「働き方改革」の先にあるもの

聞くところによるとなにやら各地で講演して「間もなく非正規にも昇給や賞与・退職金の支給が必要になりますから経営者のみなさんはきちんと準備しておくように」と説いて回っている労働法学者というのがいるらしく困ったものだ。この前の土曜日にはNHKの「ニュース深読み」でも働き方改革の長時間の特集が放送され、山田久さんや常見陽平さんが非常に的確な指摘をされていて国民の理解を促すにはたいへん有益だと思いましたが(まあダメなのもいたが)、しかしその結果としてどうなるのかという未来像については、まあ脳天気とまでは言わないもののしかしかなり楽観的な見通しが示されていて、正直本当に大丈夫なのかとは思いました。いや放送局も政府からあれこれ言われて大変だというのはあーこらこらこらこら、もちろん必要以上に悲観的に考えるのも良くないわけですが、一方で社会のありようが大きく変化する可能性もあり(だから公共政策タグにした)、実際の推進には相当に慎重な扱いが必要なことも間違いないと思います。
働き方改革の各項目は相互に関連しているわけではありますが、とりあえずまずは長時間労働から考えてみましょう。「ニュース深読み」は画面下に視聴者のツイッターによるリアクションが流れて、これがまた各人の実感がこもっていて番組より面白いというか面白おかしいこらこらこら、まあなかなかに興味深いわけですが、長時間労働の理由についても「そもそも仕事量が多すぎて時間内に終わらない」というものもあれば「出世をめざす以上は仕方がない」「残業代が生活の前提になっている」といったものもありました。たぶん本当に仕事が好きで長時間労働している人というのもいるでしょう。もちろん雇用維持のためのバッファーというのもかねてから指摘されているところです。
さてその規制については、もちろんその水準や規制範囲によって影響は大きく異なるわけですが、とりあえず幹部候補生としてゼネラルマネージャーやスーパープロフェッショナル(?)をめざすエリートたちにまで厳格な上限規制を行うことは現実的ではないでしょう。海外でもそういうエリートたちは基本的にワーカホリックであり、ワークライフバランスフリクションを抱えているのが普通です(もちろん長時間労働しなくてもファストトラックを走る人というのも少数でしょうがいるでしょうし、働き方のメリハリという話もあることはあるでしょうが)。つまり、長時間労働を規制するということは、その規制を受けずに長時間労働ができる特権階級たるエリートの範囲を決めるということでもあるわけです。
わが国の人事管理の特徴はおそらくその範囲がきわめて広いところで、まあ大卒のホワイトカラーやエンジニアであれば全員幹部候補生で4年に1人は社長になれるという人事管理になっているわけです。その中では、優れた才能と素質を持ち、めざましい成果を上げる人が賞賛を受けるいっぽう、それほどの素養はなくとも長期間・長時間勤勉に業務に精励した人もいつかは幹部として処遇され「頑張れば報われる」ことをよしとしてきた歴史があるわけです。長時間労働を規制するということはこうした価値観を転換し、幹部を目指せるのは相当に優れた資質を有し、長時間労働の適用外となる少数のエリートに限り、そうでない人は長時間労働もできないし幹部にもなれませんという社会に移行するということにほかなりません。もちろん現実には欧米などではむしろそちらが普通であって決して悪いというわけではなく、高度成長期のように幹部候補生の太宗が概ね本当に幹部になれていた時期であれば格別、現在のような低成長下では幹部ポストにありつけない人のほうがむしろ多いくらいのが実情という状況下でこうしたやり方がフェアなのかという考え方もあるでしょう。
また、長時間労働規制の実効性という面からは、(そこがはっきりしていないことが手伝い残業やつきあい残業を招くという批判があることを考慮すれば)規制に服する人たちについては職務や業務範囲を明確化してそれ以外の仕事をする必要はない・してはならないという人事管理を導入することが望まれるでしょう。要するにジョブ型でスローキャリアの限定正社員ということになりそうです。
この場合は、残業代が減ったり、昇進昇格の可能性が限定されたりすることで、収入が減少することが避けられないわけですが、まあしかし長時間労働がなくなるわけですし、昇進昇格がなければその分仕事の負担も軽いわけなので致し方ないと考えるよりないのかもしれません。実はもうひとつ重大な減収の危険性があるのですがそれは後述することにして同一労働同一賃金の話に移ります。
そこで同一労働同一賃金ですが、いかにわが国の実情に合わないかという話はこれまで何度もくだくだと書いてきたので繰り返しません。労働組合ですら、UAゼンセン同盟が「労働内容以外、働き方等の要素を考慮する必要性」と主張し、「同一キャリア同一賃金」とまで言っているわけで、わが国では「同一労働同一賃金」ではなく「同一キャリア同一賃金」が規範として定着していることを考えると、それを強引に覆そうとしたら悲惨な結果しか待っていないでしょう。
まず考えなければならないのは正社員の賃金への影響で、数少ない推進論者ですら中長期的な影響は否定できないわけですし、いかに「労働法は労働条件の引き下げで格差を是正することは許さない」と言ったとしても、現実にそれで赤字転落するとかいうことになれば何らかの対応は避けられません(「ニュース深読み」でも「正社員の賃下げに使われるだけ」というツイートが流れていたな)。特に正社員の賞与の減額で対応した場合は、そもそも従来のわが国では減益時に賞与が減額されることが当然であることを考えれば、経営判断でない非正規の賃金上昇→減益→正社員の賞与減というのを裁判所が認めないとは考えにくいものがあります。
もちろん、繰り返し指摘されているように「同一労働ではない」ことを明確化するために企業が非正規雇用の職域をさらに厳格に隔離することも懸念されます。これは当然ながら非正規雇用労働者の技能形成という面でも正社員登用の可能性という面でもきわめて大きな弊害をもたらすものです。昇給を求めることでそれを回避するための雇止めが誘発されることも覚悟しなければならないでしょう(まあこれは覚悟の上かもしらん)。
また、上で書いたように、労働時間規制の導入にともなって多くの正社員がスローキャリアのジョブ型限定正社員となった場合には、同一労働の比較対象は当然ながらエリート正社員ではなく限定正社員になるでしょう。このとき、「業績への貢献を理由に正社員に賞与が支給されているのであれば、非正規であっても業績への貢献があれば賞与が支給されるべき」といった話になると、「だったら限定正社員にも賞与を支給しない。エリート正社員とは明らかに業績への貢献度が異なる」ということになりかねません。というか、欧米ではむしろそれが当たり前であり、日本の現状が特殊なのです。つまり、長時間労働規制と同一労働同一賃金を導入することによって、今後の正社員の多くが残業代と昇進昇格と賞与を失うことになりかねないわけです。その一方で、職域の隔離が困難な非正規社員が限定正社員に登用されるハードルはかなり低くなりますので、長時間労働がないという働き方の面も含めて、非正規から正規へのハードルは低くなるかもしれません。
ということで、やはり簡単に言えば限られた少数のエリートは長時間労働を厭わず働き、専業主夫・婦と結婚し、高い地位と収入を得てオペラを見たり地中海でのバカンスを楽しんだりするいっぽう、大多数の一般庶民は夫婦共働きでほどほどに働いてワークライフバランスも良好になるので家事も分担し、地位も収入もあまり上がることもなく、休暇は市営プールに通うという社会になるんでしょうか。格差はなにもしなければ拡大することは目に見えていますし、企業の福利厚生も縮小するでしょうから再分配政策の強化も必要になるでしょう。いっぽうで監督をしっかりやれば(それは今でも同じだという声もありますが)ブラック企業をなくすことはできるかもしれません。低成長しか望めなくなったわが国ではしょせん従来のような社会は維持できないのだから、だったら諸外国にならうのが自然だというような話もどこかで聞いたような気もします。
あとはまあ特権階級たるエリートをどう選ぶかということですが、欧米で一般的なのはもちろん学歴(とそれと関係の深い職業資格)ということになります。わが国でも公務員試験とかはありますので受け入れられないこともないかもしれませんが、しかしかつての総合商社の指定校制度に対する批判などを思い返すと、これまたかなりの葛藤はありそうな気はします。
まあ一長一短ありますし、その善し悪しや必然性は別としても、これはライフスタイルだけではなく、国民の価値観や意識、社会構造を大きく変えることは間違いなく、非常に移行コストの高い話になりますので、現実を見ながら(特に経済や雇用失業情勢に十分に留意しつつ)時間をかけて慎重に取り組むことが絶対的に必要になるでしょう。本来であれば労使が認識を共有して工程表をつくり、調整・修正を重ねながら漸進的に取り組むべきものではないかと思われ、行政にはそれを促し支えることをお願いしたいのですが、まあ短期的な成果のほしい政治としてみればなにを悠長なということなのかもしれません。とはいえ、無理をするとたいへんな社会不安、混乱を招くおそれが強いので、くれぐれも短気を起こすことのないようお願いしたいものです。