企業が「人を大事にする」ということ

先日も大竹文雄先生の格差論をとりあげましたが、きのうの日経新聞「経済論壇から」では、大竹先生が若年層の格差をめぐる議論を整理されています。そのなかで、産業再生機構の冨山和彦氏の所論が紹介されています。

 不況が若年層に集中的に影響を与えたのはなぜだろう。労働者全員の賃金を下げて、若年者の採用を続けることもできたはずだ。産業再生機構COOの冨山和彦氏(論座4月号)は外部規律が働かなかったことが問題だという。冨山氏は、日本企業はゲマインシャフト(共同体的社会)であることが競争力の源泉であると同時に、外部規律がないと堕落する組織になりやすいと指摘する。
 末期症状を起こしているゲマインシャフトは、既得権益を守るあまり、排他的になりやすい。
「少なくとも日本の産業社会は、この十数年間、恐ろしいほど若い人を採用していない。『人を大事にする』ときれいごとを言っても、しょせん既存のゲマインシャフトは、今所属している人が大事なのであって、日本人全体を大事にしているわけじゃない。その本音を若者たちは嫌というほど見せつけられてきた。だから、既存秩序を壊し、新しい勢力を作ろうとした堀江氏を若者は支持してきたのではないでしょうか」
 冨山氏の発言は、日本企業の問題点と若者が置かれた状況を見事に言い表している。既存社員の賃金カットを拒否しながら新規客室乗務員を契約社員にしてきた航空会社は、その典型だろう。
(平成18年3月26日付日本経済新聞朝刊から)

そうでしょうか。全文を読んでいないので批判はできませんが、ここで紹介されている冨山氏の所論にはどうも違和感があります。


たしかに、大竹先生ご指摘のとおりで、規制と寡占によるレントを従業員にばらまいてきた航空会社は「末期症状を起こしているゲマインシャフト」と言われても仕方がないかもしれません。
ただ、冨山氏が「日本の産業社会」一般にそうだ、と述べているとしたら、これはなかなか納得いかないものがあります。日本の産業社会は全体でみて本当に「恐ろしいほど」若い人を採用していないでしょうか。たしかに若い人の失業率は中高年に較べて高いですが、それでも10%そこそこであって、先進諸国の中には日本よりはるかに高い国もたくさんあります。
また、冨山氏は「『人を大事にする』ときれいごとを言っても、しょせん既存のゲマインシャフトは、今所属している人が大事なのであって、日本人全体を大事にしているわけじゃない。」と述べているようですが、これはいかにも単純化しすぎでしょう。企業が「人を大事にする」というとき、従業員が念頭に置かれていることは多いでしょうが、それに加えて、顧客や地域社会の住民も意識されていることも多いはずです。地球環境問題や社会貢献などをふまえて、日本社会、ひいては国際社会全体について「人を大事に」ということも少なくないはずです。企業の経営理念は多義的なのであって、若い人を採用しないから「人を大事にする」がきれいごとだ、という冨山氏の指摘は短絡的すぎます。
加えて、冨山氏は「今所属している人が大事なのであって、日本人全体を大事にしているわけじゃない。その本音を若者たちは嫌というほど見せつけられてきた。」と言います。しかし、こんなことは「嫌というほど見せつけ」るまでもなく当たり前のことであって、冨山氏の論法でいくと企業は望む日本人全員を雇用しなければ「人を大事に」していないということになってしまいます。これはいかに既存社員の賃金をカットしても無理難題というものでしょう(そこまで賃金カットして「人を大事に」しているといえるかどうかということは別問題としても)。
常識的に考えて、「人を大事にする」というかたわら経営の都合で一方的に首切りをしたり大幅な賃金カットをしたり、あるいは人材育成を考えないとか従業員の家庭事情を無視するとかいう実態があれば、それはたしかに「きれいごとを言って」いると言われても仕方ないでしょうが、ニーズがなくても就職希望者を採用するのでなければ「人を大事にする」が「きれいごと」だということにはならないと思います。逆にいえば、若い人たちも、「今所属している人」の労働条件の改善や働きがい、人材育成などに熱心に取り組んで「人を大事にする」と言っている企業に就職したいと望んでいるはずで、希望者全員を採用すれば「人を大切に」したと考える企業に就職したいとは思っていないでしょう。
おそらく、想像するに冨山氏は若い人云々ではなくて、産業再生機構のトップという立場にあって、企業が「今所属している人が大事」と考えることで産業・企業の再生が進みにくいことに問題意識を感じてゲマインシャフト論を持ち出されたのではないかと思います。邪推で申し訳ないのですが、冨山氏にとっては、経営不振の企業で働く多数の従業員が突然失業して困窮することを避けることより、企業を再生して自分の成果や名声が上がることが大切だということなのでしょう(もちろん、それが冨山氏の職責であり、日本経済全体の活性化につながるだろうと考えられたわけですが)。別にこれは珍しいことではなく、成果主義を導入した企業ではあちこちで見られたことです。