飯田経夫『豊かさとは何か−現代社会の視点』

「労政時報」第3773号(5/14号)の「‶人事のプロ"が薦める15冊 第一線で活躍する8人が選ぶ「私を育てた成長本」」という特集に寄稿したものです。
https://www.rosei.jp/contents/detail/25768
副題に「現代社会の視点」とありますが、1980年当時の「現代社会」ですから、今となってはさすがに古い内容もあります。というか若い人が読んでもなんのことかわからない話も多いかもしれません。当たっていない予言もあります(当たった予想もありますが)。それでもなお、今日依然として通用する内容を多く含む本であり、「1980年時点でここまで言っていたのか」と思わせる内容もあります。広くおすすめすることがいい本かどうか迷いましたが、特集名にある「私を育てた成長本」を1冊選ぶならこれだろう、ということで取り上げました。ということでいささか自己満足の気配のある書評ですが、まあそれでいいのだろうと勝手に思っています。なお版元品切のようですが、たくさん売れた本なのでユーズドは容易に入手できるようです。

「豊かさ」とは何か―現代社会の視点 (講談社現代新書 581)

「豊かさ」とは何か―現代社会の視点 (講談社現代新書 581)

 1981年4月、私は経済学を学ぶべく大学の門をくぐった。当時はいわゆる日米自動車摩擦をはじめとする通商問題が深刻化しており、入学の直前にはUAW(全米自動車労組)の組合員がハンマーで日本車を打ち壊す姿が報じられた。1979年には、EUの前身であるECの文書が日本人を「ウサギ小屋に住む仕事中毒」と表現したことが伝えられていた。「低賃金・低生活水準でひたすら働き、輸出で外貨を稼ぐ遅れた国」。これが国際社会における日本の評価であり、日本国内でもこの評価を受け入れるのが大勢だった。
 さて私は入学後、とりあえず、という気分で「日本経済」に関する本を数冊手に取った。図書館に行き、比較的新しいものを選んだ中に、前年(1980年)6月に出た本書があった。
 「日本は遅れている」「日本人はまだまだ貧しい」…当時の新聞やテレビが伝えるこういった考え方を疑いもせずうのみにしていた青二才の私にとって、「日本は進んでいる」「日本人はすでに十分豊かだ」と主張するこの本は十分に衝撃的だった。「ウサギ小屋」に住む日本人は少数だし、問題は日本人の「働きすぎ」ではなく欧米人の「サボりすぎ」のほうだ。「産業社会」が大成功した結果、人々は「飢えと失業の恐怖」から解放され、「ごく普通の庶民は、安んじてサボることができ、心おきなく不平不満を語ることができるようになる」、これこそが人類の達成した「前例のない豊かさ」なのだ。日本でも若者は「小粒」になり、気宇壮大さを失い、ふがいなくなったが、これこそがわれわれが追求してきた「豊かさ」なのだ。そして、「手帳にぎっしりと書き込まれたスケジュールをにらみながら、その消化に追いまくられるわれわれ自身の生活は、何と胃の痛くなるような無理の連続であろうか。」われわれの手にした「豊かさ」とは、これをはじめとする多数の「異常な無理」をあえてすることによって実現されたのだ。──すべてが当時の私にとっては新鮮であり、まさに目を洗われる思いであった。通説を疑い、「ひとたび固定観念を捨て、古びた抽象語で考えることを止めて、好奇の目で身のまわりを具体的に観察しさえすれば、多くの物事はずいぶんちがった形をしてみえるだろう」というこの本の一節は、当時から今にいたるまで私の胸に常にある──そのとおりに行動できているかどうかは別としても。
 さて、私は1985年4月に大学を無事卒業して就職し、4年間の事業所勤務の後、人事部に異動となった。結局、以来現在まで人事畑を歩むことになるのだが、その経験を通じて、私はこの本のこの記述を強く実感することになった。
 「私は、日本という国の特色は、(引用者註:人の上に立つ人ではない)『ヒラの人』たちもまた非常に真面目に働くというところにあるのではないかと思う。」もっとも、これは日本人が特別にすばらしいわけではない。「自分の仕事に真面目に対すれば、改善を心掛けるようになる。さまざまな改善が積みかさねられれば、仕事の進め方は、たとえ同業でも、他社とはかなりちがったものになるだろう。そういう仕事の進め方を体得した人は、その企業では大いに有用だが、他企業へ移ればあまり役に立たない。そこで、同じ職場に長く勤め、そこで昇進していく傾向が強い…──という『内部労働市場』論は、まるで日本の『年功序列・終身雇用』制のことをいっているようにみえる。しかし驚くなかれ、じつはそれは、アメリカの労働経済学者が、アメリカ企業の実態調査にもとづいて、近年唱えている有力な見解なのである。」欧米でも同じことなのだが、しかし日本では多くの人がそうなのに対して、欧米ではそうではなくなってしまった。それはなぜか。「たとえば、社長が『ヒラ』とはくらべものにならない高所得を得たり、大卒が中卒の何倍もの高給を食んだりするようでは、割りを食う側としては、とうてい真面目に働く気にはならないではないか。食堂がブルーカラーとホワイトカラーとで別であるとか、幹部候補生は決して『汚ない仕事』には手を染めないとかの慣行についても、まったく同じことではあるまいか。」つまり、「動機づけ」こそが大切なのだ。この本は人事管理の本ではないから、これ以上のことは書いていないが、しかしその考え方はまことに大切なポイントを突いているように思われる。
 この本に出会ってから、私は飯田経夫先生の本が出るたびに手に取るようになった。そしておおむねどの本からも期待に違わぬ新鮮な驚きを得ることができたし、後から思い出して「そういえば」と感じたことも一度や二度ではない。1986年の『日本経済はどこへ行くのか−危うい豊かさと繁栄の中で』には、「(マネーゲームや投機の)すべてが悪いとは言わない。…ただ、問題はバランスである。そういう要素が過度のウェートを占めるようになるのは、やはり好ましいことではない。率直にいって、近年における銀行の急速な変貌に、私はそのにおいを感じる」などと、のちのバブル崩壊を見通すかのような指摘があるし、1990年の『半径1メートルから見た日本経済』では、「すでに十分に豊か」な中でなお「豊かさの実感がない」と訴える人々に対して「足るを知る」ことの叡智が説かれ、「『不平不満を並べ立てたが、思えばあの頃がピークで、いちばんよかった』ということに、なりはしないか」と警告している。「およそ人間は、命令では動かない。では…」と表紙に大書された1991年の『経済学誕生』、1992年、当時ソニー会長だった森田昭夫氏が発表した論文「日本的経営が危ない」に真っ向から反論して議論を呼び起こした論文「競争の手をゆるめるな」にもとづく章を含む1993年の『日本経済の目標』などは、この時期に労働政策とのかかわりを持ちはじめた私にとって、考え方のバックボーンを与えてくれた本である。
 本書に戻れば、たしかにこれはすでにかなり古くなった本だから、結果をみれば外れているところもあるし、いま現在の人事担当者にとっては背景の不明な部分も多いだろう。ただ、その基本的な考え方は約30年を経た現在でも十分に通用しよう。あえてご紹介したゆえんである。