ゾンビ復活か?

今朝の新聞各紙によりますと、昨年2月の第166通常国会に提出されたまま継続審議が続き、長くたなざらしにされてきた労働基準法改正法案を、一部修正のうえ成立させようとの動きが与党内部にあるのだとか。このまま継続審議で引っ張って衆院解散→廃案になるかなぁと思っていたところが、思わぬ復活劇です。

 自民党谷垣禎一公明党の斉藤鉄夫両政調会長は17日、国会で継続審議となっている労働基準法改正案に関し、50%以上の賃金割増率を義務付ける残業時間を「月80時間超」から「月60時間超」に修正する議員立法臨時国会提出を目指し、協議に入ることで一致した。
 18日に両氏が会談、正式に確認する。民主党にも修正案の成立に向け理解を求める考え。
 同改正案は月80時間超の残業をした場合の割増率を現行の25%から50%に引き上げることが柱で、昨年の通常国会に提出された。公明党が残業時間が長すぎると短縮を強く主張、場合によっては単独で修正案を提出する姿勢をみせていた。
 連合は大幅な残業時間短縮を求め、経営側は難色を示していた。
 両党は、政府に対し日雇い派遣を中心とした労働者派遣の規制強化策を盛り込んだ労働者派遣法改正案を臨時国会に提出するよう求める方針も18日に確認する。(共同)
(平成20年6月18日付東京新聞朝刊から)

第166通常国会では、労働基準法改正のほか、労働契約法の制定、雇用対策法・パート労働法・最低賃金法の改正など、多くの法案が提出、あるいは審議され、関係者の間では「労働国会」と称されていました。個別の法律の手直しではなく、労働法制を全体として見直そうということで、労使の代表が参加する労働政策審議会(の各分科会・部会)の場で幅広く議論が行われ、各法案が単独のものとしてだけではなく、一連の体系的なものとしても検討され、審議会から建議されてきました。
また、労働基準法改正の建議自体が複数の内容を含んでいるわけですが、これらもやはり独立したものではなく、相互に補完しあいながら政策的意図を達成しようというものであることは言うまでもありません。
ところが、年金記録問題や当時の柳沢伯夫厚労相の舌禍事件をはじめとする閣僚の不始末、「格差社会」キャンペーンなどによって当時の安倍内閣の支持率が急落、国会も厚生労働委員会社保庁改革に時間をとられて労働国会どころではなくなってしまいました。こうした中、労働基準法改正法案については、労働政策審議会の建議に基づいて作成され、同審議会で妥当と答申された法律案要綱から、「残業代ゼロ法案」などとマスコミの集中砲火を浴びて国民に不人気だった自己管理型労働時間制度をカット(一応、引き続き与党内で検討と「先送り」の形にはなっていますが)したり、与党の支持基盤である中小企業に配慮して時間外労働割増率の一部引き上げについて中小企業に猶予措置を設けたりするといった改変を施すという与党合意が行われ、それに沿って法案が提出されました。
したがって、理屈の上においては、「労働国会」で提出・審議された他の法案との整合性が崩れることになりましたし、労働基準法だけでみても、当時の辻厚生労働事務次官が記者会見でこの与党合意について「パッケージで捉えられるのが筋」「体系的にもそのようにみなさんも理解してきたと思います」などと発言しました。また、手続的にみても、もちろん立法は議会の役割なので議員や政党がこれを行うことは当然ではありますが、それにしても労使の当事者からしてみればやや問題を感じざるを得ないものではありました。
ということで、この改正法案はこのまま継続審議を続けるうちに衆院解散→廃案となり、あらためて労働時間法制をそれなりの時間をかけて全体的に再検討していくというのが望ましいシナリオではないかと思います。労働時間管理の問題や、最近話題の管理監督者の範囲、あるいは長時間労働にともなう健康被害の抑止などなど、労働時間法制に関する検討課題は数多く、割増賃金率のあり方もこうした総合的な議論の中の一つとして考えるべきでしょう。そういう意味では、今回のようにごく部分的かつ不自然な改正のみをわざわざ行うことはむしろ弊害が多いとみるべきでしょう。
さらに、内容をみても、パッケージとして適切かどうかというのもいささか疑問があります。
改正法案は時間外労働が月間80時間を超える分について割増賃金率を50%に引き上げとなっており、今回の修正は80時間を60時間にしようということですが、それは「残業時間が長すぎる」からだ、ということのようです。
しかし、割賃を引き上げれば残業が減るかというと、それはかなり疑わしいように思われます。残業のコストを高くすれば使用者は残業を減らすだろう、という考え方もわかるのですが、いっぽうで割賃の引き上げは従業員にとっては時間外労働へのインセンティブの増加でもあります。一部の製造現場など、従業員が労働時間・残業時間を調整しにくい職場はともかく、多くのホワイトカラーなどは相当程度自分の残業時間を自分で調整できる実態があるため、所得選好の強い従業員は、むしろ一層長時間労働、長時間残業にはげんで多額の残業代を稼得しようとする可能性がありそうです。割賃の引き上げは時間外労働をさせる使用者へのいわば罰金となるいっぽうで、長時間労働をする労働者へのいわば補助金ともなることに留意が必要でしょう。
いっぽうで、この改正がどれほど現実的な影響をもたらすのか、という点についても疑問があります。たとえば、ごく大雑把な概算ですが、従業員全員が毎月100時間の時間外労働をしているといった極端なケースで考えても、100時間のうち80時間を超える20時間について割賃を25%から50%に引き上げるだけのことですから、コストアップはせいぜい1〜2%程度、60時間を超える40時間としたところで3%そこそこの影響しかなさそうです。ということは、現実にはほとんどの企業ではコンマ数%以下の軽微なコスト増にとどまる可能性が高いのではないでしょうか。そういう意味では、経営サイドがどのくらい強く難色を示しているのかはわかりませんが、とりあえずコスト的には強く反対する理由はないように思われるのですが、そうでもないのでしょうか。まあ、これを発端になし崩しに割賃を上げられていくのではないかという懸念はあるのかもしれませんが…。
そういう意味では、連合などは割賃をもっと高くして、80時間とか60時間とかいわずに根本から上げればいい、と主張するのでしょうが、これはこれで企業のコストへの影響が大きい反面、働く人への時間外労働促進効果もまことに大きくなるわけで、労働条件改善という意味ではいいかもしれませんが、長時間労働の抑止や労働時間の短縮という面でははたしていいのかどうか難しいところだと思われます。

  • もし本当に全員が月間100時間の時間外労働をしている会社があったとしたら、それは割賃以前の問題で、なんらかの方法で是正をはかる必要があるでしょう。ところが、今回の改正法案では、中小企業については3年間適用を猶予し、その後改めて検討する(適用すると決まっているわけではない)とされています。大企業でも長時間労働は多いのでしょうが、極端なケースはやはり中小企業の方が多いだろうということは容易に想像され(根拠なし。言いがかりだったらすみません)るわけで、となるとこの法律はそこは野放しにしてしまっているわけです。

むしろ、企業にとって負担となるのは、割増賃金率が2段階になることで、賃金計算プログラムを変更しなければならないというイニシャルコストかもしれません。「弥生給与」のような統合ソフトを使っている企業であればアップロードプログラムが配布されるのでしょうが、自前のシステムを持っている企業では案外ばかにならないコストがかかりそうです。まあ、ここも中小企業を猶予しているわけで、大企業ならそのくらいのコストは負担できるだろうということなのでしょうか。
各政党にしてみれば、長時間労働が社会問題として注目されているので、なんらかの手を打つというのはポイントになるということもあるでしょうし、勤労者の収入が増える話なので、企業負担で財源不要のおいしい大衆迎合策に見えているというところもあるのかもしれません。連合にしてみれば筋は悪くとも前進ではありますし、企業サイドにしてもそれほど影響はないということで、最終的にはまあ仕方ないかで終わるのかもしれませんが、政策の決まり方としてはいかがなものかという感は残りそうです。