社会保険庁

明日に備えて(謎)hamachan先生のブログを斜め読みしていたら、このブログの7月12日のエントリに対するコメントがありました。
いや、あれはたまには口汚くののしる(笑)のも悪くはないかなということで、本当にちょっとばかり煽ってみただけのことなのですが…汗汗
でもまあ、一応は再コメントをさせていただきます。

いやしかし、社会保険庁を解体して民営化して公務員じゃなくするということは、まさに「こんな労組に争議権を渡」すってことなんですけれど。

さすがに社保庁が民営化されれば、旧国費協議会も「こんな労組」のままではいられないだろうと思うのですが…。国労国鉄民営化以降はかつての国労のままではいられなかったのと同じように。もちろん、相変わらずのコアな活動家は少数残存しましたが、大半は民営化後は無給でQCサークルをやり、友人知人にオレンジカードを営業したわけで、「オトシマエ」というのはその程度の話です。この見通し、楽観的すぎるでしょうか?

いや、争議でも何でもやってくれ、どうせ年金業務なんて一瞬の停廃も許されない公共的な業務なんかじゃないのだから・・・というのであれば、それも分かるのですが。

国鉄改革は、国労にオトシマエをつけるという政治的な意味だけではなく、そもそも公共交通事業を国営でやる必要性があるのかどうかというそもそも論があっての議論ですからね。だから、オトシマエとは関係なく、電電公社郵政公社も民営化された(つつある)わけで。

社会保険庁のオトシマエが付こうが付くまいが、公務員の労働基本権問題は公務そのものの性質論としてきちんと議論しなければいけない話なのですよ。あんまりその時の気分でやらない方がいい。

これはまったくご指摘のとおり。ただ、私のような平凡な庶民は、どうしたってその時の気分に流されるわけで、そのほうがむしろ一般的な国民に近いでしょう。
これまでもたびたび書いてきていますが(たとえばhttp://d.hatena.ne.jp/roumuya/20060515#p3http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20060508http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20050613http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20050303など)、この問題に限らず、天下りにしても公務員の給与水準にしても、誰の目にも明らかな、否定しようのないムダや怠慢などがビジブルなままに放置されていることが「きちんと議論」をするうえで大きな妨げになっているのではないかと私は考えています。そんなものに目を奪われている国民がバカなのだ、というのが理屈としては正しいのかもしれませんが、現実には政策というものは理屈だけですべて割り切れるというものでもないでしょう(官の建前としてはそうも言えないのかもしれませんが)。だから劣勢を伝えられる自民党公務員制度改革に血道をあげるわけで。
ここからはhamachanさんのコメントからは外れてきますが、社保庁の件をもうすこし敷衍しますと、実は今回の年金記録に関しては社保庁にも同情すべき点は多々あります。
一応の発端は平成9年の年金番号一元化の際に、過去の加入記録の統合が正しくできなかった(いまだに統合できていない)というところですが、その大きな理由はふたつあり、ひとつは1970年代から進められた年金記録の電子化の際に入力間違いが多数発生したこと、もうひとつは、転職の際に都度年金番号を付与するという安易な運用が古くから行われてきたことであるといわれています。要するに、長年にわたる怠慢のツケが一気に噴出したわけで、平成9年の段階でどうにかしろと言われても、この期に及んで予算や人員の制約がある中ではなんともできないというのはそのとおりでしょう。
年金記録の電子化についても、漢字氏名の読み方や記録の不明な部分をいちいち確認している時間も工数もなかった、という事情はあったでしょう。ただ、これについてはやはり現場から「これでは正しい給付ができません」という声が上がってしかるべきではなかったかという感もあります。まあ、時代背景を考えればなかなか声が上げにくい状況だったのかもしれませんが、結局は問題を先送りして当面楽な道を選んでしまったといわれても仕方がないでしょう。転職の都度年金番号を付与していたというのも、企業を指導してやり直させるよりそのまま付与してしまったほうが楽だからということでしょう。まあ、それが後日こんな大事になるとは本当に思っても見なかったでしょうが。
そういう意味では、今現在の職員の中には現状に対する責任はあまりない人もかなりいるはずなので、そういう人を責めるのは気の毒な感はあります。やはりこれは個人の問題というよりは、組織の問題です。
で、社保庁の組織の問題というと、もっぱら「三層構造」が取り上げられます。たしかに、こうした組織構造になっていたら、「これでは正しい給付ができません」「企業の手続がきちんとされていません」「時間も人も足りません」…といった問題提起は行われにくいでしょう。
また、職員がこうした問題に主体的に取り組むような動機づけも欠けていたのではないかと思われます。もちろん、三層構造ですから一定程度以上の昇進昇格は望みにくく、しかも一定程度まではほぼ年功的に上がっていくわけですから、あえて難しいことをやろうという気になるわけもありません。国税庁の職員は申告漏れや納税ミスの是正に熱心に(全員がそうかはわかりませんが)取り組みますが、これは国家財政に対する使命感というよりは(もちろん使命感の高い人も多いでしょうが)、やはり是正した件数、金額などで評価される部分があるからではないかと思います。

  • 話がそれますが、そういう意味では、社保庁も国民保険料の徴収については未納率の引き下げではなく個人の徴収額などで評価することにしておけば、不正な保険料免除は起こりにくかったかもしれません。

こうなると、当時の時代背景からしても、とにかく賃金が高く、仕事が楽ならいい…という組合運動が羽振りをきかせたのも当然でしょう。当然ながら、職場の緊張感はどんどん失われてゆき、怠慢が風土として定着してしまうことになるでしょう。人事管理のまずさが組織を頽廃させてしまったということは否定できないように思われます。こういう組織を立て直すのはなかなか大変だろうことは想像に難くなく、はたして今般の社会保険庁改革の中身で十分かどうか。少なくとも、人事管理については抜本的な見直しが必要でしょうし、もっと大胆な取り組みが必要なのかもしれません。