必要な人に必要な支援

きのうの日経新聞「経済教室」では、一昨日に続いて非正規問題がテーマでした。登場したのは気鋭の労働経済学者、一橋大学准教授の川口大司先生です。お題は「支援はピンポイントで」。こちらは一昨日の樋口先生とは対照的で、大きな社会ビジョンというよりは今現在とるべき政策をまさにピンポイントで論じています。

…まず考えるべきは雇用の非正規化の原因だ。非正規雇用には派遣労働者、請負工、直接雇用のパートや期間工などの雇用区分があるが、長期にわたり雇用の保証が得られない点では共通する。労働者全体に占める非正規労働者の比率は長期的な傾向として増加し、一九九九年の派遣労働に対する対象業種の拡大、〇四年の製造業派遣の解禁や派遣期間の一年から三年への延長といった規制緩和の年に非正規労働者比率が跳ね上がったことは確認できない。
 では何が長期的な傾向を説明するのか。プリンストン大学のファーバー教授は日米の企業が共通してグローバル化の影響で将来の製品需要の不確実性に直面するようになったと仮定。米国では一般労働者(正規雇用者)の解雇が比較的容易なので、どの年齢層をみても一般労働者の平均勤続年数は以前より短くなっているが、一般労働者の解雇が難しい日本では、配置転換、出向、非正規労働者の雇い入れという形で不確実性への対応を行ってきたと指摘する。
 日米の企業が同じ経済環境に直面しているが、それぞれの歴史・制度に依存する形で違う調整が行われたというわけだ。いずれにせよこの長期的なトレンドの裏にあるメカニズムを探し当てないと、派遣労働の禁止という法的対応をとったとしても派遣労働者から請負工やパート・期間工への転換が進むだけで不安定雇用自体は解消しない。
(平成21年1月21日付日本経済新聞朝刊「経済教室」から、以下同じ)

まことに適切な指摘と申せましょう。非正規雇用の広がりを賃金の低さで説明しようとする人も多いようですが、実務実感としても非正規雇用の本質は柔軟性ではないかと思います。それを前提に考えるのが妥当と申せましょう。

 雇用の不安定を前提に政策的な対応を考えるとどうなるか。…失職の最も深刻な帰結は消費水準が下落してしまうこと…だが、所得の下落は必ずしも消費の下落に直結しない。…もしある世帯が構成員の所得をプールしているなら、誰かが職を失っても、全員が少しずつ消費を我慢することでやり過ごすことができる。さらに民間の保険、公的な社会保障制度などによって所得の変動が消費の変動につながらないようなリスクシェアリングがより広い範囲で機能している可能性もある。
 実際、大阪大学の小原美紀准教授、大竹文雄教授と一橋大学の齊藤誠教授による一連の研究は日本で家計所得の変動がそのまま消費の変動には伝わらないことを示し、完全ではないが所得の減った労働者自身と社会とのリスクシェアリングが一定の範囲で行われてきたことを示唆した。その一方、阪神大震災に伴う大きな所得ショックはうまく吸収し切れず、消費水準を大きく変動させたという。
 今回の雇用ショックも同様な大きさである恐れが強く、リスクシェアリングの枠からはみ出した人、特に社会保障制度からこぼれ落ちている人を重点支援することが基本となろう。

これまた非常に納得のいく指摘です。このところ、日雇派遣で厳しい生活実態にある人がいるとなるとすべての日雇派遣を禁止せよという議論になり、製造業で派遣就労していた人の失業が増えるとすべての製造派遣を禁止せよという議論になり、実際には日雇派遣にしても製造派遣にしてもそれなりに満足して働いている人も多いのにそれは無視されたりとか、本当に支援が必要なのは誰なのか、といった議論が欠落する傾向にあります。労働政策ではありませんが、その最たるものが定額給付金ではないかと。当初は物価上昇に対する生活支援で、だからこそ支援の必要性の低い高額所得者が受け取るのはさもしいとかいう話になったり、閣僚が受け取るか否かといった国会審議にあまりにもふさわしすぎて涙が出るようなやりとりに貴重な時間が費やされたのでしょう。まあ、あとから消費刺激という理屈も出てきたわけですが、あれが国民に不評な理由のひとつが「もっと必要なところに絞って使ったほうがいいんじゃないの?」という疑問にあることは容易に想像できます。これは脱線でした。

…では具体的にどんな対応がありうるのか。
 まず短期的対策として提案されているワークシェアリングを検討しよう。これが成功する前提は、一人ひとりが働く時間を減少させる代わりに賃金も減らし、時間当たりの賃金コストを一定に保つことだ。もし労働者一人当たりに固定費用部分があれば、賃金の減少率は労働時間の減少率を上回らないと時間当たり賃金コストを一定に保てない。
 この賃金引き下げに労働者が納得するかがポイントとなるが、筆者と大阪大学大竹文雄教授の研究によれば二〇〇〇年のデフレ期ですら賃下げは労働者の労働意欲を大きく引き下げた。これを知っている企業も賃下げは避けようとするため、ワークシェアリングはあまり広がらない可能性が高い。世界的にもこの傾向が報告されており、…ワークシェアリングを成功に導くためには、一般労働者の理解と納得に基づく妥協が成立し、労働意欲を低下させないようにできるかがカギを握る。

まあ、月20時間の残業がゼロになるようなことはすでに日本中で起きていて、これだってワークシェアリングといえばいえなくもないわけですが、割増賃金の増減は日常的にあることなので、それほど労働意欲には大きな影響は与えないのかもしれません。いっぽう、仕事は変わらずに賃金が下がればこれは労働意欲に深刻な影響を与えるだろうことは容易に想像できます。所定労働時間を短縮して賃金を切り下げるというのはその中間ですが、どちらかというと後者に近いのでしょうか。
まあ、時間当たり賃金コストが一定に保たれなくても、それなりに総額の賃金コストが減少すればそれなりに雇用維持の効果もあるわけなので、前回の雇用調整期に日立製作所が行ったように、期限を決めて一時的・一律(だったかどうかは自信なし)に小幅(5%が小幅かどうかは議論があるでしょうが)賃金カットを行うといった方法なら、あまり意欲の低下は招かないかもしれません。これは実務的な山勘ですが、やるなら一律のほうが変に差をつけるよりいいんじゃないか、とこれはとりたてて根拠はないのですが…。

 次に緊急雇用創出事業であるが、真の狙いはセーフティーネットから漏れてしまった人々への所得の移転である。この春までに失職するとみられる派遣労働者八万五千人に仮に月十万円の所得移転を行ったとしても年間一千億円強の規模にとどまる。
 単純な所得移転がもたらすモラルハザードや不公平感を解消するため、民間の経済活動を代替しない公的な仕事を創出する必要があるが、既に多くの自治体が臨時職員の短期雇用枠を設けているため参考になるだろう。しかし、これはあくまでも短期の緊急避難的措置にすぎず、通常の雇用への移動を促す職業紹介・職業相談や、中長期的な雇用政策との連動が必要になる。
 中長期的対策として議論されているのが、職業訓練の拡大だ。…公的職業訓練の便益と一人当たりにかかる訓練費用を分析し、他の政策の費用対効果と比べた上で政策の是非を議論する必要があろう。
 職業訓練の収益率は受講者の柔軟性や受講後の就業期間などに依存するため、年齢によって大きな違いが予想される。中高年には還付可能な勤労所得税額控除などを用いて実質的に賃金を補助したほうがより有効なワーキングプア対策となる可能性も大きい。

これもまことにそのとおりと申せましょう。ただ、「民間の経済活動を代替しない公的な仕事」であれば必ずしも短期であることは要しないようにも思われますので、介護・福祉や営林、あるいは警察など、人手が不足している公的分野で安定的な雇用を行っていくことも考えられてよいように思います。

 雇用保険の適用拡大も考えてみよう。現在、週二十時間以上就業し、一年以上継続して就業する見込みがあることが雇用保険の加入条件だが、この「一年」は「六カ月」への緩和が予定されている。リスクシェアリングの範囲拡大につながるが、仮に改正されれば運用事務が煩雑になると予想される。社会保障番号の導入などで記録がきちんと保持され、利用者が使い勝手のよい制度にする工夫が必要だ。
 また、東京大学玄田有史教授が既に指摘しているが、解雇確率の低い正規雇用者の保険料で確率の高い非正規雇用者への失業給付がまかなわれるという実質的な所得移転が起こる可能性がある。これによって、不安定な仕事を提供する事業所の仕事が魅力を増して労働者を引き付けてしまう可能性もある。事業所レベルでの解雇実績に応じて保険料率を変動させる制度をきめ細かく運用していくのが一つの対処法だろう。

これはどうなのでしょう。「解雇確率の低い正規雇用者の保険料で確率の高い非正規雇用者への失業給付がまかなわれるという実質的な所得移転」は、少なくとも現時点での正規雇用非正規雇用の一般的な実態を前提とすれば、再分配の一種として社会的に容認されうるのではないかと思いますが…。失業給付がたくさんもらえるから失業のリスクの高い仕事を選ぶというのも現実的にはあまり起こりそうもありませんし…。もちろん、リスクの高い人の保険料が高くなるのは当然なので、「解雇実績に応じて保険料率を変動させる」というのは正論だろうとは思います。解雇実績がいいのか、受給実績がいいのかという議論はありそうですが…。
最後はこうすっきりとまとめられています。

 保険市場や労働市場には本来経済的なショックを和らげる調整機能が備わっている。政府の雇用政策は、その枠組みから漏れてしまった人々のピンポイントでの救済や市場メカニズムがよりうまく機能するような制度の整備を中心とすべきである。現下の不況のショックは大きいが、基本に立ち返った議論の盛り上がりを期待したい。

政府が大きいとか小さいとかいった議論とは別としても、必要な人に必要な支援を行うというのは効率的な行政という意味で基本でありましょう。また、この論考では実証研究の結果がいくつも引用されていて、説得力に富んでいます。川口先生としては政策決定にあたっては証拠をもとに議論するのが基本だ、という意味もこめておられるのかもしれません。