プールの監視員はアルバイトでかまわない

夏季連休でブログをお休みしていた間のネタで、だいぶ古くなりますが、連休初日の12日付読売新聞の解説記事から。

 埼玉県ふじみ野市営プールで起きた女児の死亡事故。自治体や企業による安易なコスト削減策が、事故の一因になっているのではないか。…
 死亡事故を起こしたプールの管理は、1155万円で市から民間に業務委託され、そのまま下請け業者に丸投げされていた。事故当時、プールにいたのは現場責任者、看護師のほか、監視員13人の計15人。監視員のほとんどは高校生のアルバイトだった。
 この事故は、コスト削減に走る自治体や企業の実態を物語る典型的なケースと思われる。プール監視は、何もなくて当たり前。極端に言うと、事故さえなければ、監視員の人件費は「無駄」な出費に近く、アルバイトで事足りる、との判断が働いても不思議ではないだろう。
 求人情報誌などによると、プール監視のアルバイト料は時給800円〜900円。ちなみに埼玉県の最低賃金は時給682円で、100円以上は上回っている。だが、求人情報会社の「アイデム」(東京都新宿区)がまとめた職種別の平均時給では、配送ドライバー969円、営業・販売事務917円、受付・案内事務897円、ファストフード店員805円、ファミリーレストラン店員793円――などとなっており、監視員の時給額は、決して高いわけではない。
 ところが、悲惨な事故が起これば、たとえ1000円未満の時給で働くアルバイトであっても、何らかの責任を問われる恐れもある。時給以上の責めを負うことも視野に入れておくべきなのだ。
…この10年間で確かに多様な雇用形態が用意された。…しかし、その雇用形態に見合う賃金水準を整えないまま、コスト削減の切り札に使われてきた一面は否定できないだろう。
 多くの職場には、正社員、パート、派遣、アルバイトらが混在する。関西の大手私鉄では、車掌にまで契約社員を次々に導入している。…
 会社側は「正社員同様の安全教育を行っているので運行に危険性はない」と言い、日本経団連も「雇用形態と安全は別次元。プール監視でも車掌でも、きちんと教育を施せば雇用形態は問題にならないのではないか」と話す。
 が、利用者はそう思うだろうか。労働組合では「ワンマン運転の鉄道があるように、事故が起きたら、運転士が全責任を持って乗客を誘導する。だから運転士の契約社員化は認めていない」と説明するが、不安はよぎる。
 春闘などで正社員、非正社員の均等処遇を求める連合は、「雇用形態ではなく、仕事内容や役割に応じて賃金水準が決まるような評価、処遇の仕組みを作りたい」と説く。
 雇用の多様化を言う前に、働きにかなう職種ごとの賃金がどのくらいの水準なのか、企業、産業の枠を超えた議論を始めるべきで、「役割給」的な賃金の整備も必要だろう。そうでなければ、安全や責任感と引き換えのコスト削減になりかねない。
(平成18年8月12日付読売新聞朝刊から)

これはいくらなんでも牽強付会というか、まったく理屈が合いません。
そもそも、問題は「事故時の対応方法を知らない人が監視員を務めていた」ということであり、それが市の正規職員だろうとアルバイトだろうと、高給だろうと薄給だろうと直接は関係ないはずです。もちろん、一般論としては、業務に必要なノウハウが高度であるほど賃金は高くなるでしょうし、ノウハウの獲得に長期間が必要であれば長期雇用である必要性も高いでしょう。ポイントは市営プールの監視員に求められるノウハウはどの程度のものか、ということだろうと思います。監視員の仕事は、事故がないかどうか監視し、今回のように施設が故障したり、あるいは溺れたり体調不良を訴えたりする人が出たらすぐに発見し、必要な措置を取るというところでしょうが、それほど高度なノウハウが必要とは思えません。体調不良者等への対応には別途看護師が配置されていたようですし、「排水口のふたが外れたら即座に運転を停止し、利用をやめさせる」というノウハウも、採用時にきちんと教えておけば足りるでしょう。そう考えると、プールの監視員がアルバイトではいけない、低賃金ではいけないという理由はあまりなさそうです。
「何らかの責任を問われる恐れもある。時給以上の責めを負うことも視野に入れておくべき」だから賃金を上げろというのもおかしな話で、リスクを考えるのならば、それが発生する確率と発生した場合のコストを考慮しなければならないでしょう。そもそもファミリー向けの市営プールで「悲惨な事故」が起きる確率はかなり低いはずです。とりわけ今回のケースは施設整備が基準どおりに行われていればまず発生しなかったはずの事故で、第一の責任は施設管理の責任者にあることは明白ですし、施設故障時の危険性と避難措置などを監視員に教えていなかったというのも、監視員本人ではなく管理者の責任が問われるべきでしょう。たしかに、プール監視員は通常のオフィスワークなどに較べれば事故の確率は高いでしょうが、それでも微々たるものであり、記事中にある他の職業と比較して高くなければならないということにはならないでしょう。
「雇用形態に見合う賃金水準を整えないまま、コスト削減の切り札に使われてきた」というのも意味不明です。「雇用形態に見合う賃金水準」とは何のことなのでしょうか。仕事の内容や役割と関係なく、雇用形態に見合う賃金水準が決められるというのはどういうことなのでしょうか。どのようにすれば、アルバイトに見合う賃金水準、派遣に見合う賃金水準、パートに見合う賃金水準、そして正社員に見合う賃金水準が「整った」といえるのでしょうか。しかも、記事の後段では連合の「雇用形態ではなく、仕事内容や役割に応じて賃金水準が決まる」という主張を引いているのですから、まったくもって矛盾していると言わざるを得ません。
続けて、私鉄の車掌の話が出てきますが、当然ながらプールの監視員と鉄道の車掌とを同一に論じることはできません。たしかに、鉄道事故は規模が大きくなりがちですし、安全確保や事故対応などのノウハウも高度なものがあるでしょうから、その養成には長期雇用が必要なことが多いでしょうし、賃金水準もそれに見合ったものであるべきでしょう。乗員全員が非典型雇用ではさすがに問題かもしれません。とはいえ、必要な水準を満たしているのであれば、全員が正社員でなければならないということもないはずで、「不安がよぎる」といった情緒的、感覚的な理由では説得力がありません。
「雇用の多様化を言う前に、働きにかなう職種ごとの賃金がどのくらいの水準なのか、企業、産業の枠を超えた議論を始めるべき」というのも、またしても意味不明です。そもそも、「働きにかなう職種ごとの賃金」が「議論」で決められるというのがまったく非現実的なのですが、それはそれとして「雇用の多様化を言う前に」というのも理屈が合いません。「働きにかなう」という以上は、1日4時間しか働かないのか残業もできるのか、1年間しか働かないのか長期間働くのかといった要素は当然入ってくるはずでしょう。
「「役割給」的な賃金の整備も必要だろう。そうでなければ、安全や責任感と引き換えのコスト削減になりかねない。」というのもよくわかりません。たしかに、コスト削減のために一方的に賃金を引き下げられて、「こんな賃金で責任だけ重いのではかなわない」といった不満が安全水準の低下につながる、といったことはあり得るかもしれません。しかし、それでは安全確保や責任感が求められる「役割」だからそれに見合った賃金を払えば問題は解決するというものでもないでしょう。記事が引き合いに出すプール事故にしても、最大の原因はボルトで固定すべきものを針金で縛ったり、当然必要な知識を持たないままに監視員をやらせたり、ルールを守らないずさんな管理にあるわけですが、その責任を負うべき人というのは、けっこうな賃金を受け取っている正規職員なのではないでしょうか?たしかに賃金水準は動機づけに大きく影響するでしょうが、賃金が高ければ責任感や安全が高まるという単純なものでもないはずです。
雇用の多様化をやめて、全員を正規雇用にして、賃金も上げてみたところで、お役所のずさんな体質が改まるというものでもありませんし、必要な知識がない監視員は、全員正規雇用だったとしても適切な事故防止はできません。多様化がお嫌いなのも均等処遇がお好きなのもご自由ですが、他人を説得するのは理屈が通っていないと難しいでしょう。