「自律的労働時間制 慎重に」

今日の日経「経済教室」の「労働契約を考える」シリーズは笹島芳雄明治学院大教授が登場し、「自律的労働時間制 慎重に」との見出しでWE慎重論を展開しておられます。
笹島氏はまずワーク・ライフ・バランス(WLB)について述べられ、それが日本で実現困難なのは長時間労働・恒常的残業の日本的働き方が最大の要因だと主張されます。私はこの手の意見を聞くたびに、じゃあ通勤時間はどうしてくれるんだ、東京の郊外から都心に往復3時間かけて通勤している人が1日7時間労働で残業ゼロになればWLBが実現するのか、と言って煙たがられているのですが、まあそれはよしとしましょう(ってしっかり言ってますが)。
さて、笹島氏は「残業抑制の観点では割増率の引き上げは有効」と述べ、その水準として「(基礎賃金の算定は現状のままとして)100%」と主張されています。その理由は、欧米では多くの労働者には賞与がないか、あっても小額なのに対し、日本では労働者の年収の相当部分を賞与が占め、それが残業代のベースに含まれていない。したがって、欧米では法定割増率50%は年収の時間単価に実質的にほぼそのまま効くのに対し、日本の法定割増率25%は、賞与が年間4ヶ月とすると年収の時間単価の4分の3にしか実質的に効かないので、0.75×1.25=0.9375で、年収の時間単価に対してはマイナス6.25%となり、むしろ残業促進効果がある。欧米の50%と実質的に同等にするには、1.5/0.75=2という計算で、割増率を100%にする必要がある、ということのようです。
この算術自体は正しいものでしょうし、25%を100%にすればそれなりに残業抑制効果があることも間違いないだろうとは思います(一方で、所得選好の高い人はますます残業を好むようになるでしょうし、長時間労働をする人への配分を増やす結果になることも間違いないとは思いますが)。それはそれとして、私は笹島氏の「年収の時間単価に対する割増率」という考え方に非常に強い違和感を覚えます。
たしかに賞与は日本社会に定着し、労組などは年間賃金の(重要な)一部分として安定的な支給を望んでいるでしょうが、やはり基本的には賞与は従業員に対する利益の配分であり、業績の労働条件への反映という性格を持つものでしょう。欧米においては、ブルーカラーを中心とした時給労働者、あるいは出来高払労働者などは基本的には企業の業績には関与しないものであり、マーケットプライスや協定価格で市場から調達されるものであると考えられていて、したがって利益配分、業績反映である賞与は支給されない(されても恩恵的な小額のもの)、ということではないかと思います。これに対し、日本では現業労働者であっても企業業績の一端を担っていると考えられており、ブルーカラーが生産性向上や原価低減に取り組むことによって企業業績が向上すれば、それは労働条件向上として適切に配分されるという考え方が採られているため、幅広い労働者に相当額の賞与が支給されているのではないかと思います。労働の価値に関わるこうした思想の違いを無視して、年収の時間単価に対して割増率を設定せよという議論はかなり無理があるでしょう。それとも、笹島氏は割増賃金を支払われる労働者(その範囲は米国よりかなり広い)については賞与をなくし、業績への寄与が求められない「労働力」に考え方を転換せよ、と考えておられるのでしょうか。そんなことはないと思うのですが。

  • なお、以上の議論は25%という水準がどうか、ということとはまったく別問題ですので念のため。

ブログがたまっているので、続きは明日のエントリに回します(笑)