連合総研「イニシアチヴ2009研究委員会」ディスカッション・ペーパー

連合総研の「イニシアチヴ2009研究委員会」のシンポジウムで配布されたディスカッション・ペーパーが、連合総研のサイトで公開されました。
http://rengo-soken.or.jp/report_db/pub/detail.php?uid=200
一番最後に、私も人事労務管理の視点から一文寄せています(http://rengo-soken.or.jp/report_db/file/1245653189_a.pdf、165ページ以降)。
hamachan先生からは「何と言っても、真っ先に読むべきは、労務屋さんこと荻野勝彦氏の論考でしょう。賛否はともあれ、議論をかき立てる効果は随一です。」と、ほめてるんだかけなしてるんだかわからないコメントを頂戴しております(http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-4362.html)。実際、他の先生方がまことに格調高いペーパーを寄せられているのに対して、私の駄文はいささか挑発的かつ下世話な代物で、立派なペーパーの最後にこういう下品なものを載せていただくのも気がさしたのではありますが、「ディスカッション」ペーパーというくらいですから、論争的なのはそれはそれで良きかなということで(屁理屈)。
まあ、評価は内容への賛否によって分かれるだろうと思いますが、他の執筆者が錚々たる顔ぶれですので、学術専門的な内容は各先生方におまかせして、実務家にもそれなりに読みやすいものになるよう心がけたつもりではあります(成功しているかどうかは別問題ですが)。
ただ、論争的とはいっても、私がいちばん言いたかったことは、冒頭部分にあるこれでありまして(hamachan先生が引用された部分ともかかわります)、

…さてイニシアチブ2009研究委員会の議論は、委員やゲスト講師の高度に専門的な知見をもとに行われた。その多くは比較法的なものであった。もちろん、法制度を変えたときに社会がどのようになるのか、といったことは、およそ実験できるものではなく、比較法の知見はまことに貴重である。しかし、現実に人事管理の現場にあって実務に従事し、所属する企業の従業員の雇用と労働条件、意欲と能力とにわずかながらも責任の一端を有する立場からみれば、どうしても現実の労働市場、足元の人事管理の実態を重視することとなり、「海外ではこうだから」といった議論には懐疑的にならざるを得ない。したがって、本稿の論調はどうしても現状追認的な志向を有せざるを得ず、専門の研究者からみればまことに物足りないであろう。実務家の限界である。しかし、現行制度は長年にわたる労使の努力の積み上げによって実現してきたものである。たしかに今日的な要請に応えきれない法と実態の乖離は存在し、調整が必要だ。政策的な要請によって見直しが求められることもあろう。それは漸進的に取り組んでゆけばよい(実際、すでにわが国では努力義務などのソフトローを活用した漸進的制度改正がたびたび行われている)。しかし、それでもなお現行労働法制の多くの部分は、わが国の労働市場や労使慣行を踏まえた、それなりに妥当な、納得の得られるものになっていると考えてもよいのではないか。たしかに理念的な要請はあろう。しかし現状を変えることによる現実の弊害も少なからずあることも考えれば、そうした部分まであえて手をつけなければならないこともないのではないか。それが私の偽らざる感想である。

具体的には、「今日的な要請に応えきれない法と実態の乖離」というのはたとえばホワイトカラーの労働時間法制(問題の中心は賃金の支払い方なのですが)とか雇い止めの法理とかであり、「それなりに妥当な、納得の得られるもの」というのが解雇規制や定年制、ひいてはhamachan先生が引用された職能給主義ということになるわけですが。つまり、本当に論争的なのは水町先生の示した「グランドデザイン」でありまして、私の駄文はそれに関する論議のひとつという位置づけになるのだろうと思います。
なお、ひとつ前に情報労連の杉山さんと連合の村上さんが労組の視点からのペーパーを寄せられているのですが、意外にも?私の駄文と共通する内容があったりします。hamachan先生は「労働者代表制より労働組合」という共通点を指摘しておられますが、定年制の雇用保障機能に注目して年齢差別を論じている点などもかなり共通するものがあると思います。