東京財団「新時代の日本的雇用政策」その2 驚異・脅威・狂気

昨日のエントリの続きで、東京財団の「新時代の日本的雇用政策〜世界一質の高い労働を目指して〜」という政策提言を取り上げます。
http://www.tkfd.or.jp/admin/files/2009-14.pdf
今日はその中の「【5】有期雇用の制度」をご紹介するのですが、様々な意味であっと驚く、とにかく驚異的で脅威的で狂気的な代物です。
とりあえずその「政策提言」をみてみますと、

(政策提言)
・「いつでも切ることができ、給料も安く、一生懸命働く労働者」などは存在し得ないという認識を経営者に持たせるために、有期雇用について、使用者が労働者に対し、無期雇用への雇用契約転換の期待あるいは契約の反復更新への期待、を持たせた場合には無期雇用とみなす旨を法律で規定する
・有期雇用の期間を制限しない。ただし、3年を超える部分については労働者側からは期間の定めのない契約の時と同様の手続きで辞められるものとする

いきなり「「いつでも切ることができ、給料も安く、一生懸命働く労働者」などは存在し得ない」という、きわめて情緒的で感情剥き出しの文言が「政策提言」として記載されていることに驚きを禁じえないのですが、それほどに強い義憤を感じておられるということなのでしょう。したがって、この部分の本文は論理を装ってはいるものの本質的には感情論に終始しています。
最初からみていきますと、まずは日本の有期雇用法制の概要が紹介されます。

 有期雇用とは、期間の定めのある雇用契約による労働を指す。日本の法制度では、有期雇用はその契約期間に3年の上限があるほか、契約の締結については原則自由となっている。ただし、判例法により、契約期間満了時の更新拒否に解雇権濫用法理を類推適用し、合理的理由のない更新拒否の効力を否定する、いわゆる「雇止め法理」が存在し、事後規制型といえる。
 ヨーロッパ諸国では、有期雇用は劣悪な雇用形態であるという価値観に基づき、有期雇用への制限が厳しい法制度となっている。具体的には、有期契約の締結自体に合理的理由(臨時的な業務、一時休業者の代替など)を要求する事前規制や、有期契約の更新回数を一定回数以下に制限したり、更新を含めて有期契約を利用できる期間を制限したりする等の事後規制がかけられている。なお、アメリカは事前についても事後についても規制はない。

 日本の有期雇用に関する法制度は、欧州諸国とは異なり、「有期雇用は悪で、なるべく排除すべきもの」といった考え方をとってこなかった。有期雇用と無期雇用の比率はどの程度が最適かは企業ごとに当然に異なり、その意味では現在の制度は効率的である。無期雇用の解雇が制限されている状況では、使用者サイドの有期雇用へのニーズが発生することは当然である。そのニーズ自体を、有期雇用・無期雇用の法制度を変えることによって消滅させようとすることには相当な無理が伴うため慎重でなければならない。
http://www.tkfd.or.jp/admin/files/2009-14.pdf

有期雇用は劣悪な雇用形態であり、有期雇用は悪で、なるべく排除すべきものという書き手の見解が明らかに示されていますが、ここまでは事実関係としては要領のいいまとめと申せましょう。
問題はここからです。

 ただし、使用者と労働者の何らかの認識のズレによって、効率的でない状況が現在生じているとすれば問題である。その点、リーマンショック以降の有期契約の途中解除、雇止めの大量発生で明らかになったことは、使用者と、有期雇用の労働者との間に大きな認識ギャップがあるという点である。
 具体的には、有期雇用の労働者のうち多くの人が正社員への契約の転換に大きな期待をしつつ働いていた一方、使用者からみれば、「不況が来たから契約を終了した。法律には則っている」とドライに考えていたという、認識のギャップである。

 通常、正社員への契約の転換の期待を持つ有期雇用の労働者は、その期待が強ければ強いほど実際に払われる賃金以上の努力を労働の現場で払うこととなる。職場において「認められる」ためである。その分、使用者は利益を得ることができるが、こうした状況は労働者個人にとってマイナスであるだけでなく、経済全体にとっても非効率である。また、実際リーマンショック後に起こったように、この認識のギャップが紛争の種ともなる。
 日本の有期雇用の法制度を前提とした場合、有期雇用の労働者は、使用者サイドから見ればどこまでいっても「いつでも切れる」労働者である。にもかかわらず、労働者に対しては正社員への移行をほのめかし、賃金以上の努力を労働者に行わせているのが現状は(ママ)改める必要がある。

まず、「こうした状況は…経済全体にとっても非効率である」についてですが、経済学の理論なりモデルなりではたぶんそのとおりなのでしょう。ただ、人事担当者にしてみれば、「実際に払われる賃金以上の努力」といわれても、そもそもこれだけの「努力」だったら賃金はいくら、ってどうやって決めるの?というのが実感でしょう。努力が必ず成果につながるわけでもないし、成果だって正確に金額で測定できるわけじゃないし、しかも何人もの人が関わった結果としての成果となると、だれの貢献がどれだけ、なんて決められるわけでもないし…などなど、疑問は尽きません。
それから、リーマンショック以降の有期契約の途中解除、雇止めの大量発生で「明らかになった」ということですが、本当に明らかになったのなら証拠をみせてくれ、証拠を。「正社員への契約の転換に大きな期待」というのは、「正社員になれればいいなあ」といった「希望」レベルの話ではなく、「かなりの確率でなれるだろう」という「期待」でなければ、これに続く話が合いません。ところが、ウェブ上をざっと検索しても非正規労働者の意識調査結果が多数みつかりますが、「有期雇用の労働者のうち多くの人が正社員への契約の転換に大きな期待をしつつ働いていた」を支持する結果をみつけるのはなかなか困難なようです(その逆の結果は多数みつかるのですが)。比較的多いのは「多くの人が次回の契約更新に大きな期待をしつつ働いていた」ことを支持する結果で、これは実務実感にも一致していると申せましょう。
これに対し、「使用者からみれば、「不況が来たから契約を終了した。法律には則っている」とドライに考えていた」については、不況が深まるにつれて「次回の更新」に不安を感じる人が増えているという調査結果もあり、「認識のギャップ」はもちろん一部にはあったにせよ、かなりの部分では有期契約の労働者・使用者双方に共有されていたというのが事実に近いのではないでしょうか。
続く「日本の有期雇用の法制度を前提とした場合、有期雇用の労働者は、使用者サイドから見ればどこまでいっても「いつでも切れる」労働者である。」ってのが大間違いであることは本ブログの読者のみなさまには申し上げるまでもないでしょう。「日本の有期雇用の法制度を前提とした場合」ってのがなければ、まだしも「実態はそうなんだ」と強弁することもできたのでしょうが。このあたり、書き手は城繁幸氏並みのレベルですな(失礼、ってどっちに失礼だ?)。まあ、たしかに、今回の景気後退では有期雇用や派遣契約の中途解約が横行しましたから、それに近い実態もかなりの部分であったわけですが…。

 このような状況に対し、どのような政策対応が考えられるのだろうか。法制度としては二つのパターンが考えられる。
 一つは、有期雇用は有期雇用として、契約期間終了後使用者と労働者の合意がなかった場合には、一切雇用継続を認めないことを法的に明確にすることである。もちろん、このことは両者の合意があった際に再契約の締結を妨げるものではない。現在は判例法として「雇止め法理」が存在し、有期契約の更新拒否に解雇権濫用法理を類推適用し、合理的理由のない更新拒否の効力は否定されることがあるが、そういった判例法による事後的救済は一切認めないということを法律によって明確にするという解決方法である。そうすることで有期雇用の労働者にそのような期待を持たせることを排除し、正社員になることを望む有期雇用労働者の目を、内部での過剰な努力ではなく、転職活動や外部でのスキルアップに向けるインセンティブを与える。使用者にとっては、そのような労働者の無期雇用への期待を利用して利潤を得ることはできなくなる。「いつでも切ることができ、給料も安く、一生懸命働く労働者」などは存在し得ないという認識を経営者が持つことで雇用方針にも大きな影響を与えることになるであろう。

なにに「あっと驚いた」かと言って、いちばん驚いたのがここです。論旨はかなりとんでもないにもかかわらず、結論としてはまことに適切な政策提言となっているからです。「有期雇用は有期雇用として、契約期間終了後使用者と労働者の合意がなかった場合には、一切雇用継続を認めないことを法的に明確にすることである。もちろん、このことは両者の合意があった際に再契約の締結を妨げるものではない。現在は判例法として「雇止め法理」が存在し、有期契約の更新拒否に解雇権濫用法理を類推適用し、合理的理由のない更新拒否の効力は否定されることがあるが、そういった判例法による事後的救済は一切認めないということを法律によって明確にする」、これこそ、今のわが国で最も必要とされている政策ではないかと思います
この提言ではこの適切な提案を、本当に言いたい提案の「捨て案」として提示していて、きわめてもったいない限りなのですが、まずはなぜこの「捨て案」こそが重要適切なのかを書いておきます。
労使双方における長期雇用のメリットを生かしつつ、景気や需要の変動に対応していくためには、雇止めによって雇用量の調整が可能な有期契約の労働力を一定割合(適切な割合は産業・企業によって異なる)保有しておくことはぜひとも必要になります。すなわち、雇止めは有期契約労働の実務的本質であって、これは何回契約を更新し、何年就労が継続しようが、基本的には不変です。世間には二十数回契約を更新して十何年勤続しているという有期契約労働者も一定数存在し、部外者が外形的にみれば「正社員となにが違うんだ」と思われることもわからないではないのですが、しかしそこには「雇止め可能性」という点で人事管理上大きな違いがあります。
もっとも、このように「部外者が外形的にみて」疑問を感じるような実態を放置しておくことは、純粋に人事管理上の問題として考えれば、怠慢のそしりを免れません。提言も指摘するように「現在は判例法として「雇止め法理」が存在し、有期契約の更新拒否に解雇権濫用法理を類推適用し、合理的理由のない更新拒否の効力は否定されることがある」ため、いよいよ雇止めが必要となったときに紛争となったり、最悪の場合雇止めができず、企業の存続を危うくしてしまう危険性があるからです。
そこで、気の利いた人事担当者なら、こうした「雇止め法理」に抵触しないよう、根拠の薄いデ・ファクト・スタンダードである「更新2回、期間3年」を目途として予防的な雇止めを行のが一般的になっています。この場合、職場も本人も継続しての就労を希望しているにもかかわらず、人事担当者が雇止め可能性確保のためにこれを認めない、という実態も数多いようです。
これはもちろん、企業としてはやむを得ない対応なのですが、しかしその弊害もかなり大きなものがあります。契約更新を繰り返して長期に勤続している有期契約労働者の中では、長期に就労する中で、OJTを通じてかなりの程度知識やスキル、ノウハウを蓄積している人も珍しくありません。実際、企業としても、ある程度長期の勤続が期待できそうな人だと考えれば、OJTを中心にかなりの能力開発投資を行うインセンティブを持ちます(それが結果的にますます正社員に近く見えるようになるわけですが)。そうなると、いざ本当に雇止めが必要だ、ということになっても、人選の段階でそうした人たちはその蓄積された能力ゆえに雇止めされにくい、順番が最後の方になる、ということにもなります。たしかに有期契約ですから雇止めの可能性は常にありますが、しかし能力形成も雇用の安定も相当程度まで好循環の形で実現できるわけです。
ところが、それが3年を目途に予防的に雇止めされる可能性が高いとなると、職場としてもなかなか人材育成を行おうというインセンティブが働きにくいでしょうし、そうなるとどうしても程々のスキルしか必要としないような低付加価値の仕事につけるようになるでしょう。したがって能力は伸びず、雇用も安定しない、しかも有期契約労働が低技能の仕事に固定されやすくなり「二極化」につながるという悪循環を招きます。
こうした問題を解決するためには、予防的な雇止めを不要とする、すなわち予防的な雇止めが必要となるような制約をなくす、つまり「有期雇用は有期雇用として、契約期間終了後使用者と労働者の合意がなかった場合には、一切雇用継続を認めないことを法的に明確にする」「合理的理由のない更新拒否の効力は否定されることがあるが、そういった判例法による事後的救済は一切認めないということを法律によって明確にする」ことが必要だ、ということになるわけです。
さて、提言に戻りますと、残念ながらこの提言は前述のように実務を通じたOJTという観点が欠落していますので、上記のような議論はまったく行われておらず、この適切きわまりない提案を「捨て案」にしてしまっています。この適切な提案についても、以下に再掲するような見当違いな根拠を付しているだけにとどまっています。まず、

 そうすることで有期雇用の労働者にそのような(引用者註:正社員への移行?)期待を持たせることを排除し、正社員になることを望む有期雇用労働者の目を、内部での過剰な努力ではなく、転職活動や外部でのスキルアップに向けるインセンティブを与える。

「そのような期待」ってどんな期待なんですか?文脈からすると註記したように正社員に移行することの期待のようなんですが、「契約期間終了後使用者と労働者の合意がなかった場合には、一切雇用継続を認めないことを法的に明確にする」ことによって失われる「期待」は、「契約が反復更新されることによって解雇権濫用法理の類推適用によって雇止めに対する保護が高まる」などのみに過ぎません。別に反復更新による解雇権濫用法理の類推適用がなくなったからといって、正社員登用試験を受けて登用される可能性がなくなるわけではありませんし、なくすべきでもないでしょう。
また、百歩譲って仮の仮に反復更新による解雇権濫用法理の類推適用がなくなったことで正社員登用の期待がなくなるとしたところで、「正社員になることを望む有期雇用労働者の目を、内部での過剰な努力ではなく、転職活動や外部でのスキルアップに向けるインセンティブを与える」という効果がどれほど現れるのかも疑問です(もちろん、「過剰な」努力がある程度減少するなどの効果はいくらかは現れるでしょうが)。なぜなら、正社員としての転職をはかろうとするときに、現実に重視されるのはまず前職などの経歴であることが多いからです。提言は徹底的に軽視していますが、OJTを通じて得られる能力は決して小さいものではなく、労働市場においても、たとえば「○○社の営業で5年務め、これこれの実績を上げました」という職歴は「外部でのスキルアップ」と同様程度、あるいはそれ以上に重視されているのが実情と思われます。
さらに続く、

 使用者にとっては、そのような労働者の無期雇用への期待を利用して利潤を得ることはできなくなる。「いつでも切ることができ、給料も安く、一生懸命働く労働者」などは存在し得ないという認識を経営者が持つことで雇用方針にも大きな影響を与えることになるであろう。

いやもちろん、「有期雇用は有期雇用として、契約期間終了後使用者と労働者の合意がなかった場合には、一切雇用継続を認めないことを法的に明確にする」「合理的理由のない更新拒否の効力は否定されることがあるが、そういった判例法による事後的救済は一切認めないということを法律によって明確にする」ことが「雇用方針にも大きな影響を与える」ことは間違いないと思います。それは有期契約労働者の雇用期間の長期化、能力開発の進展、職務の高付加価値化など、労使双方にとって好ましい影響となるでしょう。
ただ、残念ながらそれは書き手が情熱を傾けて主張している「労働者の無期雇用への期待を利用して利潤を得ることはできなくなる」だの「「いつでも切ることができ、給料も安く、一生懸命働く労働者」などは存在し得ないという認識を経営者が持つ」だのいった寝言うわ言とは全然関係ありません。
この書き手がなぜダメかというと、繰り返し指摘しているようにOJTを通じた能力開発という観点が欠落しているだけではなく、人事管理実務の考え方もまったく無視している、hamachan先生風に申し上げれば一知半解どころか無知蒙昧であるからです。
まあ、このように最低賃金がどうした、派遣労働がこうした、セーフティネットがああだこうだと、各テーマに分解してそれぞれ検討するという還元主義的な議論の陥りやすい罠ではあるのですが、有期契約の議論だということで、視点が無期化、正社員化ばかりに向かってしまうという弊害があり、同情の余地もないではありません。しかし、当然ながら雇用期間は多岐にわたる労働条件の一項目に過ぎないわけで、現実の人事管理は賃金、労働時間、職務内容や職務への拘束度、責任や権限、配転や転勤の有無、福利厚生諸制度などなどをパッケージとして行われています。もちろん、人事管理がすべてうまくいっている企業などあるわけもなく、「なかなか切りにくいことをいいことに、けっこうな賃金を得ているのに、大して真面目に働かない」という労働者も存在するのが悲しい現実ではありましょう。ただ、たぶんこれが「例外」といえる程度には人事管理はうまくいっていて、一部で言われているほどにそうした人が多いとも思えませんが。いっぽう、さほどの技能を要しない軽易な仕事で、その仕事ができる人が労働市場にたくさんいて、(契約期間が終了すれば)いつでも「切る」ことができ、賃金も低く、切られないためにはそこそこ一生懸命に働く必要もある、といった労働者も現実に存在していることも事実です(こういう人が多いのは決していいことではありませんし、減らしていく努力が必要でしょうが)。
そうした中で、企業としては従業員が「一生懸命働く」、それを通じて能力が伸びるとか成果が上がるとか業績に貢献するとか、それに対して適切に報いることで、従業員の「一生懸命働く」意欲を高めたい、そのための効果的・効率的な動機づけを行うことが人事管理の最重要のテーマのひとつでありましょう。これは逆にいえばまさに「期待」を持たせるということで、たとえばもう10年もまじめに勤続してきたのだから、そろそろ主任に昇進できるのではないかとか、今季はこれだけ売り上げを稼いだのだから次回の賞与が楽しみだとか、ここでこれだけ下積みの経験をしたのだから次の人事異動では花形部署に異動できるだろうとか、多様な「期待」を提示して従業員の意欲を高めているわけです。有期契約労働者であれば、「次回の契約更新」や「日給のアップ」などに加えて、「正社員登用試験受験」も重要なアイテムのひとつであることは間違いありません。要するに、それなりの「期待」を持たせて動機づけとすることは人事管理の基本であり、労使間で長年受け入れられ、多くの場合は労使の協議を通じて形成されてきました。書き手の「無期雇用への期待を利用して利潤を得る」ことを罪悪視する考え方は、こうした人事管理の否定であって、実務的に到底容認できないだけでなく、少なくとも現実を大きく乖離しているものです。
ここで大切なのは、こうした「期待」が動機づけとして機能するためには、その「期待」の実現可能性が確保されなければならない、ということです。たとえば、「頑張って働けば課長、部長になれるよ」と言われたとしても、現実に課長に昇進しているのが大卒者ばかりだとすれば、高卒者の意欲は高まらないでしょう。これと同様、いかに使用者が「がんばったら君も正社員になれるよ」と言ったところで、現実にそれなりにまとまった数の有期契約労働者が正社員になっているという事実がなければ、「過剰な努力」が行われるような動機づけにはならないはずです。書き手は、使用者はすべて正社員登用の意図がないのにその意図があるかのように振る舞う邪悪な存在であり、労働者はすべて実態のない口約束を心から信じ込む純真無垢な存在であると考えているようですが、それが現実と大きくかけ離れていることは申し上げるまでもないでしょう。
さて、ここまで読むと、せっかくの適切重要な提案を「捨て案」にしてまで書き手が主張したかったものが、机上の空論、脳内の妄想に終始するであろうことは明々白々と申せましょう。実際、提言は期待に違わぬ?妄論を展開しています。

 二つ目の解決の方向性としては、本章の冒頭の提言に掲げたとおり、有期雇用について、会社が労働者に対し、「無期雇用への雇用契約転換の期待あるいは契約の反復更新への期待を持たせた場合」無期雇用とみなす旨を法律で規定する、というものである。
 効果としては、一つめとほとんど同様のものが得られる。使用者は「がんばったら君も正社員になれるよ」といったような、労働者に期待を持たせる言動を労働者に対して発した場合、有期雇用が無期雇用へと自動的に転換される。また、たとえば契約期間を超える期間にわたるであろう仕事をその労働者に割り振ったときなどもこれに該当することとなる。そうはさせたくない経営者は労働者へそうした期待を与えるような行動はできなくなる(もちろん、この場合でも契約期間終了時に両者の合意で無期雇用へと転換したり、従前どおりの契約更新を行うことを妨げるものではない)。

うーん、ということは、採用担当者が新入社員に向かって「わが社は実力主義だから、がんばって働けば君も社長にだってなれるよ」といったような、労働者に期待を持たせる言動を労働者に対して発した場合、見習社員が社長に自動的に転換されるわけですな。まあこれは極論ですが、しかし有期契約労働者を正社員登用するということは多くの企業ではおそらく一般労働者を係長に昇進させるよりは重大な判断でありましょう。となると、「がんばって働けば君も来年あたり係長だな」と言って上司が動機づけしたり、「ちょっと難しい仕事だけど、チャレンジしてみろよ」と言って係長クラスが担当する仕事を割り当てたりしたら、自動的に係長に昇進させなければいけないのかとか、もし自動的に昇進させたくないのなら昇進を動機づけに使ってはいけないのか、レベルの高い仕事を与えて人材育成してはいけないのか、とかいう話になります。
結局のところ、人事管理に関するごく初歩の知識すら欠いた人があれこれ考えているのですから、まともなものができるわけがないというか、まじめに一生懸命考えれば考えるほどダメなものができてしまうということでしょう。組織の一員として働いた経験が少しでもある人なら、なにかおかしいということがわかりそうなものですし、それこそ専門家に聞くまでもなく、自分の所属する組織の人事部に言って見てもらえばすむ話なのですが。というか、研究会の委員名簿には何人かの名前がありますが、止める人はいなかったのでしょうか。東京財団に人事部があるのかどうか知りませんが、東京財団の人事担当者がこれを読んだらさぞかし恥ずかしいでしょうねえ。ま、東京財団の人は東京財団の提言を読まないのかもしれませんが…。
また、反復更新への期待を持たせたら無期雇用に転換、というのは、これはいくらなんでも暴論でしょう。まったく、やればやるほどダメになっていく(笑)。「期待を持たせたら転換」という理屈を用いたとしても、反復更新への期待を持たせたら反復更新、というのが限度でしょう。この人の伝でいけば、「2回に限り更新あり」という契約でも無期雇用に転換してしまいそうです。

 この二つ目の解決策は、現在の判例法に近いともいえるが、その効果においては大きく異なる。リーディングケースである「日立メディコ事件」の最高裁判決は、雇止めに合理的理由があるかどうかの基準として、雇用関係継続にある程度の期待がある場合には解雇権濫用法理が類推適用されるとしている。ところが、これが適用され契約更新されたとしても次の契約は従前どおり有期雇用であり、それで雇止めされてしまえば労働者にとっては何の救済にもならない。本提言の議論を当てはめると、それでは労働者に対しては正社員への移行をほのめかし、賃金以上の努力を労働者に行わせるという経営者の行動を抑止することはできない。したがってこの場合の法的効果としては、無期雇用への転換とする必要がある。
 提案した二つの解決策は、理論的には全く同じ効果をもたらすことになる。
 しかし、どちらの案を取るにせよ、現実にはすべての労働者が制度を完全に理解した上で有期雇用で働くことにはならないし、経営者の姿勢もすぐに転換するわけではない。そこで生じた錯誤がもとで裁判になることも考えられる。その際、「だまされていた」または「だましていない」という立証責任を一つ目の案では労働者、二つ目の案では経営者が負うこととなる。その意味では労働者の負担が少ない二つ目の案が妥当と考えられる。

ふーむ、ということは、労働者は「使用者に正社員化を期待させる言動があった」と主張すれば足り、それに使用者が反証できなければ正社員に転換だ、ということになるわけですね。となると、雇止めされたくない労働者は、とにかく上司が「正社員になれると言った」と主張するわけで、言った、言わないの話になればそれがウソであることを証明するのは至難の業ですから、企業としてもそんなコストのかかる労働者を雇用する気にはならないでしょう。つまり、これは事実上有期契約労働を禁止するに近い効果を生みそうです。その先どうなるかは考える気にもなりませんし考えたくもありませんのでやめておきますが。
まあ、そもそも文章のはしばしから書き手の有期雇用に対する激しい偏見と嫌悪感、敵対心がひしひしと感じられるわけで、この章は「有期労働の禁止」を導くために詭弁に詭弁を重ねて屁理屈をつけた、ということのようです。正気であれば本気で実現可能と考えているとはおよそ思えず、書き手の理想を自由に表出した観賞用のものと思えばいいのでしょう。当然ながらこの章の存在は提言全体の価値を低下せしめているわけですが、それでもなお書き手としてはこれを書きたかったのでしょう。ま、一種の思想書というか、芸術作品みたいなもんですな(笑)。この論法を使えば賃金に差をつけることも禁止可能、というか人事管理のあらゆることを禁止可能です。これはいわば共産主義者の理想郷への理屈と申せましょう。この屁理屈の中に効率的だのなんだのと経済学的装いを援用されたことに対して、世の経済学者はどう感じるのでしょうかね。
さてこの提言、もう少し続くのですが、今日はもう疲れました(笑)。気が向けば明日以降、続きを書きたいと思います。