ニートは労働問題ではない?

今日の読売新聞夕刊「論壇2006」では、気鋭のイデオローグ(?だと思うのですが)時田英之氏が「ニート」問題の論調をとりあげていました。その中で、哲学誌(?)に掲載された小田晋氏のインタビューが紹介されています。

 ニートの問題を考えるためには彼らの内面への心理学的アプローチが必要だと主張するのは精神科医小田晋氏(インタビュー「ニートは労働問題ではない」=『大航海』58号)。
 氏は、情報化社会がニートに特有の内面性を育(はぐく)んだとみる。「『自己実現病』『自分探し病』といえるかもしれませんが、要するに特別な生き方をしないと生きている価値がないという考え方」を生んだ。それゆえ「ごく普通に働いて真面目に生きていく生き方をみんな毛嫌いしたり馬鹿にしたりするようになってしまった」。だからこそ「ニートは技能訓練は受けたがらない。(中略)職業訓練校で教えるのは技能ですから、それはクリエイティヴィティがないといって受けたがらない」。
(平成18年3月20日付読売新聞夕刊から)

うへぇ。全文を読まずにこれだけであれこれ言うことは当然できないでしょうし、インタビューですから文責は小田氏にはないことも考慮すべきでしょうが、それにしても「ニートは労働問題ではない」ときたもんだ。
まあ、一口に「ニート」と言っても実態は非常に多様ですから、一部には小田氏のいうような状況もあるのかもしれません。それにしても、仮に「ごく普通に働いて真面目に生きていく生き方をみんな毛嫌いしたり馬鹿にしたりするようになってしまった」という実態があるとしても、それはそうした生き方へのアクセスが難しくなったことが相当程度影響しているのではないかという気がします。あるいは、私のようなアタマの単純な人間には、この間バブル景気の資産価格急騰やITバブルで濡れ手に粟の大儲けをする人が現実に現れ、それが大いに喧伝されたことで、それを見た人が「ごく普通に働いて真面目に生きていく」ことをバカバカしく感じたところで無理もなかったのではないかという気もするわけで、「特別な生き方をしないと生きている価値がない」から「ごく普通」を毛嫌いしているというのがどれほどあるのか、という印象を受けます。
まあ、技能訓練を「クリエイティヴィティがないといって受けたがらない」人も中にはいるかもしれませんから、「全部がそうだ」と言っているのでなければあまり文句は言えないのでしょうが、やはりこの問題は若い人の意識(やそれに直結するとされる教育など)だけの問題ではなく、経済環境や雇用情勢もトータルで影響している(もちろん、それだけの問題でもない)わけで、専門家が専門分野に特化して意見を述べることはもちろん否定されるものではありませんが、いっぽうで総合的に考えて判断することが大切なのだろうと思います。ということで、結論としては「ニートは労働問題で(もありま)す」。