って袋叩きになるようなわが国の社会慣行(もちろん善し悪しは別です)からしてまだまだ受け入れられにくい発想であろうとは思いますが)。
ただ、最低賃金生活保護を上回るようにガイドするというのは上でも書いたようにワークフェアの観点からは妥当だと思いますが、しかしこれを硬直的に制度化すると生活保護が引き上がると自動的に最賃も引き上がるということになってしまって労働政策としては筋が悪いように思えます。また、これも繰り返し書いているように最賃を上げても労働時間が短ければ収入は少なくなるわけですし、そもそも失業者には直接影響しないわけで、救貧政策としても適切とは思えません。私は最賃は生活保護を緩やかなガイドラインとして3要素で決定すればよく、それで最低生計費を満足しないのであれば端的に別途の福祉的給付で対応することが適当であると考えています。