「配分」問題の見方

今朝の日経新聞「経済教室」に、慶応大学の清家篤先生が登場して今春闘を総括しておられます。「配分」問題が課題、という指摘はそのとおりと思います。その中で、正社員と非正社員格差是正にもふれられています。

…労働者間の分配問題は正社員と非正社員の間の格差是正、とくにパートタイマーの賃金改善では、さらに本質的な問題を提起する。企業の賃金改善原資が一定のもとで、パートタイマーの賃金を改善しようとすれば、その分だけ正社員の賃上げは抑えなければならない。…
 ポイントになるのは、パートタイマーと正社員の賃金の間の「均衡」という概念だろう。これは必ずしも「均等」ではなく「均衡」ということがミソである。正社員はよほどのことがなければ残業を断れない、全国展開している企業であれば転勤もある、といった企業からの自由の束縛の対価として、賃金にプレミアムがあってもおかしくない。労使で決めなければならないのは、そうした均衡という観点から、両者の賃金格差はどこまで是正されるべきか、ということになる。
…その鍵を握るのは「納得性」だ。一律でない賃金配分、完全に均等でない賃金について、労働者、とくに賃金が相対的に低くなる労働者の納得性を得られるようなルールの構築が、労使のこれからの大きな課題となる。
(平成18年3月28日付日本経済新聞朝刊から)

もっともな議論と思います。世間の一部には「非正社員の賃金を正社員の時間割にせよ」とか「公定価格を決めるべき」といった議論が横行しているようですが、さすがに清家先生の指摘は適切です(こんな言い方はかえって失礼かもしれませんね)。
「経済教室」の限られたボリュームなので致し方ないのでしょうが、実務的な観点から見て欠落しているポイントがあるので、いくつか補足的な論点を書いておきたいと思います。


まず、清家先生は正社員の賃金が高いのは拘束度の高さに対するプレミアムと説明しておられます。もちろんそういう部分もありますが、しかしそれ以上に正社員の仕事や役割(中長期的に将来期待されている役割も含む)、あるいは能力などによる部分が大きいはずです。ある一時点で仕事や成果が同じだからといって、役割や能力は異なるわけで、それにより賃金が異なってくるのは普通のことでしょう。また、正社員は定年までの長期の勤続を通じて貢献と処遇をバランスさせていくわけで、長期勤続を期待する(これもある意味拘束度が高いといえるでしょう)以上はそれなりの賃金を提示する必要があるという観点も重要です。
次に、「納得性」の意味するところです。人事管理の実務で「納得性」といったとき、それは「満足」や「100%の納得」を意味しません。むしろ、「不満だけど、しぶしぶ納得」というのが現実だろうと思います(「経済教室」ではわざわざ説明していないだけで、清家先生もそういう意味で使われていると思います)。誰しも賃金は高いほうがいいわけですし、自分より賃金の高い人をみれば不満に感じるでしょう。「賃金が相対的に低くなる労働者」すべてが完全に納得するというのは無理な話で、大方の人に「まあ、そういうことなら仕方がないか」と「納得」してもらえれば成功と考えなければならないでしょう。
実務実感としては、人間誰しも自分には甘くなるもので、格差について納得を得ることはかなり難しい仕事のように感じます。「納得性」を高め、仕事へのインセンティブを高めていくためには、格差の縮小よりは「努力すれば自分の賃金が上がる可能性がある」ルールを作ることのほうが効率的なのではないかと思います。パートタイマーの場合は入職時の賃金は労働市場の需給で決まり、求人に応募した以上は一応は納得しているはず(もちろん、情報不足で「こんな仕事・職場とは思わなかった」ということは時としてあるでしょうが)なので、労使の課題は入職後の能力向上や貢献を賃金引き上げなどの形でどのように反映していくかという点にあるだろうと思います(当然ながら、外部労働市場の影響は受けやすいでしょうが)。契約形態も期待役割もまったく異なる正社員との比較はあまり意味がないのではないでしょうか。