ニッセイ基礎研シンポジウム

 さて戻ってまいりました、ということで概況をご紹介します。きのうのエントリにも書きましたがいずれニッセイ基礎研のサイトに概要が載る(のではなかろうか)と思いますのでより正確にはそちらをご参照ください。
 最初に北川正恭早稲田大学教授・前三重県知事による講演がありまして、まあ典型的な政治家の演説というのが第一の感想です。演題はたしか「地域と日本のつくり直し」といったものだったと思いますが(すみません手元に当日資料がありません)、中心的な主張は「国として産業経済の発展成長を期する時期には中央集権的な政治体制が適合するが、成熟経済・知識経済化したこんにちの日本には地方分権的な体制がふさわしい」というもので、そのシフトを実現するために国民一人ひとりが自分のできる・関心のあることを行動に移そう、という趣旨のことを複雑系理論の例え話である「北京で蝶々がはばたくとニューヨークでハリケーンが起こる」を使ってしきりに強調しておられました。で、続くパネルディスカッションへの接続を意識していただいたのか、「雇用・労働の分野においても一からのつくり直しが必要であり、その内容はパネルで専門家の方々が議論されるだろう」とも述べられました。
過去繰り返し書いてきたように私は「根本的」とかいう言説の多くには懐疑的なので、北川先生の話も雇用・労働に関してはそんなもんかねえと思って聞いていたわけではありますが*1、いずれにしても北川先生のような大政治家が国民の政治参加を説くのはきわめて適切かつ重要なことだと思いますし、実際最初はミクロな運動が拡大して大きなムーヴメントになるというのは過去多くの国で観察されてきたわけで、そのプロセスにリーダーシップを発揮する、あるいはサポートするというのも政治家の大切な役割なのだろうと思います。まあ派遣村のように意味もあったけれど結果的におかしな方向に進んでしまうということもあるわけですが。
これを1時間にわたって、まったく中だるみすることなく、聴衆を飽きさせずに語りきられ、いやさすがに練達の政治家の雄弁というのはすごいなあということで冒頭のような感想となったわけです。事前打ち合わせの際の北川先生のお話も非常に興味深いもので、バイタリティーとオーラが全身から発していて、いや政治的カリスマというのはこういうものかと感心することしきりでした。いやもちろん政策論の当否は別問題なのですが。
さて後段は私も出講したパネルとなったわけですが、まず阪大の大竹文雄先生が「正社員と非正社員の問題をどう解決するか」「長時間労働の何が問題か」「賃金への規制は何をもたらすか」をテーマにキーノートスピーチに立たれました。
具体的には、まず「正社員と非正社員の問題をどう解決するか」に関しては2009年の雇用調整は企業が長期雇用を維持しつつ要員の最適化をはかるために非正規労働が増加した段階で予定されていたものであること、男性・若年の非正規の増加したことが大きな問題とされた要因であること、非正規労働は諸外国でも増加しており、規制緩和や「小泉改革」の結果ではないことなどがデータをもとに説明されました。そのうえで、雇用は安定するが拘束度の強い正社員と、雇用は不安定だが自由度の高い非正社員に二極化していることが問題であることを指摘され、非正規雇用の勤続を長期化させるべく5年、10年といった長期の任期付雇用を認めることを提案されました。規制強化はかえって雇用を減らし、あるいは規制回避のために一層の不安定化が進むおそれがあること、正規労働者が非正規労働者を考慮するしくみが必要だとの見解を示されました。
長時間労働の何が問題か」に関しては、まず1990年代のわが国の労働時間短縮は主に外交上の要請によって進められたものであり、必ずしもすべての労働者が望んだものではないこと、近年では長時間労働者と短時間労働者の二極化が進んでおり、その要因は労働時間管理の困難なホワイトカラー労働者の増加にあると指摘されました。続けて、先延ばし行動をとる人ほど長時間労働をする傾向があり、特に管理職・専門職で顕著だというご自身の調査結果を紹介され、好んで長時間労働する人は先延ばし行動がその原因となっている可能性があるため、それをやめさせるには(法的規制より)残業をすることが少しでも面倒な手続きにしたり、ライトを消したりすること、健康管理は管理職の責任だというシステムを設計することなどが効果的だろうと述べられました。
「賃金への規制は何をもたらすか」に関しては、理論的には労働市場が買手独占で最低賃金が買手独占の時の賃金より高く、完全競争の時の賃金より低ければ、雇用量も賃金も増加すること、実証的にも米国の著名な研究でそれが検証されたこと、しかしその後の研究では引き上げから時間が経つと雇用に悪影響が観察されていることなどが紹介されました。さらに「最低賃金で働いている人の多くはパートで働く中年の女性」「最低賃金引き上げによって10代男性および既婚中年女性の雇用が失われ、在学中の高校生の就業率が上がる」といった一橋大の川口先生の研究結果が紹介され、当座の財政支出をともなわない最低賃金引き上げは政治的には魅力的な選択肢だろうが、貧困対策としての効果は低いこと、それにより失業が増えることになれば結果的に財政支出を増やすことになることが指摘されました。
続いてパネルに移りましたが、「正社員と非正社員の問題をどう解決するか」については東大の水町勇一郎先生が最初に発言され、整理解雇の「高度の必要性」に関しては、現実には裁判所は使用者の見解を重視していること、予測可能性の向上につながる解雇・雇止めルールの(必ずしも強化・緩和ではなく)明確化と公正な運用、非正規の教育訓練などを実施して失業リスクを低減させた事業主に雇用保険料率の引き下げなどのインセンティブを与えることなどを提案されました(後者については大竹先生から「現に失業を多発させた事業主の料率を上げることのほうが経済学的には合理的」との意見があったと思います)。
次に私が発言を求められたのですが、実は事前の打ち合わせの際に「発言は3分以内、最大4分」とクギを刺されており、それに対してここでは言いたいことが多々あったので、かなり緊張しました。結局早口でベラベラとまくしたてることとなってしまい果たしてどれだけ伝わったやら。まあ内容はこのブロクでさんざん書いてきたことと同じで、現行の正社員のような働き方に対しては現行の法的保護はやはり必要であること、非正規の問題点は端的にキャリアの不在であること、キャリア形成・技能向上にはまず非正規の雇用を長期化させることが重要なこと、現行正社員ほど拘束度が高くなく、保護も強くない多様な「正社員」が可能となる法整備を行うことで非正規のキャリアコースをつくるべきだということを申し上げたと思います。
時間の関係で言い切れなかったことを少し書いておきますと、大竹先生が「正社員が非正規を考慮するしくみ」として「正社員の労務費削減を非正規社員削減の必要条件とする」「非正規社員を削減するのであれば、正社員も一定程度削減しなければならない」といったルールの設定を提案されたのですが、前者については残業減や賞与減という形で端的に現に起きており、後者については現行正社員の強い拘束度と解雇規制とがセットになっている以上、現行の正規−非正規の枠組みとの不整合が大きく現実的ではないと思われます。ただ、多様な「正社員」が実現すれば、非正規労働が削減される際には並行してこれら多様な「正社員」の削減も行われるでしょうから、この枠組みの中では大竹先生の言われるようなことが結果的に起こるだろうとは思います(これは最後の会場からの質疑応答の際に少し話したと思います)*2
続いてニッセイ基礎研の松浦民恵先生が発言されましたが、実はそのように直前まで早口でまくしたてていた(なんとかギリギリ4分に収まったと思いますが、数秒超過したかもしれませんが…)のでぼんやりしていてあまりよく覚えておりません(すみません)。いやこういうふうにゆっくり話さないといけないよなあとか思っておりました。正規・非正規の二極化といっても、大企業と違って中小企業ではそれほどの違いはないのではないか、それにもかかわらず法制度などの議論が大企業の実態を前提に行われていることが問題ではないか、といった提起をされていたかと思います。非正規労働の最大の問題はキャリア、能力形成であることは支持していただいたと記憶しています。
次に「長時間労働の何が問題か」に論点が移りましたが、私は依然としてぼんやりモード&ここも当然に水町先生からご発言されるだろうと油断していたところ、モデレータを務められたニッセイ基礎研の臼杵政治先生がいきなり私を指名されたので、とりあえずおろおろとうろたえる私。ただここは「正規・非正規」ほど述べたい内容が多いわけでもないので気を取り直し、ホワイトカラー労働は労働時間に該当するかしないか微妙なグレーゾーンがたくさんあること、使用者にも確定は困難で自己申告によるしかないこと、利用目的に応じた労働時間概念の複線化を検討すべきこと、長時間労働者の中には自らの関心や能力向上のために業務指示を超えて「仕事」をしたいと考えている人も一定数いること、そういう人が働きやすい働き方として、労働時間と賃金支払の関係は切断するが、それに応じた適切な規制を追加したホワイトカラー・エグゼンプションが必要であり、それが政治的に葬られてしまったのは残念だったことなどを述べました。まあこのブログでいつも書いているようなことです(大竹先生からは、必要性には同意するが、実現するためには「ホワイトカラー・エグゼンプション」という名称をやめなければダメだよねというご意見がありました。そのとおりかと思います)。
松浦先生からは、長時間労働ワークライフバランスの観点からやはり問題であること、時間あたり生産性が低いことが問題であり(これは「先延ばし行動→長時間労働」という大竹説と整合的)、人事管理を人数あたり生産性から時間あたり生産性重視に切り替えるべきであることなどの発言がありました。
水町先生は、長時間労働には生命、健康といったより人間的な価値を侵襲するというより根本的な問題点があり一定の実効ある規制が必要であると指摘され、その方法としては職場レベルの労使による計画的な取組みを通じて長時間労働(による健康被害)を減少させた事業主に対して健康保険・労災保険の保険料率を引き下げるなどのインセンティヴを与えることを提案されました。
続いて「賃金への規制は何をもたらすか」に移り、松浦先生が最初に発言されました。大竹先生の議論が経済学の理論と実証にもとづくものであったのでそれに対しては妥当との見解であること、解雇規制の緩和より先に、賃金・労働水準一般を低下させうる柔軟性を拡大することが必要ではないかとの問題提起がありました。
水町先生も、貧困対策としてただちに最賃を上げるのは乱暴だとの見解を示され、欧州の経験として実情は地域別に限らずむしろ産業別に多様であり、欧州ではこれに対して産別の労使が協定して最賃を決めていることを紹介されました。これに対して日本は産別交渉の体制が整っていないことを指摘されつつ、将来的には欧州型の産業別最賃を公正労働基準として(貧困対策ではなく)設定すべきとの意見を述べられました。
私が最後になりましたが、まず昨今の円高の進展により、現行の為替レートで換算するといつぞやのエントリ(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20100927)でも書いたように日本の最賃は国際比較上も低くないこと、この状況で最賃を引き上げるのは逆噴射であることは自明であることを申し上げました。これだけ言うつもりだったのですが、打順が後だったことを利用して、水町先生の主張する産別最賃について「同一産業でも業績が違えば賃金水準が違うのが当然というわが国の価値観に産別最賃が公正労働基準としてなじむのかどうかには疑問がある」と逆らってみました。
その後質疑となりましたが、私には「働き方の多様化が必要というが、すでに多様化しており、その結果が非正規労働問題ではないのか?」というご質問と「解雇規制が競争力低下の原因ではないのか?」というご質問が割り当てられました。
すでに時間がなくなりつつあったこともあり十分な回答はできなかったのですが、前者の質問に対しては、現行の非正規労働より良好な雇用形態はまだいくつか考えられること、それに近い先進事例がすでにある(パネルの中でスーパー大手のパートタイマーについて言及していました)ので、それを普及させていくこととそれを支持する環境整備が必要だと申し上げました(この流れで、それが結果的に大竹先生の言われるような「非正規が削減される際には、『正社員』も一定割合削減されるということにもつながる、と申し上げたわけです)。後者については、自由に解雇したいのであれば、正社員に今のような働き方は期待できませんよ、転勤に応じない、スキルやノウハウを独占して他人に教えない、人員削減につながるような生産性向上活動はやらない、そうなってもなお解雇自由のほうが競争力が高まるならそれもいいかもしれないが、私はそうは思わないから同意はできませんよと申し上げたかと思います。なお、これは私にはあたらなかったのですが、水町先生が長時間労働関係の質問への回答で「労働時間概念の複線化」を支持してくれたのは非常に心強いものがありました。
ということで、この手のパネルというのは時間が延びるのが恒例だと思うのですが、今回はモデレータの臼杵先生の巧みな進行により、ほぼ時間ぴったりで終わりました。
さて全体を通じての感想ですが、まあこの顔ぶれでやればこんなふうになるだろうなという感じで、ある意味予定調和的なところはあったと思いますが、当面のホットイシューである非正規労働、長時間労働最低賃金(貧困)の問題について、事実をもとに頭を整理していただくという意味では有益なものになったのではないかと思います(まあポジショントークというか、我田引水ですけどね)。少なくとも、非正規労働が問題だから禁止すれば解決するというものではないよねとか、正社員の雇用(や労働条件)が安定しているのは非正規社員がいてくれるおかげなんだなとか、長時間労働は自分がやりたいんだから勝手でいいってものじゃないんだなとか、最低賃金を引き上げても喜ぶ人の大半は家庭の主婦なのかとか言ったことは理解してもらえたのではないかと思います。まあすでに理解していることかもしれませんし、そういうことを理解している人が来るシンポジウムなのかもしれませんが。逆に、内部留保を取り崩して賃上げしろとか、好況・好業績時に労働分配率が低下するのはけしからんとか、新自由主義小泉改革が格差拡大と貧困の元凶だとかいう話を聞きたい人にはつまらないシンポジウムだっただろうなと、つーかそれこそそんな人はこんなとこ来ないか…。

*1:もっとも、北川先生ご自身も、自分はその分野には素人でまったくわからないが、そう想像する、と明言しておられましたので、たいへん誠実な態度をとっておられたといえると思います。

*2:なお大竹先生がもう一つ提案されていた「失業率(特に若年失業率)が上がれば所得税率が上がる仕組み→非正規労働者に対するセーフティーネットの強化、雇用創出、所得再分配」というのは、理屈はわかるのですが、しかし失業率が上昇するのはもっぱら不況期であり、不況期に所得税率を上げる=増税するってのはいかがなものかなという素朴な印象があります。まあすでに雇用保険料率は失業増≒不況時に上がりやすい設計になっているわけなのでその程度の軽微な増税なら影響はそれほどないかもしれませんが。