根本病by勝間和代氏

私はこのところ、玄田有史先生のこの言葉が気に入って、というか共感して、あちこちで引用しています(たとえばhttp://www.mhlw.go.jp/shingi/2010/01/dl/s0127-12b.pdfとか)。

 「根本的」という言葉が好きになれない。『○○に根本的な問題がある。小手先の策ではダメだ』と指摘すると何だか格好いい。ただ、そういう人は、きまって問題の解決に奔走している当事者ではない。根本的な問題があることくらい、わかっている。一朝一夕には解決しないから、根本なのだ。本当の関係者は、一歩ずつ解決策の積み重ねを、地道に模索している。

玄田有史(2009)「協働型能力開発へ」ビジネス・レーバー・トレンド409号p.7

で、玄田先生によると、これは玄田さんのオリジナルではなく、石橋湛山のパクリだとのこと。これもこのブログの過去エントリhttp://d.hatena.ne.jp/roumuya/20090714で紹介しました。ちなみに追加的情報ですが(笑)玄田先生はこれを福井県の西川一誠知事から聞いたとのこと。
さて、この石橋湛山の名言、毎日新聞のサイト毎日jpで一昨日、経済評論家の勝間和代氏も紹介しておられました。http://mainichi.jp/select/biz/katsuma/crosstalk/2010/03/post-39.html

 今回の提案は「根本病からの脱出を図ろう」です。具体的には、問題解決にあたって、「構造改革」「内需拡大」「財政再建」などのビッグワードをなるべく避け、解決可能な狭い範囲で政策議論、実行をしよう、というものです。
 2・26事件のあと、石橋湛山は「日本人は根本問題に執着しすぎて、その根本問題が解決しなければ何をやっても解決しない、あるいは、根本問題の改革のためには機構の打破や変改がすべてだと考えがちである」と指摘し、これを「根本病」と名付けました。…
 根本病は今も完治していません。例えば、デフレ問題や少子化対策、若年層の雇用対策などを議論する際、構造改革できなければ、あるいは内需拡大が実現しなければ、何もかも意味がないというような反論にしばしば直面します。

 また、内需拡大構造改革でも、本当に必要なことは大規模な産業政策や公的融資の拡充ではありません。既得権益を排除し、新陳代謝が進むよう市場をきちんと機能させることです。時代の変化に応じて生産性が下がり、ビジネスモデルが合わなくなってきた分野から、新規の分野に人が移っていける仕組みを考え抜くべきで、その障害になっている規制を取り除き、不合理的な既得権益には逆に新たな規制を課していくのです。
 私たちは少しずつしか変われません。できない理想を掲げることは、かえって変化から逃げることになります。そうではなく、実現可能な分野を狭く定め、実行スピードを上げることを望みます。根本病についてどのように考えているのか、そして、日本社会の新陳代謝を促すにはどのようなやり方が有効なのか。

ちなみに、玄田先生によると石橋湛山のオリジナルはこうだそうです。

 日本人の一つの欠点は、余りに根本問題にのみ執着する癖だと思う。この根本病患者には二つの弊害が伴う。第一には根本を改革しない以上は、何をやっても駄目だと考え勝ちなことだ。目前になすべきことが山積して居るにかかわらず、その眼は常に一つの根本問題にのみ囚われる。第二には根本問題のみに重点を置くが故に、改革を考うる場合にはその機構の打倒乃至は変改のみに意を用うることになる。そこに危険があるのである。
昭和11年「改革いじりに空費する勿れ」石橋湛山全集10巻から)

既得権益を排除し、新陳代謝が進むよう市場をきちんと機能させることです。時代の変化に応じて生産性が下がり、ビジネスモデルが合わなくなってきた分野から、新規の分野に人が移っていける仕組みを考え抜くべきで、その障害になっている規制を取り除き、不合理的な既得権益には逆に新たな規制を課していくのです。」ってのは、すでに十分すぎるくらい十分に「根本病」にはまっているように私には思えるのですが、どんなものなのでしょうか。
雇用問題に関しては、「新陳代謝が進むよう市場をきちんと機能させ」「新規の分野に人が移っていける仕組み」とかではなくて、まずは各企業が雇用確保に最善を尽くすこと、そのための効果的な支援を地道に行うこと。人手不足の新規の分野が本当にあり、その一方でビジネスモデルが合わなくなって人手が余っている分野が本当にあるのなら、後者で余っている人にどのようなトレーニングをすれば前者でそこそこの賃金を得られるようになるのか、多少は賃金が下がっても後者で腐っているよりは前者でいきいきと力を発揮したほうが幸せだと思えるようにできるのか、こうした個別の努力を企業と個人が地道に積みかさね、行政も支援すること。こういったことをやりましょう、ということであれば石橋湛山を担ぎ出す値打ちもあろうかと思いますし、「少しずつしか変われません」というご意見にもかなうだろうと思うのですが、それは「実行スピードを上げる」ために「実現可能な分野を狭く定め」るという「短気」とは相反する、というか、なかなか両立しにくいのですが…。