大竹文雄『格差と希望』

格差と希望―誰が損をしているか?

格差と希望―誰が損をしているか?

「キャリアデザインマガジン」第77号のために書いた書評を転載します。


 この本は、著者が2005年度・2006年度に日本経済新聞に毎月1回連載した「経済論壇から」を時系列に並べ、その間に「追記」として現時点における著者のコメントを付すとともに、他のメディアに著者が寄稿した関係する内容のエッセイが配置されているという面白い構成をとっている。格差問題などを小泉構造改革の「負の側面」とし、社会政策、経済政策の転換を求める論調が広がったこの時期に、なにがテーマとされ、どのような議論が行われたのかが一望できることに加え、行動経済学など最新の経済学研究の成果も取り入れた解説が付されており、まさにオビの惹句にあるとおりの「気鋭の経済学者による明快な時代診断」の書といえそうだ。
 したがって、取り扱われているテーマも多岐にわたっているが、著者も指摘しているとおり、その議論の形には驚くほど共通する部分がある。著者のいうとおり、「具体的な事件を通して、私たちは意外に普遍的な問題を議論していた」のであり、その中での著者の立場は「経済学の視点で世の中を見る」というものだった。もちろん異なる立場もあるだろうが、効果的な政策のあり方を考えるうえではやはりゆるがせにできない視点であるに違いない。
 さて、その中でもやはり多くを占めているのは「格差問題」だ。著者は人口に膾炙した感のある「構造改革が格差を拡大させ、貧困を増やした」といった俗説には批判的であり、格差拡大の主因は高齢化であるとの主張で一貫している。規制緩和に関しては、かつて享受していた規制のレントを失った人にとっては格差拡大を感じるかもしれないが、新規参入を果たした人にとっては格差は縮小しているとの立場である。そして、本当の意味で問題とすべき格差は就職氷河期に就職難に直面した若年世代の間に発生している格差であり、その原因はすでに就労していた年長世代の既得権が守られたことにあるという。これに対する対策は教育・訓練の充実であり、それが喫緊の課題だとしている。もっとも、高齢化が進展し、中高年の政治的プレゼンスが高まっていくなかでは、それは容易ではないことも指摘されている。それではどうするか。これに対する明確な解答はこの本にはないようだ。
 実際、これは大変な難問のように思える。ただ、いかに教育訓練を行ったとしても、それが最終的にそれに見合った職に就くことにつながらなければ格差の問題は解消されないことには注意が必要なように思える。逆に、能力開発に有意義な職に就くことができれば、自動的に教育訓練の問題は解決される。もちろん、適切な政策運営や技術革新によって有意義な職の求人が十分に増えていけば問題はないし、それが最も目指すべきところでもあろうが、そうでない場合はどうするか。強制的な早期引退かワークシェアリングによって職を再分配することが必要だが、これはもちろん政治的に困難だろうし、生産性も低下する心配が大きい。
 こうしたとき、それほど大きな効果はないのかもしれないが、業績に対してより寛大な会社制度にしていくということも、案外大切なのではないか。著者も指摘しているように、企業としてみれば後継人材育成の観点から一定の若年者を採用するニーズはあるはずである。「失われた10年」においては、業績は悪くとも仕事は忙しいというのが多くの実態であったのだから、なおさらだ。このとき、著者は本書で「既得権を持つ正社員が賃金の引き下げに応じていたら」と悔やむ。しかし、中長期的な人材育成の観点から採用を行ったことに起因する業績悪化が許容されるのであれば、それは新規雇用という意味では同じことではなかろうか。企業・経営者が過度に短期的な利益を追及されないようにしていくことは、この点においても重要であるように思える。
 そして、これに関してもうひとつ大切に思えるのが、適切な金融政策だ。ある程度以上のインフレであれば、これも著者が別の場所で指摘しているところだが、名目賃金は上昇させつつ実質賃金は切り下げる、ということができる。業績も同じで、売上などもとりあえず名目では上がる。こうした状況であれば、正社員の実質賃金を抑制することで新規採用を維持するという対応も比較的容易であったに違いない。私は金融のことはわからないが、デフレは人事担当者にとっても賃金施策を大きく制約する、まことに迷惑なものだったとはいえるように思える。