玄田有史『孤立無業』

昨年10月、「キャリアデザインマガジン」111号に寄稿した書評を転載します。

孤立無業(SNEP)

孤立無業(SNEP)

 今年(2013年)1月、本書の著者である東京大学社会科学研究所玄田有史教授の手になる「孤立無業者(SNEP)の現状と課題」という論文が公表された。「孤立無業者(Solitary Non-Employed Persons:SNEP(スネップ)」、すなわち「20歳以上59歳以下の在学中を除く未婚無業のうち、 ふだんずっと一人か一緒にいる人が家族以外いない人々」という概念を提示し、総務省統計局『社会生活基本調査』の特別集計と計量分析によりその存在と実態を明らかにしたこの論文は、その後多くのメディアで記事化され、さらには海外メディアであるウォールストリートジャーナル東京支局の「日本リアルタイム」でも「Ranks of Unseen, Unemployed 'SNEPs' Growing.」とのタイトルで報じられるなど、注目を集めた。
 調査結果の概要を紹介すると、孤立無業者は2000年代に急増、2011年時点では162万人に達し、60歳未満未婚無業者の約6割を占めるに至っているという。スポーツ、旅行、ボランティアなどの社交活動を一切行っていない割合が高く、特に家族も含めて誰とも一 緒にいない一人型孤立無業者ほどその傾向は強い。
 男性、中高年、中学卒(高校中退を含む) ほどスネップになりやすいが、近年では20歳代がスネップになりくい傾向は弱まり、若年未婚無業者の孤立が深刻化している。一般的に想定される予断にかかわらず、いわゆるリアルの交流だけでなく、電子メールや情報検索などインターネットの利用も少ないし、テレビやパソコンなどによるゲームをよく利用しているわけでもない。
 求職活動、就業希望、仕事につくための学習のいずれにも消極的であり、スネップの約半数は同時にニートまたは中高年ニートとなっている。こちらは家族以外との交流を持たない家族型孤立無業ほどその傾向は顕著だという。
 本書は、この論文に新たな内容を加え、一般向けの解説書としてつくられたものといえそうだ。著者の出世作である『仕事の中の曖昧な不安』と同様に、根拠となる計量分析の方法や結果などは各章の最後に一括して記載されていて、研究書として読むこともできるし、関心のない読者は飛ばしても支障なく読み進めることができるよう配慮されている。
 いっぽうで、この書名は即座に著者の問題作である『ニート−フリーターでもなく失業者でもなく』を想起させるだろう。その存在が目に見えにくいがゆえに社会から関心を寄せられず、支援を必要としているにもかかわらず得られない一群の人々の存在を指摘し、支援の必要性を訴えるというコンセプトは確かに共通しているし、これは実は『仕事の中の曖昧な不安』も同様であった。そういう意味で、これらの著作は学術的な面にとどまらず、社会政策・公共政策の面でも重要な業績であり、とりわけニート以上に目に見えにくスネップの存在と、その増加傾向を客観的なデータで疑いなく指摘した本書の功績は大きいといえるだろう。
 とはいえ、著者が目に見えにくい存在を見えるようにするために、「ニート」「スネップ」といった新しい概念を導入したことに対しては、一部から批判もある。ウォールストリートジャーナル東京支局の記事も「First there were“Freeters,”then there were“NEETs.”Now, here come the “SNEPs.”」とはじまるように、世間での議論も、著者が意図したような政策的支援に関してではなく、スネップを概念化して論じることの是非に集中しているようだ。たしかに、操作的ではあるもののそれなりに自覚的な概念でもあるフリーター(フリーアルバイター)と較べてニートやスネップはきわめて操作的な概念であり、一括りに論じられることに抵抗のある当事者は多いだろう。
 また、このような概念化が、意図せざる「レッテル貼り」をもたらすことへの懸念ももっともといえよう。たとえば、評論家の後藤和智氏は氏のツイッターで「仕掛け人が玄田有史という時点で強固に下段ガード。玄田って「ニート」概念から社会的排除とかを抜いて心理主義の日本型「ニート」にした張本人でしょ。そんな人が作った概念が信用できるはずがない」と述べている。もっとも、著者によるニートの定義が欧州におけるそれとは異なっていることは事実としても、それ以上に著者が「社会的排除とかを抜いて心理主義の日本型「ニート」にした」形跡は現実には見当たらないのだが、とはいえこうした概念が提示されなければそれが「社会的排除とかを抜いて心理主義」になることもなかった、との指摘はありうるし、スネップについても同様の懸念は否定できないのだろう。
 そのいっぽうで、こうした概念化を通じて世論を喚起することで、より迅速に、より充実した支援策がとられる、という効果にも無視できない大きさがあるだろう。ニートについては現実にそうなったし、スネップについても支援策を求める世論が拡大しつつあり、一部で政策的検討もはじまっているという。結局のところ、その功罪は結果的にこれらの長短を総合し、歴史的に評価されるよりあるまい。
 そう考えると、かつて『ニート』において、ありていに言えば「叩かれた」著者が、あらためて新しい概念を提示して支援を求めたことには、独善的との批判もあろうが、しかしその使命感と勇気に率直に敬意を表したいと思う。多くの人に虚心に読まれることを強く希望したい。