いまさら…

今朝の日経新聞「経済教室」から。登場したのは日本福祉大学教授の安宅川佳之氏、お題は「世代間格差是正少子化対策−経済政策「家族」単位で/『扶養の環』を回復」です。

…世代間の経済問題にかかわる経済理論としては、「ダイナスティー(王朝)仮説」と「ライフサイクル仮説」にもとづく貯蓄・相続理論がある。
 ダイナスティー仮説は、家計の効用は自らの消費と余暇だけでなく、子孫の消費と余暇にも依存すると考え、後続世代の幸福を自分のものとする考え方である。他方、ライフサイクル仮説に立つ人は、主に自世代の消費と余暇に効用を見いだすので、子や孫など後続世代の効用を無視ないし軽視することになる。

 日本でライフサイクル仮説が支配的となったのは、「扶養の環」が見えにくくなったためだろう。家族は子育てには全面的に責任を持つが、社会保障制度の充実で高齢者福祉は公共に委ねることが可能となった。その結果世代間扶養の輪に断絶が生じ、個々の世代が自分たちだけで生きているような錯覚(世代の孤立)に陥っているのではないだろうか。
 伝統的な三世代家族では、「親が子を育て子供が老親の面倒を見る」世代間扶養の輪が家族の日常生活の中に明示的に存在していたが、核家族では家族内扶養が「親から子への一方通行」になっているように見える。
 だが一方で、国全体では世代間扶養の環は厳然と存在している。後続世代が生まれ育ち、十分な経済力を持たない限り、社会保障制度を軸とする先行世代のための生活保障は成り立たない。

 「少子化」を押し止めるには、世代間利他主義の回復が何より重要であろう。「後続世代の生きる喜び」に想いを致し、「永遠の未来」に思いをはせることで、ダイナスティー仮説に立った経済行動を復活させ、「世代間対立」ないしは「世代の孤立」を解消させることが必要である。
(平成19年5月9日付日本経済新聞朝刊「経済教室」から)

このあと政策論が続くのですが、いまさら時計の針を逆に回すことができるのかどうか。また、家族内の扶養関係と社会的な扶養関係を同列に考えるのも無理でしょう。結局、自分は子どもを生まなくても他人が子どもを生み育ててくれれば自分も年金がもらえるというのが社会保障で、子どものない人は年金はもらえません、くらいのことをしないと少子化は止まらないのではないでしょうか(そうしたところで、子どもを持たずに個人年金を蓄える人が増えることになる可能性もありますが)。