湯浅誠さん

きのうの続きになりますが、週刊ダイヤモンド新年合併特大号の「2010年注目の論点 雇用政策」から、湯浅誠さんの所論です。お題は「雇用実態の悪化は深刻 派遣規制は喫緊の社会政策だ」。湯浅さんについては、社会活動家としての実績や、例の「派遣村」での水際立った手腕などを高く評価していただけに、今回の記事には正直言ってがっかりしました。というか、ダメでしょうこれ…。
全体を通じてみると、「雇用実態の悪化は深刻」の実例がいくつかあげられていて、これはまあ湯浅さんがそうした人たちの支援に取り組んでいるのでその実態にも詳しいということでしょう。それは湯浅さんらしい特徴でしょうし、貴重な情報だろうと思います。ただ、それゆえにやむを得ないことなのでしょうが、政策論はミクロな個別論に終始して周囲や全体像が見えていないという感は否めません。典型的なのは「雇用対策」が論点なのに派遣規制すべきだという主張に終始している点で、これは記者の取材に問題があるのだろうとは思いますが、八代先生と並べると政策論としては非常に貧弱です。
以下、いくつか個別にみていきたいと思います(以下は抜粋ですので、ぜひ全文におあたりください)。

 派遣労働の規制に賛成だ。理由はひと言でいえば、派遣労働は全体として、リスクは労働者に押し付け、それによる利益を企業だけが得る仕組みになっているからだ。

社会活動ですから、こうした情緒的な言説もひとつの重要な手法なのだろうということは私にも見当はつきます。ただ、雇用「政策」ということで八代先生と並べるとなると、やはりこういう決め付け方はどんなものなのだろうかとも思うわけです。そもそも、かなり多様な派遣労働をいきなり「全体として」と一括りにするところからいささかヤバい雰囲気が漂いはじめますし、リスクって何?とか、企業だけが利益を得るってどういうこと?とか突き詰めはじめると、どうにも意味不明なのは否めません。
これがたとえば「企業が余剰人員を抱えるリスクを軽減するために失業のリスクが高い派遣労働を活用している」とか言った書き方になっていれば、それなりに議論にはなります。こうした一面的な見方ではなく他の要素も勘案すれば、企業にとっても派遣労働を活用することは固有技術の流出や空洞化につながりかねないとか、直接雇用に較べて高いコストを要するとかいった「リスク」をともなうわけですし、派遣労働者にしてみれば派遣で働くことによって「望まない配置転換や職種変更などを強いられる」という「リスク」は回避することができるという面もあって、そこはやはりそれこそ総合的に考えなければならない。そういった一切合財が反映されて派遣料金やら派遣労働者の賃金やらが決まってくるわけですから、「それによる利益を企業だけが得」ているわけではないし、派遣労働者も賃金などを通じて「利益」を受けていることになるはずで、たとえば賃金のほかにも、仕事によっては能力の向上とかの利益だってあるでしょう…といった具合です。

都留文科大学の後藤道夫教授の試算によれば、フルタイムで働き自活する非正規労働者は434万人に上る。多くは雇用保険や健康保険に加入できず、雇い止めされた途端に生活ができなくなる人たち。

この試算の詳しい内容はよくわからないのでなんともいえないのではありますが、1997年の208万人から2007年には434万人に増加したのだそうです。たいへんな増加にみえますが、たとえば2005年の改正高齢法施行の影響は考慮されているかどうかといった疑問はあります。厚生労働省の発表によれば、2007年と2005年を比較すると、51人以上規模の企業での60〜64歳の常用労働者数は約78万人から約100万人に、65歳以上の常用労働者数は約27万人から約39万人にと、大幅に伸びています。この場合の「常用労働者」は1年以上勤続している人で(だと思う。違っていたらご教示ください)、正社員とイコールではありません。というか、改正高齢法対応で定年延長を行った企業はごく少なく、ほとんどは再雇用制度の導入で対応したわけですから、この人たちの太宗は有期契約の非正規雇用ということになります。もちろん、すべてがフルタイムあるいは自活とは限らないでしょうし、そもそも50人以下の規模の企業で働く人の数が含まれていないという問題もあるのですが、いずれにしてもこの人たちの多くは雇用保険にも健康保険にも加入していますし、雇い止めされた途端に生活ができなくなるという状況でもないでしょう。まあ、それでも59歳以下が300万人くらいはいるだろうということでもありますが、それにしてもこの手の数字を無批判に使用すると、結果的に実態を誇張する可能性があることには用心が必要でしょう。

…実態として派遣切りがこれだけ社会問題化し、多くの貧困を生じさせ、それを解消する手立てもない以上、製造業派遣も禁止すべきとしか言いようがない。

これに関しては、八代先生が指摘されているように、問題は製造業派遣そのものというよりは、派遣期間途中での一方的な契約打ち切り、しかもその補償もない、ということにと考えるのが妥当でしょう。
これだけの不況となれば失業が増加することは避けられず、その一部は貧困につながることになるでしょう。現状ではそれに対する手当が手薄なことは事実ですが、それはたとえば何らかの福祉的な施策を講るといった対応も考えられます。もちろん、貧困が雇用と賃金を通じて解消されることが望ましいということには私も全面的に同意しますが、経済情勢が厳しく労働需要が大きく不足する中ではそれは困難です。
つまり、製造業派遣を禁止してみても、現実に仕事がない以上は失業がなくなるわけではありません。後の文章を読むと、派遣を禁止すれば派遣で働いていた人が正社員になれるというわけではないことは湯浅さんも(当然ながら)理解しておられるようですが、仮に正社員になったとしても、仕事がなくて需給が崩れている以上はいずれは雇用調整と失業の発生は避けられないわけで、そのスピードが遅くなるという効果しかありません。もちろん、貧困の抑止という意味では雇用調整の速度は速くないほうが望ましいでしょうが、いっぽうで雇用調整の遅れは企業業績の回復の遅れ、ひいては雇用の回復の遅れにもつながるわけで、その得失は微妙なところですし、正社員の解雇が多発するようだと人材育成や技術力向上に大きな影響が出かねません。
いっぽうで、製造業派遣の禁止はマッチング機能の低下につながることは確実で、それは需給要因とは別に摩擦的な失業を増やすでしょう。それは貧困を増やす道ではあっても減らす道ではないように思われます。
このあたり、編集が言葉を切り詰めすぎて湯浅氏の真意が伝わっていない可能性もありますし、別の可能性としては、「社会活動」のシンボリックな運動論として、実際の影響は度外視して「製造業派遣の禁止」というメッセージを送ることが必要だ、ということなのかもしれません。実際、派遣村だって本当に派遣切りにあった元派遣労働者は少数しかいなかったわけですが、そのインパクトは大したものでした。その路線を推し進めて行こうとすると、その行き着く先は製造業派遣の禁止、登録型派遣の禁止、さらには派遣労働の全面禁止、ということにならざるを得ないのかもしれません。それが政策論とは異なる「社会活動」の限界なのでしょう。

 欧州では…子育て支援社会福祉などの社会保障が充実しているので、派遣社員の雇用不安は小さい。フランスでは労働者一に対して企業が三の割合で雇用保険を負担する。北欧では教育費を、企業も負担するという。

そもそも賃金比例で徴収される税や社会保険料について企業負担と労働者負担とを厳密に区分することは、政治的にはともかく経済学的にはそれほどの意味はないわけですが、まあこれは政治的に理念を示すという意味ではそれなりの意味はあるのでしょう。ただ、一方で日本の法人税は四十数%、これに対してフランスは三十数%、スウェーデンは30%を下回っているという現実もあります*1。それは当然雇用対策や教育の費用の一部ともなっているわけです。企業を悪者にしたい、企業にカネを出させたいという気持ちはわからないではないですが、対GDP比とか予算総額に占める割合とかいった議論をしたほうがいいのではないかと思います。

 派遣労働禁止を批判する論者の主張に、「製造業では派遣が禁止されても期間工や請負にシフトするだけ」というものがある。だが、期間工は有期契約ではあるものの直接雇用なので、労働者にとっては歓迎すべきシフトだ。

「批判する論者」は「だから雇用の安定という面では改善しませんよ」と主張しているのであって、全員が期間工や請負にシフトすると保証しているわけではありません。もちろん、仕事も賃金も契約期間も変わらずに間接雇用から直接雇用に変わった人にとっては、それは「歓迎すべきシフト」かもしれません*2。しかし、前にも書きましたが派遣禁止はマッチング機能を低下させ、失業を増やす可能性がありますし、直接雇用になることで賃金が低下する可能性も無視できません*3。間接雇用=悪、直接雇用=善という形式的発想だけで議論することは危険です。
最後にもう一度全体の感想を書きますと、湯浅さんはここで雇用対策を論じているというよりは、むしろ広義の福祉政策を論じているというのが私の印象です。実際、派遣禁止以外の政策提言は「誰でもどこでも受けられるユニバーサルの福祉サービスの整備」であり、その内容は「子育てができる生活環境」であり、より具体的には「今、きちんと子育てするには四十代、五十代で年収500万円程度は必要だろう」という「きちんと子育て」水準を確保*4するというものです(500万円で何人育てるつもりなんだ、という根本的な部分は不明なのですが)。そのような「セーフティネットが厚く、失業が怖くない社会」を制度設計せよ、ということで、これはなかなかの巨大政府と申せましょう。
この文章の最後は「その制度設計なくして、すべて自由化し、結果は自己責任というのでは、国として無責任ではないだろうか」という問いかけで締めくくられています。これはさすがに編集者の責任だと信じたいのではありますが、そのまま読めば「巨大政府をつくるのでなければ、それは「すべて自由化」であり、「国として無責任」である」という意味になってしまいます。湯浅さんが巨大政府を指向するのはご自由ですし、同意見の人も多いでしょうが、しかしこれはいくらなんでも詭弁でしょう…。

*1:まあ、これも各国の税制が違う上にそれぞれ複雑なので、日本が低いと言いたい人はそういう数字を作ることもできるわけではありますが、一応は日本の法人税は高いというのは一般的には共通認識でしょう。

*2:もっとも、間接から直接に変わることが本当にそれほど歓迎すべきことなのかどうかはケースバイケースで考えてみる必要があります。他の条件が変わらないとすれば、経営や管理のしっかりした派遣会社から派遣されているより、経営や管理がいいかげんな会社に直接雇用されているのが「歓迎すべき」状態かどうかは必ずしも明らかではないでしょう。また、多くの場合、派遣労働者、特に登録型の派遣労働者にとって重要なのは仕事や賃金であって、雇用形態が派遣か直接雇用かといったことはあまり意識されていないのではないでしょうか。

*3:直接雇用になれば派遣会社のマージン分は賃金が上がるはずだと短絡的に考える人も多いようなのですが、そうとは限りません。派遣会社は人事管理の実務の一部を肩代わりすることでマージンを得ているのであり、多数の労働者を派遣している派遣会社ではスケールメリットを働かせてコストダウンをはかることが可能です。2人、3人といった少人数の派遣を受けている中小企業がその実務を自前で行った場合のコストは、派遣会社に利益を取らせてもなおそれを上回る可能性は否定できず、この場合はそれが賃金に影響して賃金が低下することになります。

*4:これは500万円を確保するというのではなく、たとえば教育費が今より100万円少なくてすむのなら年収400万円でもかまわないということのようです。