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埼玉県にある私立昌平高校で、「研修」と称する退職強要があったとして教諭がその停止の仮処分を求めていた事件で、さいたま地裁越谷支部は「生徒のいない模擬授業などの研修で体調を崩した教員にさらに模擬授業などを続行させたことは権限の乱用」という判決を示したそうです。毎日.jpから。

教師特別研修:「権限乱用」と停止命令 さいたま地裁支部

 生徒のいない教室で模擬授業を週7回行わせるなどの「特別研修」を受けさせたのは退職強要にあたるとして、私立昌平高(埼玉県杉戸町)の国語教師、今村寛さん(50)が同校を経営する学校法人昌平学園(近藤好紀理事長)に研修停止などを求めた仮処分申請で、さいたま地裁越谷支部(佐藤美穂裁判官)は30日、「退職強要に利用されている証拠はないが、現在の研修は権限の乱用」と研修停止を命じる決定を出した。
 申請によると、今村さんは学校側による「授業力確認テスト」や生徒アンケートで点数が低かったことを理由に、昨年9月から特別研修に入るよう命じられた。授業から外され、生徒のいない教室での模擬授業や、席を離れるのに教頭の許可を求められるなどして自律神経失調症にかかったと主張していた。昌平学園は「研修は教師の問題点を改善する手段。模擬授業も指導力不足の教員には有効」と反論していた。
 決定は、特別研修が埼玉県の指導力不足教員に対する研修方法などと比べ「模擬授業に重点を置き過ぎている」と指摘。体調を崩した今村さんには「別の研修方法も考えられる」とした。
 同校は07年に経営法人が変わり、進学校を目指して方向転換を図っている。決定後、今村さんは「早く教室に復帰し、受験指導に傾いた学校の方向性を変えたい」と述べた。昌平学園の城川雅士広報担当は「研修は退職強要ではないと認められた。裁判所の決定に従い、今村さんの健康や内容に配慮して研修を改善したい」とコメントした。【平野幸治】
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20091201k0000m040097000c.html

東京新聞のサイトも引用しましょう。報道スタンスの違いが明瞭で興味深いものがあります。

 「訴えが覆されるわけがないと信じていた。無人授業はやりたくない」。杉戸町の私立昌平高校の今村寛教諭(50)は三十日、生徒のいない教室で課されてきた「模擬授業」の中止などを求めた仮処分申し立てで、さいたま地裁越谷支部の中止決定を喜んだ。 (高橋恒夫)
 今村教諭らによると、同校は二〇〇七年度から大手学習塾「栄光ゼミナール」が経営に参画。国語を担当する今村教諭が授業力テストなどで一定水準に達しなかったとして、今年四月から(1)授業を持たない(2)担任、校務分掌、部活動顧問を持たない−などの措置を取り、生徒のいない教室での模擬授業や他教諭の授業見学、学習指導案の作成、などの特別研修を課した。
 今村教諭が同月末、体調不良を訴えて病院に駆け込むと「自律神経失調症」と診断され、その後も毎日のように下痢に苦しんだという。六月、特別研修はパワーハラスメント、退職強要だとして仮処分を申し立てた。
 決定後の会見で今村教諭は「無人授業は人間のやることじゃない。拷問と呼んでいいんじゃないか」と訴え「教育の根幹は、人間性を育て、ちゃんと生徒と向き合うこと。人間らしい学校になってくれるよう自分の持っていることを注ぎ込みたい」と早期の授業復帰に希望を込めた。
 島田浩孝弁護士は今回の決定について「いじめが教育現場であってはいけないという大きな警鐘になると思う」と評価した。
 一方、昌平学園の法人本部事務局は「学校を良くしたいという取り組みが基本的に認められたと評価している。研修は裁判所の決定に従い、改善を図りたい」とコメントした。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20091201/CK2009120102000090.html

労働問題という観点からみれば、この判決は「模擬授業のストレスで体調を崩したといっている人にさらに模擬授業をやらせるのはやり過ぎだからやめなさい」ということを言っているわけで、まことにもっともな判断だろうと思います。ちなみに他の報道などをみると模擬授業を含む研修の有効性については認めているようで、研修などを含めて「パワハラ」であるとの訴えについては退職強要と同様に斥けているようです。
そもそもの経緯としては、経営の行き詰まった昌平高校に栄光ゼミナールが入って進学校として再建している中で、教員に対しても専門知識を問うテストや生徒による教員評価などを実施し、その結果が不調だった人には研修を行う、というしくみが導入されたのが発端のようです。当然ながら従来の非進学校の指導や経営不振に陥るような経営に慣れている教員の中には方針転換に適応できない人もいて、かなりの人数の教員が従来の指導法がそのまま使いやすく経営の心配のない公立校などに転職したのだとか。もちろん、大半は適応したわけではありますが。
労務管理的にいえば、経営方針や商品構成などが大きく変われば、こうしたミスマッチがある程度発生してくるのは避けられません。それに対しては個別に適切な対応が求められるわけで、理屈や筋の是非は別としても、話が裁判所に行くまでにこじれるというのは、やはり労務管理上なんらかの問題があったのではないかと考えざるを得ないように思われます。

  • もちろん、もともと政治化していた人であれば、運動論的にすぐに裁判所に行っても不思議はありませんし、そういう人にはまたそういう人なりの対応も必要でしょう。ただ、この人の場合は、ざっとみた限りでは最初からそういう人というわけではなかったようです。現在では「支援者」の色に染まったのか、記事にもあるようにかなり独善的な発言を行っているようですが。

さて、それはそれとして、この教諭はすでに50歳ということですから、おそらく20年以上の経験があるはずで、大手学習塾が乗り込んできて、長い間やってきたことと異なるものを求められてもすぐには対応できないというのはありうる話でしょう。長年の経験があり、卒業生の評価も悪くはない(卒業生の支援者もいるとか)ようですので、かつての昌平高校と似た学校であれば戦力にはなるでしょうが、50歳ともなるとなかなか転職も難しいかもしれません。
となると、まずは研修によってスキルの向上をはかろうという学校の方針は基本的には間違っていないということにはなるでしょう。ただ、50歳にもなれば自分の実績や経験にそれなりの自負やプライドがあるのも当然です。専門知識を問うテストで合格しなかったとか、生徒からの評価が低かったとかいうことのショックも経験の少ない教員に較べて大きいでしょう。まずはそこの部分のケアが必要だと思われますが、はたしてこの学校ではそれが行われていたのでしょうか。栄光ゼミナールが学校経営にどれだけの実績があるか私は知らないのですが、学習塾メインの経営の中では、50歳の非進学校教員の人事管理のノウハウはあまり蓄積されないような気がするのですが…。
また、研修の内容についても、専門知識の修得を自習あるいは座学で、というのであればそれほど抵抗はないでしょうが、模擬授業となると経験のない(のではないかと思いますが)人には抵抗があるのも致し方ないのではないでしょうか。もちろん、生徒なしの模擬授業と合評は大手学習塾ではスキルアップのために普通に行われているものですし、学校でもものすごく珍しいということもないでしょう。若い教員であればストレスなく対応できる人も多いでしょうし、これ自体がすなわち「いじめ」ということはできないでしょう。とはいえ、そうはいっても不慣れな50歳の教員にとってはストレスは大きいでしょうし、プライドを損なわれ、懲罰的だと感じたとしても不思議ではありません。体調不良を訴えた後も継続したというのは論外で「いじめ」と言われても致し方ないでしょう。当初は週に1回程度にとどめるとか、ある程度時間をかけながら、研修を受ける側にも配慮することが望ましかったのではないでしょうか。もし、本当に教諭が主張するように(私にはそうも思えませんが)退職に持ち込もうという意図があるのであればなおさら、本人の体調はもちろん能力や適性をふまえてていねいに研修などを実施し、これだけ能力向上の努力をしたのに改善が見られない、さらに職員への職種転換も打診したがそれにも応じない、もはやこれでは解雇もやむなし、という形を取らなければならないはずです。というか、本人が退職したくないのであれば、こうしたやり方をすればなんとかそれなりに適応できてくる可能性も高いでしょうし、職員への職種変更だって応じるかもしれません。
それから、「席を離れるのに教頭の許可を求め」るというのも、人事管理としてはおよそ感心しません。まあ、裁判所に行ってからは、就業時間中に離席して「支援者」と会ったりするようなこともあったのかもしれませんが(全くの推測ですが)、それはそれで「離席時には行き先を明らかにするように」といった全教員・職員共通のルールのもとに、事後的に注意するなどすればいい話です。この人についてのみ離席の際にいちいち上司の許可を義務付ける、というのは、むしろこちらのほうが非人間的かもしれません。
なお、この教諭は「早く教室に復帰し」たいと意欲満々のようですが、残念ながら裁判所は模擬授業の中止を命じたに過ぎませんので、授業への復帰まではなかなか難しいのではないでしょうか。というか、いまの昌平高校の生徒たちは「進学校として再建する」昌平高校に進学したわけですので、そこに独善と自己満足で「自分の持っていることを注ぎ込み」「受験指導に傾いた学校の方向性を変えたい」などと言っている教員に出てこられたら、それこそ生徒も保護者も迷惑この上ないでしょう。まあ、このあたりは「支援者」に仕込まれたというか、踊らされている面もあるのかもしれませんが、それにしても学校教育をめぐるこの手の議論は、「子どものため」を金科玉条としながら、結局は教員のための議論なんだなあという感を禁じ得ません。まあこれは単なる感想ですが。