ワーク・ライフ・バランス憲章のウソ

先週木曜日に、第4回のワーク・ライフ・バランス推進官民トップ会議「働き方を変える、日本を変える行動指針」(仮称)策定作業部会(長いなあ)が開催されたということで、その資料が内閣府のサイトにアップされています。
http://www8.cao.go.jp/shoushi/w-l-b/change/k_4/index.html
これをみると、いよいよ「憲章」や「行動指針」の具体的内容が見えてきたようですが…。ちょっと、いかがなものかと。私ももちろんワーク・ライフ・バランスの大切さやメリットには同感なのですが、この資料にはどんなものかなというところが散見されます。
まず、憲章の「骨子案」をみていきたいと思います。
http://www8.cao.go.jp/shoushi/w-l-b/change/k_4/pdf/s1.pdf

第1 ワーク・ライフ・バランスの緊要性
1 働き方に起因する諸問題
○ 我々の生活は仕事が全てではない
・家事、育児、介護などの家族と過ごす時間もあれば、地域で活動する時間、更には趣味や休息のための時間もある。
○ 現実の社会
・働く意欲がありながら安定した仕事に就けず、経済的に自立することができない若者等
・仕事に追われ、心身の疲労から健康を害する働き盛りの世代
・子育てと仕事のどちらかをあきらめざるを得ず、仕事を続けようとすると子供を持つことをためらわざるを得ない若い夫婦
・仕事が忙しく、親の介護をすることができない中年サラリーマン
→ 仕事と仕事以外の生活の間で切実な悩み、苦しみを感じている人が多い
○ 世帯の変化
・共働きの世帯が夫婦世帯の過半数
・三世代同居の減少
→ 職場では仕事以外の生活よりも仕事に専念することを前提にした働き方が根強く残っており、共働き世帯では、夫婦ともに限られた時間を家庭生活などに振り向ける余力がない。
○ 経済構造の変化
グローバル化などに伴う競争の激化
→ 正社員以外の労働者が大幅に増加
→ 労働者の生活の安定や技能の育成・承継に不安
○ 個人
・「結婚・子育て・介護などに対する切実な想いがかなえられない」、「意欲・能力を活用することができず自らの将来を描くことが出来ない」人が多く存在。
○ 家族
・「結婚や子供を持つことで家族を形作りたい」という思いや「家族とともに過ごしたい」という思いの実現が困難。
→ 「家族の団らん」の喪失
○ 地域
・個人が「地域で過ごす時間」が減少。
→ 地域のつながりの希薄化
○ 社会
「働き方」に起因した個人、家族、地域が抱える諸問題の一つの帰結
少子化、人口減少、労働力人口減少
○ 企業
・先進諸国と比較して労働時間は長い反面、時間当たり生産性が低い。
・企業の活力、競争力の源泉である労働者の確保、育成に取り組まなければ、長期的にはマイナス。
→ 「働き方」の見直しに取り組み、業務の見直しにまで踏み込んで効率的な仕事の進め方を追求したり、長期的に労働者を確保・育成していくことは、企業にとって「明日への投資」。
社会全体の持続可能性の向上にも繋がる。

いや、まあ、そうなんですがね。


ただ、これは自民党がこういう社会にしたいとか、経団連がこういう世の中にしようとかいうことでこうなったということではないわけで(そう考えたい人はけっこういるのでしょうが)。長年にわたる国民の選択の結果としてこうなったんだ、という観点がないと、有効な施策にはつながらないんじゃないでしょうか。
実際、こういう社会になったのとひきかえに、私たちが得たものもたくさんあるわけで、その代表的なのは所得・収入・資産・消費の増加ですが、そのほかにも、たとえば「三世代同居の減少」というのは、いっぽうでは多くの国民が「旧弊な大家族制」の束縛から脱したということでしょうし、「地域のつながりの希薄化」というのも、「おたがいに干渉せずに好きにしましょうよ」という合意のもとにそうなったのだろうと思います。
働き方を見直してワーク・ライフ・バランスになりました、その結果所得が減り、消費の豊かさが損なわれ、わずらわしい近所付き合いを強いられるようになりました、ということに仮になったときに、国民が「こんなはずじゃなかったのではないか」と言い出さないかどうか。あとの方に政府の役割として「国民運動や合意形成の推進」というのが出てきますが、バラ色の夢物語で国民をあざむくようなことにならないように願いたいものです(一応、第3回の資料では「消費者の意識転換のための啓発」というのが出てきてはいますが、他人のワーク・ライフ・バランスのために自分の豊かさが損なわれるのだ、ということがわかっている人がどれほどいるものか)。生産性の向上で対応するということなのかもしれませんが、もちろん「業務の見直しにまで踏み込んで効率的な仕事の進め方を追求したり、長期的に労働者を確保・育成していくことは、企業にとって「明日への投資」」というのはまったくそのとおりとしても、現実に残業が半減すれば残業代も半減するわけですし、外部要因としてこれから毎年社会保険料が上がることも避けられず、本当に生産性向上でこれら可処分所得の減少を補えるのか、はなはだ怪しいものです。「働き方の見直し」はそれはそれとして大切だとしても、「働き方」だけを悪者にして強引に変えてしまうととんでもない副作用が出てくるかもしれません。

2 「働き方」の見直しが進まない要因
○ 「働く者は家族や地域の中で役割を果たすよりは、その時間を仕事に傾注する」という旧来の働き方が固定化され、それを評価する職場風土が変わっておらず、働き方も単線的な制度が多くなっている。
○ こうした画一的な考え方や働き方の制度が、近年の価値観やライフスタイルの多様化に対応できなくなっている。
○ 個人に求められる能力が高度化し、心身にかかるプレッシャーも強くなっているにもかかわらず、働き方に対する考え方が変わっていない。

3 価値観やライフスタイルの多様化や社会・経済の変化に対応した「働き方」の実現、職場風土の形成等に取り組んでいくことが必要
○ 企業の中で「働き方」を多様化し、その変化を国民全体に広げ、我が国全体の「働き方」を変えていくことが必要
○ ワーク・ライフ・バランスについて、企業の経営者と労働者をはじめ国民全体の共通の理解を促進し、その実現に向けた国民運動の展開を推進

うーん、これは難しいところなんですが、ある意味「家族や地域の中で役割を果たすよりは、その時間を仕事に傾注」することが高く「評価」されるというのは当然といえば当然ともいえるわけです、その分だけ多く企業業績に貢献しているとか、能力が高まっているとかいう裏づけがあるならば。ただ長時間労働しさえすれば高く評価されるというのは、かつてはあったのかもしれませんが、今ではさすがに少なくなっているでしょう(というか、かつては労働時間の長さが成果に結びつきやすい仕事が多かったのでしょう)。
で、これは基本的には選択の問題、「多くの時間を仕事に投じて職場では高く評価されるけれど、家族や地域の中での役割は果たせない」という生き方ではなく、「仕事に投じる時間は短くて職場の評価は低いけれど、家族や地域の中での役割は果たしている」という生き方を私は選びたい、という選択の問題ではないかと思うわけです。あるいは、「子どもを私学に通わせ、夫婦が一台ずつ車を持つ生活を維持するために、なるべくたくさん残業しておカネを稼ぐ」ことが「家族の中での役割」だ、という人だってけっこういるかもしれません。
問題なのは、たとえばワーク・ライフ・バランスのために1日6時間とか4時間とかしか働きたくない、残業はしたくない、となると、選べる仕事が低付加価値な仕事がほとんどで、そのためにかなり賃金が低くなってしまって、実質的にそれを選択しにくくなっている、というところだろうと思います。で、その対策としては、均等待遇といった単細胞ではなく、短時間でもそれなりに付加価値や生産性の高くて、それでもフルタイムに較べて時間単価が下がるのは致し方ないとしてもその下がり方がそれほど大きくなくて、現状に較べれば選択しやすい仕事を増やしていくことだろうと思います。簡単ではないでしょうが、やりようはあるような気がします。そういう「働き方の多様化」が望ましい方向でしょう。
あと、「企業の経営者と労働者をはじめ国民全体の共通の理解を促進」だけではまるで不足で、現実には樋口美雄先生が指摘しておられたように(10月17日のエントリをご参照)、「むしろ株式の外国人保有比率が上昇したことで、経営上、企業利益を重視するようになったことが影響している」わけです。彼らは目先の短期的な利益を最も重視する傾向があるわけで、それこそ骨子案にある「長期的に労働者を確保・育成していくことは、企業にとって「明日への投資」」とは正反対です。これまた樋口先生がご紹介のように、「この取り組みにより、従業員の就業意欲や生産性の向上、有能な人材の確保が可能になると考える企業は八割前後にのぼる」わけで、多くの経営者はとっくに理解していて、理解していてもそのとおりできないのは、経営者にそうさせない外部の力が働いているわけですよ。で、それは単に業績が悪くて今はそれどころじゃない(長期的な投資なのですから、その時期や程度は当然経営状態に左右されます)ということもあるでしょうが、外国人投資家の要求にこたえるため、というのもかなりあるのではないかと。であれば、少なくとも「国民」の範囲を超えて外国人株主に理解を求めることは必要ですし、それができないなら(できないでしょう)彼らを直接的に規制する、たとえば(内外人平等の観点も考えるなら)短期保有株主の権利を制限するといったことが必要なはずです。

第2 ワーク・ライフ・バランスが実現した社会の姿
 国民一人ひとりがやりがいや充実感を感じながら働き仕事上の責任を果たすとともに、家庭や地域生活などにおいてもライフ・ステージに応じてそれぞれの切実な思いを叶えることができるような、多様な生き方が選択・実現できる社会
 具体的には、
1) 経済的自立を必要とする者とりわけ若者がいきいきと、かつ、経済的に自立可能な働き方ができ、希望すれば結婚や子供を持つことができる社会
2) 長時間労働の抑制や年次有給休暇の取得促進などにより仕事以外の時間が確保でき、働く人々の健康が保持され、家族や地域・友人などとの充実した時間やキャリア形成のための時間などを持てる豊かな生活ができる社会
3) 子育てに取り組む時期や親の介護が必要な時期など個人の置かれた状況に応じて多様で柔軟な働き方が選択でき、適正な処遇が確保される社会
 → 個人が多様な働き方・生き方を選択でき、多様な能力を十分に発揮できる。企業も生産性が向上し、競争力が強化される
 → 社会全体の持続可能性の向上、活力の向上
※一部機種依存文字を変更しています。

これがよくない。国民をあざむくバラ色の夢物語です。あとの方で、国民の役割として「消費者として、求めようとするサービスの背後にある働き方に配慮」という遠まわしな一文が出てはきますが、実際、この社会においては少なくともドン・キホーテで深夜や明け方に買い物をする、といったことはたぶんできなくなるでしょう。「企業も生産性が向上し、競争力が強化される」ということにするのであれば、現実には、労働時間を短くした人はそれなりに所得も低下せざるを得ないでしょう。仕事以外の時間を持てるという意味においては「豊かな生活ができる社会」になるのでしょうが、こと消費という側面では現状ほどには「豊かな生活ができる社会」ではなくなる、ということをはっきり書いておかなければ、およそ責任ある態度とは申せません(それでも生産性向上でなんとかなるのだ、というのであれば、別途にでもその現実的な根拠を示すべきでしょう)。
あるいは、「希望すれば結婚や子供を持つことができる社会」というのも「経済的に自立可能な」仕事(「いきいきと、かつ経済的に自立可能な働き方」ってのはいまひとつよくわかりません。「いきいきと」はどこにかかるんでしょう)とセットにされているだけで、その生活水準についてはなにも言っていませんが、これまた「衣食住は親掛かりで給料は全部おこづかい」というパラサイト・シングル消費生活の豊かさを維持できるというのはやはり現実的ではないわけですが、そんなことはわざわざ書かなくてもわかっているだろう、ということでしょうか。すべての人がわかっているとも思えないのですが…。もちろん、「若者がいきいきと」働けて、「かつ、経済的に自立可能な」仕事につくことができるようにしていくことはとても大事なことですが。

第3 各主体の果たすべき役割

1 企業と働く者
○ 企業レベルで、経営トップのリーダーシップに基づく意識改革、職場風土改革、長期的視野に立った労働者の確保・育成、雇用管理制度や業務の進め方、管理職の評価基準の見直し、柔軟な働き方等に計画的・組織的に取り組み、着実に実行
○ 管理職は、自ら管理する職場の雰囲気作りに取り組む。
○ 経営者、管理職は、関連企業や取引先のワーク・ライフ・バランスにも、配慮。
○ 働く者は、
・自らの働き方を見直し、時間制約の中でメリハリのある働き方に努める。
・将来を見据えた自己啓発・能力開発に取り組む。
・ワーク・ライフ・バランスを実現しやすい職場風土作りに取り組む。

2 国民
○ 自らのワーク・ライフ・バランスの在り方について考え、家庭や地域の中で積極的な役割を果たす。
○ 消費者として、求めようとするサービスの背後にある働き方に配慮

3 政府
○ 国民運動や合意形成の推進
○ 仕事以外の時間の確保やライフステージに応じた多様な働き方を可能とする雇用環境整備を目指した制度的枠組の構築や環境整備
○ 働き方に中立的な税・社会保障制度のあり方についての検討
○ ワーク・ライフ・バランスを推進するための多様な働き方の推進並びに多様な働き方に対応した子育て支援
地方自治体が行う育児・介護などを支える社会的な基盤づくりの取組に対する支援
○ ワーク・ライフ・バランスの実現に取り組む個人や企業への支援

地方自治
○ 地域の実情に応じた展開
○ 育児・介護などを支える社会的な基盤づくり、とりわけ地域レベルで育児・介護などに取り組んでいる民間の団体との協働を推進

経営者に「長期的視野に立った労働者の確保・育成」を求めるのであれば、政府にはそれを可能とする環境整備、たとえば長期的視野に立った労働者の確保・育成のためなら減益決算や一時的な赤字決算がポジティブに評価される(許されるだけでは不足かもしれません)ような環境整備をぜひともお願いしたいところですが、それはそれとして、「雇用管理制度や業務の進め方」のあとにわざわざ「管理職の評価基準の見直し」を入れたのはなかなかいいですね。管理職の評価はどうしても部下のパフォーマンスに左右されますので、過度に成果主義的な評価制度にすると、上司としては部下をこき使いたくなるのも人情というもので、やはり部下にどんな働かせ方をしているかは管理職の評価に反映すべきところでしょう。行政とすればワーク・ライフ・バランスを実現している上司を高く評価しろと言いたいところかもしれませんが、それだとワーク・ライフ・バランスに関心のない(というか、仕事中心のワーク・ライフ・バランスを選択する)部下が揃ってしまった上司が気の毒なことになってしまうので、さすがに行き過ぎだろうと思います。ときに、働く人に対して「将来を見据えた自己啓発・能力開発に取り組む」ことを求めていますが、ワーク・ライフ・バランスや働き方の見直しのために自己啓発や能力開発をしなさい、というのはなんとなく余計なお世話という感じはあります。もちろんそれ自体はけっこうなことですが…。
続いて国民に対しては「家庭や地域の中で積極的な役割を果たす」ことを求めています。まあ一般論としてはそれでいいのかもしれませんが、やはり特定のワーク・ライフ・バランスを行政が推奨するのではなく、さまざまなバランスのとり方を国民が自由に選択すべきものではないでしょうか。必ずしも「積極的」ばかりではなく、「家庭や地域の中での役割は必要最小限にとどめる」というのも選択肢として認められるべきではないかと思います。まあ、現在が世の中全体として家庭や地域での役割を果たすのに積極的でない傾向があるから一定の方向付けは必要、というのもわからないではないですが…。それから、「消費者として、求めようとするサービスの背後にある働き方に配慮」というのはなかなかキレイな表現で、苦心の作文なのかもしれません。しかし、繰り返しになりますが、これはつまるところ「他人のワーク・ライフ・バランスのために自分の消費生活の豊かさを犠牲にする」ということなのだ、ということははっきり言っておく必要があると思います。
あと「働き方に中立的な税・社会保障制度のあり方についての検討」、これは大事だと思います。税の直間比率の見直し、パートタイマーへの社会保障の適用拡大といったことを進める必要があるでしょう。
それから「育児・介護などを支える社会的な基盤づくり」は、おそらくは働き方の見直し以上に重要かつ効果的であり、ぜひとも積極的に進めてほしいものです。「地域レベルで育児・介護などに取り組んでいる民間の団体との協働」もけっこうでしょうが、まずはとにかく安価で便利な託児サービスを潤沢に供給することが望まれると思います。育児をアウトソーシングするというワーク・ライフ・バランスだって当然ありうるでしょうし、認められてしかるべきだろうと思います。
さいごに、ここまで触れてきませんでしたが、80年代後半の労働時間短縮運動のときにも一部にみられたように、「働き方の見直し」が「働くな、働くな」キャンペーンになってしまわないように十分注意が必要でしょう。ワーク・ライフ・バランスをやったのはいいけれど、結果として研究開発や技術革新に遅れをとってしまい、気がついたら経済力が低下してしまっていた…ということになってしまっては元も子もありません。「ゆとり教育学力低下」の二の舞にならないよう、重々気をつけておきたいものです。