最賃の役割

今朝の日経新聞「経済教室」で、同志社大学教授で格差拡大論と日本貧困大国説の大家である橘木俊詔氏が最低賃金引き上げを論じておられます。私には橘木氏の所論にいろいろと疑問がありますので、縷々書いていきたいと思います。
まず要約から。

 貧困削減は日本の大きな政策目標であり、最低賃金引き上げを通じて分配の平等化を進めることが不可欠だ。引き上げ幅に議論はあろうが、労使が話し合いを進め、経営者や高賃金労働者の取り分を原資にするのも一案だろう。日本では雇用が減少し、失業が増大する恐れは少ない。
(平成19年7月25日付日本経済新聞朝刊「経済教室」から、以下同じ)

もちろん、最低賃金引き上げは分配の平等化に寄与することは間違いないでしょうが、しょせんその射程は雇われて働いている人までしかなく、失業者や自営業者などは救済できません。まあ、他の政策とセットでという話でしょうし、それでもやらないよりはマシという議論もできるとは思いますが、限界があることは認識すべきだろうと思います。
続いて本文です。

 日本の最低賃金制度に関する政策論議は極めて低調であった。毎年の最低賃金制度審議会では、数字の一ケタで何円上げるかといったことが話題になるだけで、本格的な議論がなされることはなかった。日本の最低賃金は低過ぎるので、かなりの額を上げなければならないと長年にわたり主張してきた著者にとって、最近の動向は好ましいものと判断している。与野党ともにアップを主張するようになったし、担当大臣である厚生労働相ですらアップを促す発言をしているからである。
 日本ではなぜ最低賃金制度への関心が低かったのかをまずまとめておこう。第一に、各年の審議会の報告書を読むと、企業経営が苦しくなって企業が倒産するのを避けるために上昇幅をかなり抑える配慮が、政労使の間でなされていた。

実際そういう議論がされているわけですが、私には600円の最賃が603円になるか605円になるかで企業経営にそれほどまでに甚大な影響が即座にあるというのはなかなか納得できません。まあ、毎年改定されるものなので、毎年なるべく抑制していかないと長い間には大きな違いになってしまう、ということはあるのかもしれません。
むしろ、最賃というのはその性格上、極端な例でいえば経営からすれば300円しか払えない仕事に600円以上払え、というものですから、経営が苦しい中で、今でさえ高いのにまだ上げるのか、という感覚が、審議会の場では「倒産」といった言葉で表現されていたのかもしれません。だとすると、それは最賃というものを正しく理解したうえでの議論ではなかった、ということになるでしょう。

 第二に、労働側代表として審議会に参加するのは、連合の代表で占められることが多い。組合に属する労働者の賃金水準は最低賃金より相当高く、組合員でない低い賃金の労働者にあまり関心を寄せなかったので、審議会での要求も弱かった。やや誇張すれば、最低賃金の上昇は自分たちの賃金を下げることにつながりかねないとの恐れをもっていた。

まあ、ここのところは連合におまかせしますが(笑)、昔から連合は最賃引き上げにもそこそこ熱心に取り組んできたのではないかと私は思います。もっとも、案外(でもないか)、連合にもそういう自己批判はあるのかもしれません。最近の連合幹部の発言をみると、従来は非典型雇用などへの配慮が不足していたという趣旨の言葉はあちこちで見かけますので。

 第三に、最低賃金額、あるいはそのあたりの賃金額しか受領していない人は、既婚の女性パートタイマーや若者に集中しており、その人々には生活苦がないとの認識があった。前者には夫の収入があるし、後者には親の経済支援があるので、たとえ本人たちの賃金は低くても、家計でみれば生活は苦しくないとみなされていた。やや大げさにいえば、家計の補助や小遣い目的で働く人の賃金に対して、政労使は十分配慮していなかった。

「十分配慮していなかった」ということですが、やはり家計の補助や小遣い稼ぎに対する配慮はそれなりでいいと考えるのがむしろ普通ではないでしょうか?現在の議論も、「それだけで生計を立てる(しかない)人」への配慮が不十分、という趣旨ではないかと思うのですが…。

 こうした事情のなか、最低賃金引き上げは政策目標としてほとんど顧みられず、低く抑えられる時代が続いたのである。これに対しいくつかの批判がなされるようになり、次のような理由で、日本の水準は低過ぎるのではないかという認識が高まってきた。
 第一に、最低賃金で働くと、たとえフルタイマーでも、本人の所得だけでは食べていけないことが広範囲に知られるようになった。例えば、一カ月間に最低賃金(十一万円前後)だけを与えて現実に生活できるか実験すると、大多数の人が食べていけず、生活実験を離脱するのである。この実験は千葉、北海道、京都など各地でなされているが、全員に近い人が悲惨な結果で終わっている。現代では離婚率の上昇や単身者の激増、それに家族のきずなの弱まりにより、自分の賃金だけで生活しなければならない人の増加も、最低賃金のアップを要請している。

この議論は、人は本人の勤労所得だけで食べていけなければならないという根拠のない前提に立っている点に決定的な欠陥があります。しかし、親や配偶者などの所得によって「食べていく」ことは、なんら否定されたり排除されたりしなければならないものではないでしょう(まあ、世の中には感情的な「パラサイト・シングル叩き」みたいなものもありますが)。「自分の賃金だけで生活しなければならない人の増加」ということに対しても、なにも賃金だけしか対応策がないわけではなく、たとえば別途の福祉的な給付を追加するという方法も十分考えられるはずです(政策としての優劣はまた別途の議論です)。

 第二に、生活保護支給額より最低賃金額の方が低いとの事実が、皆に知られるようになった。専門家の間ではこのことは既知であったが、政府がこれを公式に認めた意義は大きい。生活保護制度は国民すべてに最低限生きていけるために、現金支給をして生活を保障するものであり、生活保護ラインの額はいわば生命線である。この額より働いた人の収入が低いのが現状の最低賃金である。生活保護受給者は高齢者や障害者が多く、働くことのできない人が含まれている。働く人の収入が働かない人の収入よりも低いわけで、働く人の勤労意欲にとってマイナスである。低い賃金を上げ、効率よく働いてもらえるようにするのは、経営側の視点でも重要だ。

これは、生活保護制度と最低賃金制度の違いを無視あるいは軽視している点に疑問があります。働く人の賃金が、「市場の失敗」的な要因によって低きに失することのないよう最低基準を定めたのが最低賃金であるのに対し、働くことのできない人に最低限の所得を福祉的に保障しようとしているのが生活保護です。したがって、「働く人の収入が働かない人の収入よりも低い」ではなく、「働く人の収入が働けない人の収入よりも低い」と書くほうが良心的といえましょう(橘木氏の書き方だと、生活保護を受けている人は働かない怠け者だ、というふうに読めてしまって受給者に失礼ではないかと感じるのは私だけでしょうか?)。
もっとも、最低賃金も労働者の生計費(と世間相場と企業の支払能力)を考慮して決めるとされていますので、やはり生計費を考慮して決められている生活保護の水準を参考とするのはおおいにもっともな話です。ただ、最低賃金が必ず生活保護を上回らなければならないとまでは考えないということです。

  • これはあくまで両制度の趣旨を踏まえての制度的な議論であり、現行の最低賃金生活保護双方の水準そのものが適切か否かというのはまたまったく別の議論です。為念。

 第三に、他の先進国に比べ、日本は最も低い水準になった。過去は日米がその低さを競っていたが、最近米国はかなりの額に上げ、日本の低レベルが目立つようになった(表参照)。
 こうした事実が知られるようになったうえ、日本が先進諸国の中で貧困率(国民の何%が貧困であるかの比率)が米国に次いで第二位の高さであると経済協力開発機構OECD)が指摘したこともあり、その原因の一つが日本の低い最低賃金額にあると認知されているのである。ワーキングプアネットカフェ難民という言葉がマスコミで報道され、貧困削減は大きな政策目標になっている。

OECDはたしかに日本の貧困率が米国に次いで先進国中2番めだという指摘はしていますが、少なくともWebで公開されている「2006年版OECD対日経済審査報告書要旨」には「その原因の一つが日本の低い最低賃金額にある」との指摘はありません(まあ、全文のほうにはあるのかもしれませんので、その場合に備えてあらかじめお詫びしておきます。ご存知の方、ご教示ください)。また、OECDの「貧困率」は「等価可処分所得の中央値の半分以下しか所得のない人の割合」ですが、これがいったいどのくらいの水準なのかが不明なので、どの程度の「貧困」かも実はわかりません(直観的には3人家族で年収300万円くらいかな、と思うのですが、まったくの山勘で、これまたご存知の方、ご教示いただければ幸甚です)。また、これは等価可処分所得で判定しているので、家があるとか自動車があるとかいうことは反映されませんし、将来の相続の可能性といったものも考慮されません。まあ、たいした影響はないかもしれませんが。いずれにしても、これは生活水準の低さという議論よりは、格差の大きさを示す指標としてみるのが適切なのだろうと思います。なお、大竹文雄先生は、OECD報告が使用している国民生活基礎調査は福祉事務所による調査であり、低所得方向のバイアスがあると批判しておられます。

 次の課題はどの程度の引き上げを目指すかである。野党でも例えば民主党は全労働者に時給八百円を想定した全国最低賃金を設定した上で、三年かけ地域平均で一千円を目指すべきだと主張しているが、現時点で与党はその額を明確にしていない。大幅アップには経営側の反発だけでなく、専門家の反対も結構ある。
 反対論としてまず、企業経営を苦しくするので望ましくないとする意見は容易に想像できる。特に中小企業の経営を苦しくするので、倒産のリスクもゼロではない。中小企業の経営体質は大企業より弱く、著者もこの点は心配である。ではどうすればよいのか、いくつかの意見がありうる。
 第一に、多くの中小企業は大企業の下請け企業なので、今もうけている大企業への納品価格をもう少し上げてもよい。大企業は下請けの中小企業に対して、力関係を背景に厳しいコストパフォーマンスを要求するのが常である。政府も下請け対策に力を入れているが、融資を受けやすくする、技術進歩や新製品開発に熱心な企業への税制優遇などを軸にした施策の一段の拡充が求められよう。さらに中小企業の生産性をもっと上げることも必要である。

これはまた共産党もびっくりの大企業悪玉論ですが、大企業は大企業で消費者などに厳しいコストパフォーマンスを要求されていることを忘れてはならないでしょう。

 第二に、労働者に生きていくだけの賃金を支払えない企業は生産効率が悪いのであるから、市場から退場してもらってもよいという意見もありえよう。退場した企業に代わって、効率性の高い企業が参入すれば、高い賃金を払えるかもしれない。弱い企業は退場し、強い企業のみを生かすので、こうしたことを述べれば、一見「市場原理主義」と映りかねず、経営側の猛反発を受けることは確実であろうが、国全体のことを考えれば考慮に値しよう。

こちらのほうはたしかに「一見」福井秀夫先生もびっくりの市場原理主義的主張で、経営側というよりは労働側の猛反発を喰らいそうですが、まあ経営サイドでも一部の業界団体などの反発は強いでしょう。それはそれとして、たとえばマクドナルドでアルバイトをしている学生さんの大方は「生きていくだけの賃金」を得ているとも思えず、したがって日本マクドナルドは市場から退場せよというのは実は市場原理主義とは正反対の共産主義的発想といえるかもしれません。橘木先生は「近経」の泰斗のはずなのですが。
で、人事屋としてみれば、賃金が低すぎれば労働者が集まらない。したがって仕事にならずビジネスにもならない。それでは労働者が集まるような賃金を支払おうとすると、それでは赤字になってしまう。こういう企業は日本では商売はできませんから、たとえば中国に出て行く。ただし、特に不況期など、どんなに低賃金でも人が集まるならそれでいいじゃないか、というのはやはりまずいから最低賃金の歯止めをかけていると理解しているのですが。

 第三に、企業を存続させることが大きな目標であれば、高い賃金を受領している労働者や報酬の高い経営者の多少の犠牲を求めるという政策もありうる。もし最低賃金引き上げによって低い労働者の賃金が高くなり、経営が苦しくなるのが困るのであれば、高賃金稼得者や経営者の取り分を少し削減し、最低賃金の引き上げにまわす策で対応するのである。この案は個々の企業における労使の対応にかかっているので、法律で強制できるものではないが、倒産をどうしても避けたいコンセンサスが労使の間にあれば、考えられてよい政策である。
 以上三つの案はどれも思い切ったものだが、賃金底上げを背後から支援する政策として検討されてよいのではないかと、あえて提案してみた。

結局のところ経営上許容される人件費総額のキャップが決まっている以上、外的要因で一部の人件費が上がれば、別のところを減らさざるを得ないというのはそのとおりでしょう。で、これも以前書いたと思うのですが、現実に起こりそうなのは高賃金稼得者や経営者の取り分の削減ではなく、新しい最低賃金より若干高い程度の水準の賃金を得ている人の取り分が削減されるという事態のような気がします。まあ、それでも最低賃金は上がるので、それはそれでいいということかもしれませんが。

 最低賃金引き上げに否定的なもう一つの根拠として、それが雇用削減につながるので、失業者を生む可能性が大きいとの主張がある。一般的な常識からすると、水準引き上げは労働コストを上げるので雇用にマイナスと考えられるが、労働市場が需要独占か寡占、すなわちごく少数の企業と無数の労働者が存在する状態であれば、むしろ雇用の増大につながることがありうる。これを巡り、理論と実証の双方で、学者、政党、マスコミを巻き込んで、大きな論争が米国で行われたが、日本でもその兆しがある。
 著者は浦川邦夫氏との共著『日本の貧困研究』(東大出版会)において雇用への悪影響は小さく、一方で賃金分配の平等化に寄与するという試論を提出した。もとよりこれだけで日本では最低賃金上昇が失業者を生むことはないと主張するわけではない。望ましい政策を求めるためにも今後の論争に期待したい。

まあこれはいろいろ議論があるのでしょう。普通に考えれば、輸入品で代替可能なものは代替されてしまいそうな気はしますが…。
最後に全体を通してですが、これも何度も書いていますが、結局のところ最低賃金所得再分配に活用しようという考え方が筋が悪いということではないかと思います。最低賃金の水準が適切かどうかは大いに議論すればいいわけですが、あくまで「労働市場の需給バランスが崩れたときなどに労使の交渉力格差によって賃金が低きに失することを避ける」という最低賃金の役割を踏まえて議論すべきでしょう。たしかに最低賃金制度は結果的には部分的に所得再分配効果を持つでしょうが、それが制度の目的ではないはずです。私も、わが国では高齢単身世帯の増加などにより政策的配慮が必要な低所得者が増加しており、救貧的な所得再分配の強化が必要だという橘木先生のご意見には同感です。しかし、そのためにはもっと端的に、資産家や高所得者への課税を強化して低所得者への福祉的給付を増やす(もちろん、職業訓練などのワークフェア的施策も排除するものではありません…過大な期待は禁物とも思いますが)といった施策を採用するのが正論ではないでしょうか。繰り返しになりますが最賃の引き上げでは失業者は救済できません(いずれ就職すれば効きめはありますが)。自営業者も救済できません。就労能力の落ちた高齢者に対する効果も限定的です。そんなものに多くを期待すべきではないでしょう。