中村圭介『成果主義の真実』

成果主義の真実

成果主義の真実

「キャリアデザインマガジン」に載せるための書評を書きましたので、ここにも転載しておきます。
ちなみにこの本、以前http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20051028で取り上げた中村圭介・石田光男編『ホワイトカラーの仕事と成果』とかなり内容が重複していますので、こちらを読んだ人は買うと損するかも?


 90年代後半、わが国では「成果主義」が大流行となった。「年齢や勤続年数ではなく、仕事の成果で処遇されるべき」という成果主義の考え方はまことに正論であり、当初は企業だけではなく、働く人の大方からも支持を集めた。
 ところが、90年代末から21世紀に移る頃になると、働く人や人事担当者の中から「何かがおかしい」という声があがるようになってきた。理念は正論でも、実行してみると成果主義はなかなかうまくいかないのだ。やがて働く人の一部には、「成果主義は私の賃金を減らすもの」という意識すら広がり始めた。
 そこに登場したのが高橋伸夫(2002)『虚妄の成果主義』であった。こうした多くの人々の実感をうまくすくいあげたこの本はベストセラーとなり、成果主義に対する論調を一変させた。世間は成果主義擁護派と批判派とに分かれたが、擁護派の多くは「成果主義の考え方は間違っていないが、やり方が間違っているのだ」ということで、「成果主義を成功させるには」という議論であった。この本は、「成果主義を成功させよう」と努力した企業労使の事例調査をもとに、表面的な賛否の論争とは別の次元にある「成果主義の真実」を明らかにしようとした本であろう。
 2004年の初頭に刊行された『虚妄の成果主義』が前提にしているのは、おそらくは2001年ころの成果主義だろう。であれば、「成果主義と名のつくものはすべて成功しない」という『虚妄の成果主義』の主張は妥当なものであったと思われる。それ以降の企業労使の取り組み事例にスポットを当てたこの本の前半の3章を読むと(実は著者自身は『虚妄の成果主義』に肯定的でないにもかかわらず)、それがよくわかる。
 たとえば、あるデパートの事例は「プロセス重視型成果主義」として紹介されている。しかし、そもそもプロセスではなく成果をこそ重視すべきだ、という当初の成果主義の主張からすれば、プロセス重視型成果主義というのは実に矛盾している。このデパートの労組は、最終成果のみを重視するのは成果主義ではなく「結果主義」であり、本来の成果主義は「各人の能力をベースとした『行動から結果まで』を評価していくもの」と述べている。『虚妄の成果主義』が批判しているのはいうまでもなく当時「成果主義」と飛ばれた「結果主義」のほうである。そして、「能力をベースとした」「プロセス重視型成果主義」ということになると、これは従来の日本企業の能力主義とほとんど異なるところがないように思える。
 さらには、「分離型成果主義」という事例が2例紹介されている。これらの事例では、ことばでは「成果主義」をうたいながらも、意図したものかせざるものかの違いはあるものの、現実の評価は成果とは切り離されている。だから「分離型」だというのだが、こうしたものまで「成果主義」としてくくることはいかにも無理なのではないか。ここでは、「成果主義」ということばにはもはや「非年功」という程度の意味しかない(しかも、それは制度的な一律の年齢給、勤続給を否定しているだけで、制度運用によって結果的に「年功的」な賃金実態になることまでも否定しているわけではない)。
 結局のところ、成果主義はさまざまな修正を施され、その多くはもはや「成果主義」と呼ぶことがためらわれるような実態となって、しかしそれなりに広まっているわけだ。著者がこうした事例研究をもとに主張するのは、成果主義は決して万能ではなく、むしろ限界があることは明らかだということ、しかし全く役立たないというわけではなく、使いようによってはそれなりに役立つということだ。これはおそらく、成果主義に取り組んできた多くの企業、多くの人事担当者が、場合によってはかなり大きな代償を支払って学んだことと同じだろう。この本の後半の2章は、こうした「成果主義」が広まる中での、これからの人事管理、企業経営のあり方の方向性の議論に費やされている。著者は「これまでの教科書、テキストとはまったく異なる」と述べているが、事例調査をベースとしているだけに、実は人事管理の実務家からみるとそれほど目新しいという感はあまりない。一方で、おそらく、一時期書店に山積みされていたある種の成果主義指南本、コンサル本(その多くは米国渡来の)とは大いに異なっているだろう。そういう意味では、実務家に自信を与えてくれるという点においてもたいへん有意義な本といえそうだ。