同一労働同一賃金どこへ行く

さてこの間例によって若干世の中の動きについていけていないのですが、例の同一労働同一賃金議論が気になるので少しフォローしてみました。案の定というべきかどうか、なかなかすっきりとはまいらないようです。
そんな中で私がまず注目したのが、かなり旧聞になりますが自民党の稲田政調会長の発言で、読売国際経済懇話会の講演でこう述べたそうです。

 読売国際経済懇話会(YIES)は10日、東京都千代田区の帝国ホテルで、自民党の稲田政調会長を招いて講演会を行った。会場には、財界人や在京各国大使ら約170人が集まった。稲田氏の発言要旨は次の通り。

 安倍首相は1億総活躍社会の議論で、同一労働同一賃金に踏み込んだ。
 具体的な内容は提言の中でまとまると言われているが、目指すべき道は非常に正しい。日本型雇用システムには終身雇用や年功序列など、良いところもたくさんあるが、伝統的なものを生かしながら、新たな制度を創造していくという改革が必要になってくるのではないか。この対策がなければ、ビジネスモデルが一夜にしてチェンジするような激流の中にある経済についていくのは難しい。
 経済各団体からの聞き取りでは、「いきなり同一労働同一賃金と言われても、なかなか難しい」という意見もたくさんあったが、現状を一つ一つ聞きながら、日本の良き雇用システムの伝統を守りながら新しい創造をやっていくことが必要だ。
平成28年2月11日付読売新聞朝刊から)

政調会長の発言ですからかなりの重みがあるのだろうと思いますが、「終身雇用や年功序列」を「日本の良き雇用システム」として守りながら「やっていく」ということだとすると、相当に現状維持的で現実的な対応になりそうです。考えてもみれば、そもそも不本意非正規の存在を問題視し、その正規化を進めようとしているわけですから、正社員のあり方を変えるという話にはなかなかならないというのが自然なのかもしれません。
ちなみに18日の経済財政諮問会議でも民間議員ペーパーに同一労働同一賃金の語が見えますが、そこでは「政府は、非正規労働者の待遇改善(賃金・手当・ボーナス、130万円の壁への対応を含めた被用者保険の適用拡大、教育訓練など)や正規化、同一労働同一賃金の実現、長時間労働の抑制、保育士・介護士の待遇改善、高齢者の就業拡大に向け、環境整備を加速すべき。」という書き方になっていて、要するに非正規労働者の待遇改善の一手段という程度の位置づけのようです。まだ議事要旨は公開されていないのですが、大臣記者会見要旨をみてもあまりここで議論が交わされた気配もなさそうです。
さてその後ですが、新聞記事をみると社研の水町先生のお名前が見えました。

 安倍晋三首相は18日、加藤勝信1億総活躍相と首相官邸で会談し、同一労働同一賃金の実現に向けて、労働契約法など関連3法の改正を検討していくことで一致した。安倍政権は5月にまとめる1億総活躍社会に向けた中長期計画で法改正に向けた方向性を盛り込みたい考えだ。
 同一労働同一賃金は「同じ仕事に対しては同じ賃金を支払う」という考え方。実現に向けて、安倍首相は「必要であれば法律を作る」と述べている。政府は「1億総活躍社会」の政策を話しあう「国民会議」を23日に開いて、具体化に向けた議論を始める。
 18日の会談には、労働法が専門の水町勇一郎・東大教授が同席。会談後、記者団に対し、日本でも同一労働同一賃金の原則を入れることは十分考えられることを安倍首相らに説明したと明らかにした。また法改正の対象になりうる法律に、労働契約法とパートタイム労働法、労働者派遣法をあげた。
 水町教授は「いまは(雇用期間の違いなどで)不合理な労働条件の相違があってはならないとなっているが、その(法律の)条文をどういう形で変えられるかだ」とも説明。政府関係者によると、水町教授は23日の国民会議でも同様の提言をするという。
平成28年2月19日付朝日新聞朝刊から)

たしかに首相は国会答弁で「必要であれば法律を作る」と述べているようですので、まあなにか法改正をしないとおさまりが悪いという話ではあるでしょう。そこでどんな法改正が、という話で、規制改革会議の雇用ワーキングで活躍された労働法学者ということで水町先生が登場されたという経緯でしょうか。
さてそこで水町先生は「日本でも同一労働同一賃金の原則を入れることは十分考えられる」「いまは不合理な労働条件の相違があってはならないとなっているが、その条文をどういう形で変えられるかだ」などと発言されたとのことで、正直記事の正確性(労働法の専門家が書いているわけではないでしょうから)には相当の留保が必要だとは思いますが、しかしどのような法改正を考えておられるのかは興味深いところです。たしかに労契法とパート労働法は労働条件の不合理な相違を認めておらず、パート労働法はさらに通常の労働者と同視すべき短時間労働者について差別的取扱いを禁止しているわけですが、これらはいずれもわが国労使関係・人事管理や労働市場の実態をふまえて公労使で多大な議論を重ねて作り上げてきたものであって、そうそう簡単に変更できるようなものではないと思われるからです。もちろんこれが非正規雇用の処遇改善を求める立場からみれば(とりわけそれを性急に求める立場からみれば)迫力不足に思えるというのは情においてよくわかる話ではあるのですが、しかし無理をすると意図せざる悪影響のほうが大きく出てしまう危険性が高いことにも十分な警戒が必要でしょう(これはあとで書きます)。いずれにしても、このあたり水町先生は明日(23日)の国民会議で提言されるとのことですから、注意深く見守りたいと思います(というときに限ってまた山籠もりなのですが(笑))。
とはいえまあこのあたりが落としどころかなあという話も出てきてはおり、たとえば20日日経新聞にはこんな記事も出ていたわけです。

 政府は同じ仕事なら同じ水準の賃金を支払う同一労働同一賃金制度の実現に向けた指針をまとめる。正規や非正規といった雇用形態の違いだけで賃金に差をつけることを原則禁止し、通勤手当や出張経費などの支給額も合わせる。勤続年数などによる賃金の差は認め、日本の賃金体系の実態に配慮する。非正規社員の待遇を改善し、働きやすい環境をつくる。
 安倍晋三首相は19日の衆院予算委員会で「どのような賃金格差が正当でないと認められるかガイドライン(指針)で事例を示す」と述べた。…
 指針では「同一の職務内容であれば同一の賃金を支払うことが原則」であることを明確にする。正規や非正規という雇用形態の違いだけで賃金に大きな格差が生じている現状を改める。…具体的な禁止事項を例示して働き手の待遇の差を極力なくす。
 指針には手当や経費といった賃金以外の待遇面の改善も盛り込む。
 例えば非正規社員が正社員と同じ仕事で同じ勤務形態なら、通勤手当や出張経費に差をつけないようにする。非正規でも社員食堂を利用できるようにする。…同一労働同一賃金を厳格に導入すると働く人や企業の混乱を招きかねないため、ある程度の例外は認める。
 具体的には資格や勤続年数、学歴などで賃金に差を付けることは容認する方向だ。…
 賃金差に合理性が認められない場合は差をなくすよう求める。外食業などの「名ばかり店長」のように、管理職並みの職責を与えながら非正規としての賃金しか支払わない事例などは禁じる。
 今後、政府は労働契約法の改正も検討する。社員の技能など「熟練度」を給与に反映する仕組みを盛りこむためだ。…まず今回の指針で具体例を示し、企業が賃金体系の見直しなどに取り組みやすくする。…
平成28年2月20日日本経済新聞朝刊から)

以前のエントリでご紹介した期間比例原則については「今後…検討する」「まず今回の指針で具体例を示」す、という話に後退しているようです。まあ後退して悪いというわけでもない。
でまあ同一労働同一賃金とこぶしを上げてしまった以上は下ろしどころも必要ということで、指針で「雇用形態の違いだけで賃金に差をつけることを原則禁止」して「同一の職務内容であれば同一の賃金を支払うことが原則」であることを明確化する、くらいのことはするということでしょうか。もちろんこれは今さら政府に言われるまでもなくすでに各企業が人事管理上の最重要課題として推進してきているところであり、2000年前後の成果主義騒ぎにしてもその一環だったわけです。いかにして従業員の仕事や貢献に報いる賃金とし、さらなる意欲の向上や能力の上昇につながる適切なものとしていくかというのは、もちろん神ならぬ企業の(人事担当者の)やることですからおよそ完璧とはほど遠く、またすばらしくうまく行っているとも到底言えないだろうとも思いますが、しかし古くから労使が営々と努力を重ねてきたところでもあるわけです。要するにこの間しきりに言われているとおり「同一賃金とは何か」、さらには「労働の同一価値をいかに測定するか」という重大な問題をどう解決するかという話であり、これまでは結局のところ個別労使の協議と交渉を通じて、およそ完璧ではないし汎用的でもない、それどころか細かくみるとあれこれ矛盾もあるんだけれど、全体としてはまあこれが最も多くの人たちが渋々ながらもそれなりに納得できるだろう、ということで解決してきたわけです。
そんな実態がある中で下手に「雇用形態の違いだけで賃金に差をつけることを原則禁止」とか「同一の職務内容であれば同一の賃金を支払うことが原則」とかいったあまりこなれていない観念を明示的に規範化するとなにかと不毛な紛争を増やしたり、繰り返しになりますが意図せざる弊害が大きくなるったりするのではないかという懸念があって現状があるわけですが、まあ確かに正論ではあるわけなので、正論に照らしてきちんと説明できるようにしてください、という話であれば労使としても受けて立てなければおかしいということかもしれません(しかし指針にとどめることが望ましく法改正までやるのは行き過ぎでしょうが)。
とりわけ記事にもあるような通勤手当や出張経費といった実費補填的な労働条件や社員食堂のような福利厚生、あるいは慶弔休暇といったものの取り扱いについてはさまざまな考え方があって意見も実態も分かれていますので、まずはこのあたりから取扱いを統一していくというのは十分ありうる考え方でしょう。
ただ個別にはそれぞれに難しい問題を含んではおり、たとえば通勤手当については転勤の有無に応じた扱いなどを考える必要があるでしょう。これについては雇用形態による区別はせず、正規・非正規ともに転勤にともなう通勤経路変更を除いて上限額を設定するという方法が考えられます。出張経費についてもゼネラルマネージャークラス以上はビジネスクラスグリーン車でマネージャークラス以下はエコノミークラス・普通車といった運用は普通に見られるのではないかと思いますが、これもまあ非正規雇用であってもゼネラルマネージャークラスの人はビジネス・グリーンとすればいい話です(実際に私の知り合いにも有期契約のゼネラル・マネージャーが数人います)。福利厚生は実費補填に較べると難しいところで、社員食堂については利用は同様で問題なさそうですが食費の補助がある場合は悩ましく、正社員の長期的な労働条件パッケージの一部だとすると非正規の従業員には適用しにくいという理屈もありそうです。一方でこうした労働条件というのは理屈やカネ感情ばかりでもないという部分も大きく、同一の扱いにすることで非正規従業員の意欲向上が図れるというメリットも大きいような気もします。
一方で、賃金などについては「資格や勤続年数、学歴など」だけではなく、職務の内容や配置変更の範囲といったキャリア形成の相違などに基づいて企業の人事管理や労使の判断を広く自由に認めていくべきだろうと思います。ここをやりすぎると、繰り返しになりますが意図せざる弊害が大きく出てきかねないわけで、具体的にはこれはパート労働法改正などの場面で現実に起きていますが、賃金の違いを合理的なものとして明確に説明できるよう正社員と非正規従業員の職域や職務を明確に区分するという対応を招く恐れがあります。これは非正規従業員の能力開発やキャリア形成を大きく阻害するだけでなく、それを通じて労働条件の改善をも抑制しかねないものです。
さらには、仮に「資格や勤続年数、学歴」しか認めないぞという話になると、ここでは勤続年数はあまり意味がないので人事管理が資格や学歴に過度に依存することになり、ためにする資格ビジネスが繁栄してそこに使うおカネのある人たちだけが正社員になれるとか、悪名高い指定校制度が復活するとかいう話になりかねません。たとえばアイビーリーグのような超名門校の学位保持者に較べればそこそこ名のある大学の学位保持者であっても端から処遇が大違いってのは欧米ではむしろ当たり前の話でしょうが、それってわが国で受け入れられやすい話なのかなあと思うわけです(これは他のさまざまな場面でも行き当たるアポリアであるわけですが)。
もちろん非正規従業員の人件費負担が増大しているから今年は正社員の賃上げは難しいとかいうことを言う経営者というのもさっそくいるらしく(余計なお世話ながら)ちと志が低いなと思わなくもないですが、格差縮小とか分配の改善という意味では悪いことばかりではないという人も中にはいるのかな。このあたりはよくわかりません。
ということで前述したように、あまり難しい議論には踏み込まず、同一労働同一賃金非正規労働者の待遇改善というくらいに割り切ってお考えいただくことが望ましいのではないかと思います。労働需給が引き締まっている現在、環境的にも非正規の処遇改善の好機ですし、政策的な後押しも望まれるところです。そしてなにより効果的なのは人手不足が継続し、さらに強まることであるわけで、政府には下手に労働条件決定に介入するのではなく、経済を活性化し労働需要を高める政策をぜひお願いしたいという、例によっていつもの話になるわけです。
実際問題、前回のエントリでも書きましたが、いまやわが国労働市場は非正規の賃金が上がり、正社員登用や、正社員の採用増という段階にまで来ているわけです。実は前回の景気回復期にも(力弱いながらも)こうした段階にまで来ていたわけですが(そして当時も正社員採用がさらに拡大するよう景気拡大が続いてほしいと祈るエントリを書いていたわけですがhttp://d.hatena.ne.jp/roumuya/20060830http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20070305#p1)、残念ながらリーマン・ショックで振り出しに戻ってしまいました。今回も中国・新興国経済の減速など雲行きがあやしい感もありますが、なんとか好循環を実現すべく適切な経済政策・経済政策の運営をお願いしたいと思います。