労使関係の味方

野川忍先生がツイッターhttp://twitter.com/theophil21/)で「労使関係の味方」と題して連続ツイートされています。労働新聞に掲載された原稿のダイジェストとのことで、記事についてはhamachan先生がブログ(http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-9e60.html)で取り上げられているそうです。
(オリジナルを尊重すべきかとも思いましたが読みやすさを考慮して投稿順に建て直し、本文以外の情報は削除しました)

 濱口桂一郎先生が、労働新聞の拙稿についてブログで紹介してくださった。濱口先生の周到な目配りには本当に頭が下がるが、せっかくのご厚意なので、ここでも拙稿のさわりをダイジェスト版で連続ツイートする。
 労働法を専攻しています、などというと、労働組合の旗振り役か、あるいは逆に経営者に知恵をつける家老役か、というように色眼鏡で見られることも少なくない。確かに、かつては労働法といえばイデオロギーが優先すると見られ、法律学としての地位は高くなかった。
 しかし、現在では労働法は、法学の独立した一分野としての地位を確立している。それでは、労働法の研究者としてお前は労使のいずれに対しても全く中立か、どちらの味方でもないか、と問われる折には、いつも「私は労使関係の味方です」と答えている。
 憲法で保護されている労働組合を、「わが社には必要ない」と公言してはばからない時代錯誤の経営者があとを絶たず、労働組合といえば政治運動の道具のように考えるイデオローグもまだ根強い勢力を保っている。
 しかし、労働組合の結成と、団体交渉を中心とした労使関係の構築とが憲法によって促されているのは、労使関係こそが経済社会の要だからである。
 もともと労働契約関係は、働く側は本質的に生身の個人でしかありえないのに、雇う側はほぼ常に会社・社団であるという不均衡な関係であり、それを放置すれば社会的混乱が生じるという歴史的事実があった。
 労働組合は、このゆがんだ関係を健全な対等関係にするために認められた世界標準の存在であり、成熟した先進国であればあるほど、労働組合と使用者とが織りなす労使関係は経済社会の核を形成している。よき資本主義のお手本とされているフィンランドしかり、デンマークしかり。
 労働組合が労働者を代表して使用者と交渉し、両者の対等な交渉による合意のもとで労働条件その他の労働者の処遇や労使関係のルールが確立されていく、というのは、健全な市場経済を展開する上ではごく自然で当たり前の姿である。
 この自然な姿が日本では必ずしも健やかに発展してこなかった。その原因はさまざまに求められようが、だからといって労使関係そのものが不必要なわけではない。むしろ、憲法が示す労使関係のモデルに近づくことは、労使双方にとって限りない実りをもたらすはずである。
 以上が、拙稿のダイジェスト版です。本当は法律学にも労働法にも研究者にも向いていない(恥ずかしながら詩人か小説家かせめて文学者になりたかった…)のですが、労働法学者としては、今後も労でも使でもなく、「労使関係の味方」でいたいと思っています。
http://twitter.com/theophil21/status/8356581498425344http://twitter.com/theophil21/status/8358984088031232

hamachan先生はこれには「付け加えることは何もありません」としたうえで、「若い頃に労働運動を政治運動の道具と考えていたような手合いに限って、経営者になったり経済学者になってから労働組合を敵視するような気もしますが」と皮肉っておられます。経済学者はなんとなく誰のことか見当がつきますが(笑)、経営者って誰だろう?
さてhamachan先生は「付け加えることは何もありません」とのことで、もちろん私もこれには大筋ではたいへん共感するものです。まあ、細かいことを言えばフィンランドデンマークが「よき資本主義のお手本」とまで言われるとどうかなあと思いますし、「憲法が示す労使関係のモデル」が産業別労組だとすれば「限りない実り」とまでは言えないかなとも思いますが、このあたりはいつも書くようにツイッターが制約の強いメディアだという事情もありましょう。
そのうえで若干の感想を書きますと、「労使関係こそが経済社会の要」というのも私はまったく同感なのですが、この認識が世間で十分に共有されていないのが問題なのかなあと思いました。実際、だいたい20年前くらいには「産業平和」とか「労使は社会の安定帯」とか、労使の間でも経営サイドの中でも当たり前に使われていて、いや労使関係の中では今でも普通に言っているかと思っていたのですが、ぐぐってみるとあまりヒットしない(産業平和はほとんどヒットしない)んですね。まあ争議も減ったしなあと思わなくもありませんが、それにしても労使関係なんて経済社会の中ではどうでもいいものだと思われつつあるのだろうか、そうかそれで労働研究者でない経済学者とかが労働問題で幅を利かせだしたのかなどと弱気になる私。
ということで(どういうことだ)私は人事屋なので当然ながら使用者の味方であるわけですが、それと同時に労使関係の味方であるとも思っております…野川先生の意味とはあるいは異なるかもしれませんが。労使は当然立場が異なるわけですが、それはすなわち敵味方であることを意味しません(もちろんいつでも敵味方になりうる緊張関係にあるの(あるべき)ではありますが)。むしろ、立場の違いを認識したうえで(政)労使が十分に協議し、互譲の精神をもって、交渉と妥協を通じて「労働条件その他の労働者の処遇や労使関係のルールが確立されていく」のが成熟した労使関係の姿であって、労使はともにこうした労使関係の味方となりうるでしょう。
ですから、一連のツイートの直前に野川先生がつぶやかれた

 派遣法改正は結局先送り。通常国会も混乱が予想されることを踏まえると、法案の仕切り直しも想定すべきであろう。派遣労働者の多くが有期雇用でもあることから、現在労政審で審議されている有期契約労働者のための法整備の動きと対応させながら中身の再点検を行うことが望まれる。
http://twitter.com/theophil21/status/8318004848754688

というのもまったく同感なのですが、いっぽうでこれはこれでまがりなりにも労使の代表が参加した審議会で合意しているわけですから、そのまま成立するのが正論だとも思います。もちろん、改正の内容は適切でないと考えますので改正法成立後すぐに再改正の検討をはじめるべきだくらいには思っていますし(まああまりすぐに再改正するのもじゃああれは何だったんだということになりますが)、野川先生が言われるように国会から「今から思えば当時は頭に血が上っていたし、環境も変わり、有期雇用の検討も進んでいるから、労使であらためて考え直しなさい」と差し戻していただくことがもっとも好ましいとも思います。逆に、国会の多数派工作や大衆の歓心を得て支持率を上げるとかいったことのためにあれこれと手を突っ込まれるのは最悪だとも思うわけです。