佐藤博樹編『働くことと学ぶこと』

「キャリアデザインマガジン」第94号に掲載した書評を転載します。

働くことと学ぶこと―能力開発と人材活用

働くことと学ぶこと―能力開発と人材活用

 本書はみずほ情報総研への経済産業省の委託調査として2005年に実施された「働き方と学び方に関する調査」の結果をもとにした論文集である。事業所調査中心の既存調査の限界を超えるべく実施された個人調査だが、「正規・非正規」といった就労形態や転職経験の有無・回数、自己啓発の有無といった一般的な項目だけでなく、「最初の三年間」に着目した設問や「仕事が自分に向いていると感じた」「必死で働いた」「仕事をやり遂げたと感じた」などといった主観的な事項に関する設問、さらには「中学三年時の成績の自己評価」など、執筆者それぞれの関心事項や分析手法をふまえた設問を多数織り込んでいる点にも特徴がある。
 したがって、各章の内容もそれぞれに執筆者の個性と関心が反映されたユニークなものとなっている。第1章は本書全体の解題という趣の章であり、正社員・非正社員の能力開発の比較を中心に調査結果が概観されるとともに、後続の各章が明らかにした諸点とそれに基づく政策的含意が紹介される。
 第2章は「最初の三年」の重要性に着目する。初職開始後の三年間で「仕事が自分に向いている」と感じる適職経験を得ることが、その後の就業の継続や所得水準などに良好な影響をもたらすこと、適職経験を得やすいのは、学歴の高い人、中三時成績自己評価の高い人、最初の三年に最も必死に働いた人、最初の三年に同一企業に勤続した人などであることが明らかにされる。
 第3章は「必死で働いた」経験に着目している。「必死で働いた」経験は所得や昇進において明らかにプラスの影響を及ぼしている。また、上司やメンターの指導や相談機会の得られる職場ほどその影響は大きく、上司や同僚とのコミュニケーションのもとで必死に働く経験がより有意義であると指摘する。
 第4章では、能力開発、特に集中的なOff-JTや自己啓発といった集中的な能力開発が就業率や収入に与える効果が男女別・年代別・訓練の時期別に分析される。就業率については部分的にプラスの効果が確認されるが、40代以上についてはOff-JTが失業確率を高めていることが確認される。これはこの年代で早期退職前提の研修が実施されていることを示唆する。また、一般的に収入への有意な影響はないとされることの多い自己啓発について、この調査では女性については長期的に自己啓発が収入にプラスの影響を与えるという結果を得ているのは興味深い。
 第5章は「最初の三年間」の経験が女性の就業継続に与える影響を分析する。最初の三年間に適職経験や達成経験、「目標となる人の存在」がプラスの影響を与えている。また、初職が能力開発に積極的な職場であることは、男性に対しては就業継続を促すが、女性に対しては阻害するとの結果は興味深い。これは能力開発に積極的な職場ほど離職可能性・勤続期待をふまえた男女格差が存在することを示唆するという。
 第6章は「最初の三年間」の就労形態と能力開発に着目する。初職が非正社員であることは平均的には不利だが、非正社員でも能力開発が充実した職場も多く、それは正社員への転換を促進する。就業形態より、職場が能力開発に積極的かどうかのほうが重要である。
 第7章では、どのような企業が能力開発を積極的に行っているかが分析される。人手不足や納期に追われるといった労働環境の厳しい企業では職場での指導が行われにくく、チームワークで働く職場ではそれが行われやすい。制度化されていることの多いOff-JTにはこうした傾向はみられない。また、正規・非正規を問わず、能力開発に意欲的な個人ほど職場での指導が行われやすい。能力開発の行われやすい職場環境整備が望まれるという。
 各章が明らかにした知見はいずれも興味深いものであり、また実務実感とも一致する部分が多く、その点で説得的でもある。とりわけ、職業キャリアの初期である「最初の三年間」の大切さや、正社員・非正社員といった就労形態の違い以上に、正社員・非正社員それぞれに対して能力開発を積極的に行う職場かどうかの違いがその後に大きく影響するといった知見は重要なように思われる。就業や所得に良好な影響を及ぼす「適職経験」を得られやすいのは最初の三年間を一つの企業で勤続した人だが(第2章)、いっぽうで初職が非正社員の場合は最初の三年以内に勤務先を変えることが正社員転換を促す(第6章)のだ。「石の上にも三年」があてはまるかどうかは、ひとえにその職場が能力開発に積極的か否かにかかっている。能力開発をしない職場にはさっさと見切りをつけることのほうが大切なのだろう。こうした知見が今後の産業政策や雇用政策に大いに生かされることを期待したい。
 計量分析の駆使された研究書なので、広くお薦めできる本ではないかもしれないが、「企業は人材育成の余力を失っている」「非正規労働は育てられずに使い捨てられている」などの一律的な俗説を排する上でも有意義な本といえるだろう。