日本をダメにした?労働判決

職場で「週刊ダイヤモンド」5月24日号が回覧されてきました。表紙に大書された特集名は「裁判がオカシイ!」。スルーして次に回そうかとも思いましたが、労働関係の訴訟の記事でもないかと思ってパラパラと見ていたら、ありました、ありました。「不正義の温床に過去の判例あり 日本をダメにした裁判はコレだ!」という記事の中に、東洋酸素事件と東亜ペイント事件という人事屋の世界では非常に著名が裁判が紹介されています。まずは東洋酸素事件から。

若者の雇用格差も30年前の裁判に原因
 身近な問題からいえば、正社員になれない若者たちが増え、格差が拡大しているのは、整理解雇についての厳格なルールを定めた約30年前もの東京高裁の裁判−東洋酸素事件−に問題の発端がある。この裁判では、整理解雇に当たって必要とされる4要件が提示され、企業に高いハードルが課された。このように厳しい解雇ルールが定められたことが、非正社員を増やすというその後の企業の行動につながった。
(「週刊ダイヤモンド」2008年5月24日号、通巻4229号から、以下同じ)

この記事には「チームJ」という署名があり、4人のメンバーが記載されていて、どうやらその共著で日経新聞社から出た『日本をダメにした10の裁判』という本の要約のようです。日本をダメにした10の裁判のうち2つが労働事件なのですからたいしたものです(なにが?)。
それはそれとして、解雇規制、特に整理解雇の規制が厳しいせいで、企業はいわゆる正社員の雇用に慎重になり、比較的雇用調整の容易な非正社員(というか、有期雇用契約)を増やすのだ、という主張にはかなりもっともなものがあります。ただ、それでは企業が解雇規制を嫌うあまり全員が非正社員、有期雇用になっているかというとそうではなく、依然として3分の2は正社員となっている。ということは、企業としては解雇が困難という欠点?があるとしても、正社員にはそれ以上のメリットがあると考えているということでしょう。だとすると、整理解雇がより容易になったとしても、企業は余剰人員についてのみ整理解雇を行うにとどまり、それを上回って整理解雇を行って新卒の未熟練者を採用するということがどれほど行われるかといえば、それほどではないのではないでしょうか。
さらにいえば、解雇規制を撤廃して正社員の非正社員化を行えば、たしかに雇用形態や雇用保護の格差はなくなるので、いっけん格差は縮小するかのようにみえるのかもしれません。しかし、現実にはスキルが高くて容易には解雇されない人と、スキルが陳腐で簡単に解雇される人の格差は当然残存するでしょう。正社員の非正社員化は、未熟練の若年に対して企業が教育訓練を行うインセンティブを低下させるでしょうから、若年の技能形成が進みにくくなり、若年世代内の格差は縮小するにせよ、世代間の格差はむしろ拡大する可能性があります。
「正社員になれない若者たちが増え、格差が拡大している」ことの原因は、解雇規制の存在も多少はあるかもしれませんが、やはり長期にわたる経済の低迷と企業の業績不振が最大ではないでしょうか。「整理解雇が容易だったらもっと業績改善が早く、結果として労働需要も早期に拡大したはずだ」という理屈はありうるのかもしれませんが(本当にそうかは別として)。
さて次は東亜ペイント事件です。

 企業の転勤命令に関する裁量を広い範囲で認める判例−東亜ペイント事件−も20年前に確立している。「夫が外で働き、妻が家庭を守る」というのが当たり前だった時代の判決だが、年老いた両親と共働きの妻と幼い子どもがいる家庭の夫に対する転勤命令を有効と認めた。共働き家庭が増える一方、少子化対策やワーク・ライフ・バランスが社会的要請となり、企業自身も意識を高めている今日、家庭生活を軽視する判例は見直されるべきだ。

下世話な言い方をすれば、大卒で入社すれば頻繁に転勤がある会社だとわかっていて、勤務地を限定せずに入社したのだから、業務上必要な転勤で単身赴任になるのは我慢しなさい、という判例なわけです。まあ、単身赴任が少子化やワーク・ライフ・バランスのためにいいことではないことは間違いないとは思いますが、それが「日本をダメにした」のかといわれるとちょっと…。そもそも、すべての企業でそうも頻々と転勤があるわけではなく、また、あらゆる職種で転勤があるわけでもなく、その中でも単身赴任は少数なわけで、すべてこの判決のせいで少子化がおきたりワーク・ライフ・バランスが損なわれたということではないでしょう。
むしろ問題なのは、単身赴任もいとわずに(ワーク・ライフ・バランスにはおかまいなしで)出世をめざすのが立派な人生だ、といった画一的な価値観が定着していたことにあるのではないでしょうか。
実際にはこの事件では大阪在住の原告にまず広島への転勤が内示され、これを原告が拒んだので、次は名古屋への転勤が発令され、これに原告が従わなかったので解雇された、という経緯があります。会社としては、じゃあ少しでも近い名古屋にしてあげましょう、と一歩譲って妥協をはかろうとしたけれど不調だったということでしょう。ここでさらに、互いにもうすこし譲歩して、降格されてもいいから大阪にいさせてほしい、という妥協をはかることはできなかったのだろうか…と思うのですが、この当時は労使ともにそこまでの発想はなかったのかもしれません。
ワーク・ライフ・バランスが普及しつつある今日であれば、出世を捨てて転勤を断る、ということはずいぶん可能性のある話になっているのではないでしょうか。そう考えれば、東亜ペイント事件の「業務上必要な転勤については単身赴任も甘受すべき」という判決が「日本をダメにした」判決、それも代表的な10の判決のひとつ、とまではなかなかいえないのではないかと思います。まあ、このあたりは本の中で詳しく論じられているのかもしれませんが、労働関係判決2件だけのために本を買う気にもなりませんが…図書館には入っているのだろうか。