トラック運転手「同じ仕事で定年後賃金差違法」

久々の労働法タグ。いや私もそろそろ定年が視界に入ってきているのでそのようにしていただけるならけっこうな話ではあるのですが(笑)、記事を見たときにこういう展開になるだろうと思ったところ案の定ご意見照会をいくつか頂戴しておりますので書きます。ただ現時点では事実関係や判決文など明らかになっていないことが多いので報道ベースであり、なにかと限界はありますのでそのようにお願いします。
そこでまず日経新聞の記事から。

 定年退職後に横浜市の運送会社に再雇用された嘱託社員のトラック運転手3人が、正社員との賃金格差の是正を求めた訴訟で、東京地裁(佐々木宗啓裁判長)は13日、「業務内容が同じなのに賃金が異なるのは不合理」として、請求通り正社員との賃金の差額計約400万円を支払うよう運送会社に命じた。
 判決は「定年前と同じ立場で同じ仕事をさせながら、給与水準を下げてコスト圧縮の手段にするのは正当ではない」と指摘。再雇用者の賃金を下げる運送会社の社内規定について、正社員と非正社員の不合理な待遇の違いを禁じた労働契約法に違反すると判断した。
 原告側の代理人によると、再雇用の賃金をめぐり、労働契約法違反を認める判決は初めて。
 判決によると、3人は2014年に60歳の定年を迎えた後、1年契約の嘱託社員として再雇用された。
 セメントを輸送する仕事の内容や責任の程度が変わらない一方、年収は定年前より2〜3割下がった。
 被告の運送会社は「会社が定年前と同じ条件で再雇用しなければならない義務はなく、不合理な賃金ではなかった」と主張していた。
 代理人の宮里邦雄弁護士は、「運送業界では、中小業者を中心に、全く同じ仕事なのに再雇用者の賃金を下げる例が多い。不当な処遇の改善につながる判決だ」と述べた。
 企業が定年後に嘱託社員を雇用する場合、仕事内容の変更とともに賃金を引き下げることは一般的。佐々木裁判長は「コストの増大を回避しつつ定年者の雇用を確保するため、賃金を定年前より下げること自体には合理性が認められるべきだ」とも判示した。
平成28年5月14日付日本経済新聞朝刊から)

正直言って非常に不審というか不思議な判決という感じで、民事11部のやることですし、この判事さんもざっと調べた限りではそれほど妙な判決を出してもおられないようなので、正直なところ記事になっていない重要な事情というのがありそうな気がひしひしとしているのですが、それはそれとして。
もちろんこれがドライバー経験者の中途採用定期昇給のようなものも特段ないジョブ型雇用であれば60歳になったからといって賃金を下げるというのはおよそ合理的でない話ではありますが、報道によると「3人は同社に21〜34年間、正社員として勤務。2014年に60歳の定年を迎え、1年契約の嘱託社員として再雇用された。業務内容は定年前と全く同じだったが、嘱託社員の賃金規定が適用され年収が約2〜3割下がった」(同日付朝日新聞朝刊)ということなのでまあ一般的な正社員だったということでしょう。
となるとこれは極めて不可解な話で、たとえば高齢法に関する厚生労働省のQ&Aには「継続雇用制度について、…従来の労働条件を変更する形で雇用することは可能ですか。…」というQに対して「高年齢者雇用安定法の趣旨を踏まえたものであれば、最低賃金などの雇用に関するルールの範囲内で、フルタイム、パートタイムなどの労働時間、賃金、待遇などに関して、事業主と労働者の間で決めることができます」(http://www.mhlw.go.jp/general/seido/anteikyoku/kourei2/qa/)と明記されているように、定年後再雇用の場合は定年をもって従前の労働契約が終了し、新たな労働契約を締結するものであって、高齢法の趣旨に反しない=事実上再雇用を拒む・不可能とするものでない限り労働条件は自由に設定しうるとされていました。
もちろん、今回の判決が依拠する労契法20条はその後の改正で成立したものではありますが、これについても厚生労働省のマニュアル(http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/keiyaku/kaisei/dl/pamphlet07.pdf)には「定年後に有期労働契約で継続雇用された労働者の労働条件が定年前の他の無期契約労働者の労働条件と相違することについては、定年の前後で、業務の内容および当該業務に伴う責任の程度や、今後の見込みも含め、転勤、昇進といった人事異動や本人の役割の変化の有無や範囲等が変更されることが一般的であることを考慮すれば、特段の事情がない限り不合理と認められないと解されます」と明記されています(読みやすさに配慮して一部引用者が編集しました)。これはおそらく審議会審議や国会審議でも確認された立法者意思であると思われますので(いま会議録にあたったわけではないので誤りがあればご容赦)、なるほど画期的な判決なようにも思われます。
ただし判決は「コストの増大を回避しつつ定年者の雇用を確保するため、賃金を定年前より下げること自体には合理性が認められるべきだ」とも判示したうえで(上記日経記事)、それでもなお今回のケースについては「「正社員と嘱託社員で職務内容や配置変更(転勤)の範囲、責任の度合いに違いがないのに、賃金額が異なるのは不当だ」とした(同日付産経新聞朝刊)ということのようです。まあ、仕事そのものは定年前と同じだったということは報道をみるかぎりではそれほどの争いはなかったようですが、「異動や転勤の範囲」については会社は「正社員の時は年功賃金で処遇され、定年退職時に退職金も支給され、そのころには家族構成も変わっている」などと主張したということですから(同上)、それが事実であれば「今後の見込みも含め、転勤、昇進といった人事異動や本人の役割の変化の有無や範囲等」は再雇用前後で明らかに変わっているわけなので、これを「同じ」とすることは人事管理の実情から乖離しており明らかに失当と思います。昇進の可能性が同じなんて常識的にあり得ませんよねえ。
ということでここについては報道では明らかでない大きな事情があるのではないか、たとえば再雇用者の就業規則が正社員の就業規則から賃金と契約期間のみを書き換えただけであとは同じものでしたとかいったずさんな実態があったのではないかなどと推測しているわけです(それでも実態にもとづいて判断すべきだという気もかなりしますが)。いやそうでもなければこんな判決が出るわけがないわけであって。
ただまあ仮にそういう事情だったとしても定年直前の処遇と比較するのはどうなのかという感もあり、会社側が主張するように正社員の賃金は「年功賃金で処遇され」ていて定年後は職務給だということなのであれば、比較対象は少なくとも同一業務に従事する正社員の平均であるべきでしょうし、再雇用が新たな契約であることを考えれば、新規採用(新入社員ではなく、同一業務の経験者中途採用)の賃金との比較であるべきとの考え方もあるかもしれません。ただし、これについても判決文では「仕事は正社員と同じで、定年前と能力に差があるとも考えにくい」と判示しているようなので(同日付産経新聞朝刊)このあたりも就業規則が不備で定年後再雇用も職能給という定めになっていたとかいう話なのかもしれません。
もうひとつ不審なのは、判決が「会社の経営状況は悪くなく、賃金を抑える合理性はなかった」「運送会社は再雇用制度をコスト削減の手段としていた側面があるが、人件費圧縮が必要な財務状況ではなかった」(同日付産経新聞朝刊)などと経営状況を気にしているらしいところで、これは就業規則の不利益変更における合理性判断をあるいは意識しているのかもしれませんが、経営不振に迫られて実施する就業規則の不利益変更と継続雇用の実現のために導入する再雇用制度とを同様に考えるのもおかしいような気がします。ことによると、「コストの増大を回避しつつ定年者の雇用を確保するため、賃金を定年前より下げること自体には合理性が認められるべきだ」と述べていることとあわせて考えれば、トラック運転手というのは慢性的な人手不足状態であって被告としても原告らに継続して就労してもらう必要性は高く、であれば被告にとって継続雇用が実現することの利益は大きいものではなく、したがって賃金を下げるのは被告の得る利益に比して不当だ、という話なのかもしれません。このあたりは判決文を見ていないのでまったくの推測ではありますが、しかしある程度長期的な運用が予定されている再雇用制度の当否が足元の労働市場の状況や企業業績などに左右されるというのも妙な話のような気はします。
ということでやはり判決文を読まないとわからんということではあるのですが、多分にこの事件の個別事情による部分が大きくあってメディアが騒ぐほどの射程はないのではないかという印象はあります。被告に就業規則の不備のようなどうしようもない労務管理上の手落ちがあるのであれば格別、そうした事情がないのであれば控訴審で覆るのではないでしょうか。
人事管理への影響についても、就業規則の不備が決定的だったのであれば各社ともその点検整備に乗り出すでしょうし、そうでなくても「今後の見込みも含め、転勤、昇進といった人事異動や本人の役割の変化の有無や範囲等」をより明確化する方向で対処することに足下ではなるのでしょう。
ただ、私としては、(判決文を読むまで評価はできませんが)こういう不審な判決が出たということを別の形で受け止める必要がありはしないかとは思います。なにかというと、65歳継続雇用原則義務化からはもう10年以上、基準制度廃止からも3年以上が経過したわけですから、そろそろ労使が65歳定年延長に向けた中長期的なロードマップづくりに取り組むべき時期ではないかと思うわけです。世間的に65歳継続雇用が「当たり前」になりつつある中で、65歳までの雇用が保障されるのだから労働条件が低下してもいいだろう、と言える程度も徐々に小さくなってきているのかもしれません。もちろん定年延長となれば定年前の賃金制度や人事管理も大幅に見直す必要があるでしょうし、それなりに時間をかけて段階的に進める必要があるでしょう。だからこそ、早めに取りかかることが望ましいのではないかと思います。