梅澤正『職業とはなにか』

職業とは何か (講談社現代新書)

職業とは何か (講談社現代新書)

「キャリアデザインマガジン」第81号に載せた書評を転載します。


 ベストセラー作家、村上龍氏の手になる『13歳のハローワーク』という本が一世を風靡したことがあった。今でも、インターネット書籍通販大手のAmazon.co.jpの売上ランキングをみると「社会・政治 > 社会学 > 労働問題」のカテゴリではいまだに1位になっているが、この本の発売当時の「オビ」には「人生は一度しかない。好きで好きでしょうがないことを仕事にしたほうがいいと思いませんか?」という惹句が謳われていた。そしてその主要なメッセージは「いい学校を出ていい会社に入れば安心」という時代は終わりました。13歳から大人まで、自分の本当に好きなことをもう一度よく考えて仕事を選ぼう! 」というものだった。
 著者はこの本の中で、これらのフレーズを目にして「がっかりしてしまいました」と率直に述べている。それが永年にわたってキャリア研究に取り組んできた大家のいつわらざる感想だろう。著者はこの本の第1部で、「適職」こそ職業なのか、「やりたい仕事」こそ職業なのか、「楽しく働ける仕事」こそ職業なのか、と問いかけていく。第2部では「キャリアという考え方」を導入し、職業は生き方と不可分の「人と社会をつなぐもの」であると述べる。そして、職業が経済的報酬にとどまらず、知識や能力、人的ネットワーク、信用や人望といった人生におけるさまざまな資源を提供し、自分づくりを担保することを訴える。その中で、若者、特に就職活動にのぞむ学生たちに対するメッセージとして、人が職業を選ぶのとともに「職業が人を選ぶ」という側面に目をむけ、やりたい仕事ではなく社会が必要としている仕事、自己理解より社会理解という観点を大切にしようといったことが述べられる。キャリア教育に多くの業績を持つ著者らしく、現実社会を踏まえた、地に足のついた議論であり、企業で人事管理を担当する多くの実務家の実感にもよく一致しているだろう。
 続く第3部では職業能力が論じられる。以下は一介の実務家にすぎない私の、民間企業における人事管理の実務担当者としてのごく限られた経験に基づく実感によるもので、学問的価値はもとより皆無だが、正直な感想として述べさせていただくと、このあたりから少々論調が現実離れしはじめる感は否めない。著者は職業能力を基礎的能力と職業固有の能力とに大別し、「得意技や専門性が職業への自信を生む」として、職業固有の能力の重要性を強調する。これに対し、現時点では「コミュニケーション力」「社会力」あるいは「社会人基礎力」などの基礎的能力が重視されており、これが職業能力形成の遅れにつながっていると指摘する。著者は「職業」を企業などの枠を超えた普遍的な概念としているようなので、企業内で育成される能力は「職業固有の能力」よりは「仕事固有の能力」の色彩が強い、と考えているのかもしれない。第3部の後半では「プロフェッショナル」について熱を入れて語っているのだが、妙に経営コンサルタントなどの主張の引用が多く、第1部、第2部が著者の確信を感じさせたのに対するとやや説得力を欠く。特に企業の実務家としてつらいのは、「特定の組織に帰属し、企業のために尽くす人材にプロフェッショナルという用語をあてはめるのは適切とは思えません。プロフェッショナルは、語源に照らすと、企業や組織にとって重要か否かではなく、社会や市民にとって有意義かどうかが判断の尺度になるのではないでしょうか」という見解だ。「特定の組織に帰属し、企業のために尽くす人材はプロフェッショナルとはいえない」「プロフェッショナルは社会や市民にとって有意義かどうかが判断の尺度」ということは、「特定の組織に帰属し、企業のために尽くす人材は社会や市民にとって有意義ではない」ということだろう。しかし、企業とは財やサービスを提供することで社会のニーズにこたえるものであり、さらにはイノベーションを通じてより豊かな生活を実現していくといった大切な役割を果たしている。少なくとも、民間企業に勤務する人の相当割合は、自分の仕事は世のため人のためになっていると信じ、誇りに思っているだろう。それに尽くす人材は社会や市民にとって有意義ではないといわれては、企業の人事担当者は立つ瀬がない。たしかに企業内育成は著者にすれば「仕事固有の能力」を形成するものにすぎないかもしれないが、これほどまでに企業内育成を軽視されては企業実務家としては慨嘆するよりない。
 第4部は、私のいたって雑な受け止めとしては「企業にいやいや勤め続けるのも選択肢のひとつだけれど、転職や起業で「リセット」したほうがいいですよ、2回でも3回でも「リセット」すればいいけれど、ただしそれを成功させるにはリカレント学習が不可欠ですよ」ということのようで、これはこの限りではまったくそのとおりなのだろう。ただ、リカレント学習は成功の必要条件ではあるにしても、決して十分条件ではあるまい。また、リカレント学習といっても決して容易なことではなく、とりわけ個人が独力でそれに取り組むとなるとなおさらだ。実際、数多く紹介される個別事例も、スピンアウトして成功した例ばかりだが、これらがごく限られた例外であることは否定できない事実だろう。これに対し、日本企業の多くが採用している「長期雇用・内部育成・内部昇進」というやり方には、企業に勤続し、雇用を安定させつつ必要なリカレント教育・学習が行われていくしくみがビルトインされている。そして、それは決して例外的な人のものではなく、ごく一般的な多くの人々にも適用可能だ、というのが日本的雇用慣行の妙味なのだが、著者がそれにまったく関心を示してくれないのは人事担当者としてはまことに淋しい。
 企業実務家として残念なことに、この本は第1部・第2部できわめて有益な議論を展開しているにもかかわらず、「企業に対する無関心」という点において『13歳のハローワーク』と変わりはないように感じられてしまう。独立・起業して成功する人や、高度な「職業固有の専門能力」を生かして複数企業を渡り歩く人よりは、途中何度かの転職はあるにせよ勤め人のまま職業生活を終わる人のほうがはるかに多いのだし、それが今後大きく変わるということもおそらくあるまい。となると、今日のわが国において(現実を離れた善悪は別として)「リセット」「リカレント」を強調しすぎることは、これから職業生活を歩みはじめる若者たちをかえってミスリードしてしまうのではないかと心配するのは、はたして私だけなのだろうか?