経労委報告に対する連合の見解と反論・総論編

経団連が『2009年版経営労働政策委員会報告』で来季の春季労使交渉に厳しい姿勢を打ち出したのに対し、連合はさっそく「連合見解」として「日本経団連「2009年版経営労働政策委員会報告」に対する連合見解と反論」を発表しました。
http://www.jtuc-rengo.or.jp/news/kenkai/2008/20081216_1229417679.html
かなりの長文で気合の入ったものになっていますが、一方で、どうしてこうも口汚くののしるのだろう、というのも率直な印象です(ま、口汚くののしるのは私も得意技なのでヒトサマのことは云えませんが)。議論をするなら冷静にやったほうがいいと思うのですが、まあ議論ではなくて交渉なんだから、というところかもしれません。実際、これから決戦をはじめようというときに、このくらい刺激的に書かなければ傘下組織の士気が上がらない、というのもあるのでしょう(ちょっと情けない感じはしますが)。
それはそれとして、さっそく内容をみていきます。まず、「1.総括」というのがきます。

 日本経団連は、2008年12 月16日に「経営労働政策委員会報告」(以下「報告」)を発表した。
 今回の「報告」は、経営者団体としていかに日本経済を立て直し、産業社会を強化していくのかという課題に全く応えておらず、何のために社会に対して「経労委報告」を提起するのかと言わざるを得ない。
 現下のマクロ経済の状況からすれば経営者団体として会員企業に対し、非正規を含むすべての労働者の雇用の安定を徹底させ、マクロの観点から積極的賃上げによる内需喚起を促すこと、そして、日本の将来設計、新しい産業構造のあり方について政府に対し、また、世の中に向けて発信していくことが重要であり、日本経団連は財界代表として主導力を発揮すべきである。
 今次労使交渉でどこまで踏み込み、そしてどういった結果を引き出すのかが、今後の日本経済のカギを握る。にもかかわらず、「報告」は、雇用維持については「安定に努める」とだけ、賃上げについても「ベースアップは困難と判断する企業も多い」、定期昇給を含めた「賃金改定の重みを再認識する時期にある」と賃金抑制の姿勢を打ち出すなど「賃上げにも雇用安定にも応えようとしない」会社中心のミクロの論理に拘泥する経営姿勢がみてとれる。
 今こそ日本の労使関係の真価が問われている。これまで日本経済の成長を支え、石油ショック円高不況、貿易摩擦など、幾度かの危機を乗り越えることができたのは、従業員とその家族の生活を守り、人材の育成を処遇につなげ、信頼に裏打ちされた労使関係を築きあげてきた日本型雇用システムがあったからである。しかし、この間のなりふり構わぬ企業経営は、その良好な労使関係と労使の信頼関係を毀損させた。
 経営者が真剣に「労使一丸となって難局を打開していく」というのであれば、これまでの「雇用のポートフォリオ」にもとづく行きすぎたコスト主義の経営姿勢について反省し、長期勤続雇用を旨とする日本型雇用システムに回帰させるとともに、労使の信頼関係を修復しなければならない。また、同時に、国民経済的見地を踏まえ、企業の短期的利益のみにこだわらず、物価上昇に見合うベアによって、労働者生活の維持・確保に努めなければならない。そして、歪んだ配分を是正し、内需主導型の持続的な経済成長の実現をめざし、責任を果たすべきである。
 いまの日本の企業体質は、残念ながら「報告」のいう「社会の公器」とは程遠い現状にある。「希望の国」どころか、ミクロに埋没し、経営モラルを失った国に陥っている。企業を「社会の公器」として「社会の持続的な発展に尽力する」というのであれば、「わが社さえ生き残れば」ではなく、日本がいま直面している経済的・社会的な閉塞状況と正面から向き合い、社会的責任を含めた新しい意味での日本型コーポラティズムを再構築していく必要がある。
 こうした観点も含め、今次報告に対し、以下の諸点について見解を示す。
http://www.jtuc-rengo.or.jp/news/kenkai/2008/20081216_1229417679.html、以下同じ)

雇用や賃上げについて意見が違うのは仕方ないというか当然なんですが、「経営者団体としていかに日本経済を立て直し、産業社会を強化していくのかという課題に全く応えておらず」とか「日本の将来設計、新しい産業構造のあり方について政府に対し、また、世の中に向けて発信していくことが重要であり、日本経団連は財界代表として主導力を発揮すべきである」というのはちょっと…。経労委報告を読むとずいぶんその手の話も書いてあるように私には思えるのですが。まあ、連合としてみれば「非正規を含むすべての労働者の雇用の安定を徹底させ、マクロの観点から積極的賃上げによる内需喚起を促す」のが唯一の正解であり、連合白書と同じ内容でなければ「課題に全く応えていない」という評価になるのかもしれませんが。
また、連合は「今こそ日本の労使関係の真価が問われている。これまで日本経済の成長を支え、石油ショック円高不況、貿易摩擦など、幾度かの危機を乗り越えることができたのは、従業員とその家族の生活を守り、人材の育成を処遇につなげ、信頼に裏打ちされた労使関係を築きあげてきた日本型雇用システムがあったからである。」と日本型雇用システムを高く評価しています。私も同様の感想を持っているところです。
そして、実はこれは経団連もほぼ同じスタンスで、『2009年版経営労働政策委員会報告』の「第2章 今次労使交渉・協議における経営側のスタンスと労使関係の深化」には、きのうご紹介した「2.」の前に「1.企業を取り巻く危機的状況への対応にみる労使関係の深化」という項目があって、こんなことが書いてあります。

 過去における第一の経済的危機は、1973年の第一次オイルショックによる高度成長の終焉である。…しかし、わが国企業は、積極的な省エネルギー投資、合理化努力の徹底、ME(マイクロ・エレクトロニクス)の導入にともなう配置転換、在籍のまま他企業へ出向き従事する応援出向、構造不況業種従業員の他業種への転籍などを行なうとともに、企業の存続を重視した労使の努力によりインフレ抑制を実現することで、他の先進諸国に先駆けて危機的状況から脱却することに成功した。その後の第二次オイルショックにおいても、第一次オイルショックの経験を踏まえ、大幅な賃上げは実施されず、大きな混乱は避けられた。
 第二の危機は、バブル崩壊後の長期不況である。…過剰雇用に陥った各社は、雇用維持・確保を最優先としてあらゆる解雇回避努力を重ねた。まさに企業の生き残りをかけて、事業の選択と集中、資産売却、海外法人・支店の撤退、合併といった経営の再構築(リストラクチュアリング)、人件費の適正化などの困難な経営改革に危機感を共有して取り組んだほか、一部企業では、早期退職制度などを実施するまでに至った。
 過去のオイルショックや平成不況を乗り越えられたのは、わが国の労使関係が経済状況や企業実態を重視する成熟したものへと深化してきたからこそといっても過言ではない。
 生産性の向上によって国際競争力の強化を図ることが必要であるとの認識は、過去の危機的状況を乗り越える過程を経てわが国企業の労使間で共有され今日に至っている。
日本経済団体連合会『2009年版経営労働政策委員会報告 労使一丸で難局を乗り越え、さらなる飛躍に挑戦を』から)

ただ、一読してわかるように、日本的雇用システムを高く評価するというスタンスは同じとしても、経団連イノベーションや経営改革を重視する姿勢を鮮明にしており、連合の「非正規を含むすべての労働者の雇用の安定を徹底させ、マクロの観点から積極的賃上げによる内需喚起を促す」ことで「内需主導型の持続的な経済成長の実現」をめざすという姿勢とはある意味対照的です。企業としてみれば、労組とは異なり、単に雇用を抱え込むだけではよしとせず、イノベーションを通じて需要を開拓・拡大し、あるいは経営革新・コストダウンで販売を伸ばすことによって仕事・雇用を増やしていこうという発想を持つのは、これは当然のことです。まあ、これはどちらが正しいというよりは、おそらくはどちらも重要な観点であって、その時々の経済状況などに応じて適切な組み合わせを模索すべきものなのでしょう。
また、前回の雇用調整局面について、経団連は「過剰雇用に陥った各社は、雇用維持・確保を最優先としてあらゆる解雇回避努力を重ねた。まさに企業の生き残りをかけて、事業の選択と集中、資産売却、海外法人・支店の撤退、合併といった経営の再構築(リストラクチュアリング)、人件費の適正化などの困難な経営改革に危機感を共有して取り組んだほか、一部企業では、早期退職制度などを実施するまでに至った。/過去のオイルショックや平成不況を乗り越えられたのは、わが国の労使関係が経済状況や企業実態を重視する成熟したものへと深化してきたからこそといっても過言ではない。」と、これら努力によって雇用失業情勢の悪化をできるだけ喰い止めてきた、という評価をしているらしいのに対し、連合は「石油ショック円高不況、貿易摩擦など、幾度かの危機を乗り越えることができたのは、…信頼に裏打ちされた労使関係を築きあげてきた日本型雇用システムがあったからである」が、「この間のなりふり構わぬ企業経営は、その良好な労使関係と労使の信頼関係を毀損させた。」という否定的評価をしているようです。
ここはかなり悩ましいところで、たしかにこの間株主への配分を増やし続けたことに対して「なりふり構わぬ企業経営」と評するのであれば、それはたしかにありうる主張かもしれません。この間の生産性運動の成果配分が適正ではない、というのは連合がかねてから主張しているところでもありますし(もっとも、その根拠として労働分配率を持ち出したのは適切とは思えませんでしたが)。ただ、これに関しては一昨日のエントリでも取り上げましたが「そもそも低すぎた株主への配分を正常化しているだけ」という評価もありえます。個別に判断すべき問題でしょう。
いっぽうで(ここが悩ましいところなのですが)「従業員とその家族の生活を守り、人材の育成を処遇につなげ、信頼に裏打ちされた労使関係を築きあげてきた」「長期勤続雇用を旨とする日本型雇用システム」を低成長下においても維持していくためには、景気変動・需要変動などに対するフレキシビリティ確保のためにどうしてもある程度の非正規雇用を持たざるを得ません。それが「自社型雇用ポートフォリオ」の核心であり、これを「行きすぎたコスト主義」と一括するのはやや理解が浅いように思われます。すなわち、連合の高く評価する「日本型雇用システム」と「非正規を含むすべての労働者の雇用の安定を徹底」とは相容れない、というか矛盾するものなのです。「日本型コーポラティズムの再構築」を標榜する連合としては非正規雇用までも含んだ唯一の中央集権的ナショナルセンターとして振る舞おう(それにしては組織率が低く、かつ低下していますが)ということで「非正規を含むすべての労働者の雇用の安定を徹底」という主張をしているのかもしれませんが、それは現状では末端組織に矛盾を押し付けるだけのことではないかと危惧します。となると、さらに踏み込んで、非正規まで含めた形でのワーク&ウェイジ・シェアリングを行うなど、より具体的な提案が望まれるところですが、現局面では「雇用も賃上げも」を旗印にしている連合としてはワーク&ウェイジ・シェアリングは持ち出しにくいかもしれません。おそらく、別の場では検討はしているものと思われますが…。
ときに、私もネオ・コーポラティズムには一定のシンパシーを持つ(あくまで「一定の」ですが)ものではありますが、それにしても連合の「日本型コーポラティズム」というものはいささか不可解です。いかなる不況下にあっても生産性と無関係に物価上昇分のベアを保障し、いかなる不況下にあっても非正規雇用も含むすべての労働者の雇用を安定させることを企業の社会的責任とする、というのは、もはやソヴィエト連邦北朝鮮の世界のような気がしますが…(まあ、雇用については労働市場全体で安定させるということかもしれません。そうでないと政府の役割がないので)。