東武鉄道の懲戒解雇は厳しすぎるか?

先日、朝日の「内紛」で懲戒処分の話になりましたが、最近話題になった処分といえば、やはりこれでしょうか。

 東武鉄道野田線で、運転士が泣いて座り込んだ3歳児の長男を運転室に入れたまま1駅間運行した問題で、同社は14日付で運転士を懲戒解雇処分にした。同社は「第三者を運転室に入れることは服務規定で厳しく禁じられている。多数の意見を頂いたが、十分な調査を行った上の処分だ」と解雇方針を変えなかった。同社には報道直後から2000件を超す意見が寄せられたが、大半は「厳しすぎる」との意見で、解雇を支持する意見は150件程度だった。
(平成17年11月17日付産経新聞朝刊から)

マスコミにも同情論が多いようです。代表選手として、きのうの朝日新聞の「天声人語」にご登場いただきましょう。

…安全運行がすべてに優先するのは言うまでもないし、家族を先頭車両に乗せるべきではなかった。それでも、多くの人命を預かる仕事だと再認識させたうえ、再び乗務の機会を与えるかどうか検討するといった選択肢はなかったのだろうか。勤労感謝の日のきのう、電車の運転室のドアの前で思いを巡らせた。
(平成17年11月24日付朝日新聞朝刊から)

あまりに厳しい処分を行ったと世間に思われれば、「従業員・家族に冷たい会社」という悪いイメージを持たれてしまうのではないかとも思うわけですが、それでも「筋を通した」のはなぜなのでしょう?
ということで、労務屋ホームページの「労働雑感」で新しいエッセイを書いてみました。
ここにも転載しておきます。

 東武鉄道の30代前半の運転士が息子を運転室に入れて乗務したことが発覚し、会社がこれに懲戒解雇の方針が示したことに対して、多くの同情論が集まりました。報道によれば、電話やメールなどで「解雇は厳し過ぎる」などの意見が約2000件寄せられたとか。それにもかかわらず、東武鉄道はこの15日に懲戒解雇を決定、通告したそうです。
 まず、報道などから事件の経緯を簡単に確認してみると、この運転手は東武野田線南桜井駅から隣駅である川間駅までの約3分間、3歳の長男を運転室に入れて運転し、これが乗客から通報されて発覚した、ということのようです。運転士の説明によれば、勤務終了後に家族で外出する予定があり、そのため妻と長男、長女の3人が先頭車両に乗車していたところ、長男が運転席の父親に気付いてドアを叩くなどしたため、南桜井駅で他の列車の待ち合わせ中にドアを開けて注意したところ、泣き出して運転室に入って座り込んでしまった、ということのようです。そのうち待ち合わせが終わり、発車時刻になったため、定時運行のためそのまま発車させてしまった、という事情だということです。
 なるほど、これはたしかにありそうな状況といえそうです。ありそうな状況だけに、職を失って一家が路頭に迷いかねない懲戒解雇という厳罰は情においてまことに忍びないものがあることも間違いないでしょう。
 それでもなお、東武鉄道が当初の方針を貫いてこの運転士を懲戒解雇したのはなぜでしょうか。もともと懲戒処分はすぐれて当事者労使の問題であり、外部の第三者が論評すべき問題ではないわけですが、なぜ庶民感情とは異なる判断が下されたのかについて、私なりにその理由を推測してみたいと思います。
 最初の前提として、報道などによれば、東武鉄道では運転席に部外者を立ち入らせて運転することは規則違反とされており、懲戒解雇の対象となりうるとの規程が存在するとのことです。旅客鉄道業が「命を運ぶ」ビジネスであるとすれば、運転中の運転士がきわめて高度な職務への集中を求められることは当然でしょうから、運転席への部外者の立ち入りを禁止することには十分な理由があるといえそうです。他社においても、今年の6月、JR東日本で運転中に携帯電話のメール操作をしていた運転士が懲戒解雇になった事例があり、運転中の安全規則違反が懲戒解雇にあたるというのは社会通念上相当と考えられるとみていいでしょう。であれば、あとは本件の情状をどう考えるかということになります。
 まず、情状を厳しくみる条件を考えてみると、第一にこれが乗客の指摘によって発覚し、広く報道された、ということがあげられます。事実がどうか、ということと同様に、乗客がこれをどうみるか、ひいては世間がどう受け取るか、ということが重要な判断材料になるわけです。これをみた乗客の目には、事実の如何にかかわらず「子どもにせがまれて運転席に入れてやった」と見えるかもしれません。その手のシミュレーションゲームやビデオソフトがあることをみても、電車の運転室に入ってみたいと思っている人は多いのでしょうから、こうした誤解を与えても致し方ないのではないかと思います。また、この時に限らず、他の運転士もふくめて日常的にこうしたことが行われているのではないか、との印象を与えたかもしれません。「東武鉄道は運転士が子どもを運転席に入れる会社だ」との風評が流れることは会社にとって大きな損害になりかねないだけに、処分も厳しくなるのは自然な話でしょう。
 次に、入り込んだのが家族だったというのも、一般的な印象とは異なるかもしれませんが、情状を重くする材料になると思います。赤の他人が入り込んできたとしたら、電車を遅延させてでも排除しただろうということは容易に想像できるわけで、「家族だから甘くみた」とみられても致し方のないところだろうと思われます。
 そして、この4月にJR西日本で発生した脱線事故の影響は無視できません。この事故以降、鉄道各社は定時運行より安全運行を優先すべきとのプリンシプルを徹底することを行政からも社会からも強く要請されている状況にあります。こうしたなかで、今回のケースは定時運行を優先して不安全行為を行ったわけですから、まさに社会の要請に逆行してしまったことになります。この情状は重く見ざるを得ないでしょう(前述のJR東日本の懲戒解雇にも同様の判断が働いたことは想像に難くありません)。懲戒というものはそもそも、「○○してはならない」「××は許されない」…といった企業の(ネガティブな)プリンシプルを示すものでもあり、定時運行違反より安全運行違反が厳罰であるなら、それは企業の「安全運行違反は定時運行違反よりさらに許せない」という意思の現れです。したがって、「定時運行のために安全運行に違反した」という事案には厳しく望まざるを得なくなるわけです(JR西日本の場合、ときに安全運行違反以上に定時運行違反が厳罰に処せられるとの認識を与えてしまったことが、安全軽視につながったのではないかという指摘はいくつもあるところです)。
 加えて、東武鉄道はこの3月、竹ノ塚駅構内の踏切で重大な事故を発生させ、社会の指弾を浴びているという事情もあります。いやがおうでも不安全行動に神経を尖らせなければならない状況にあったわけです。
 こうして書き並べると、ずいぶん冷たいことばかり言うのだなあという印象を与えるでしょうが、もちろん、情状を酌量すべき点も当然考慮されます。
 たとえば、子どもは運転装置などには手を出していないということですし、その結果として特段のトラブルもなく無事に運行されたわけですから、運転室に入れたこと自体は規則違反としても、次の駅で出したことも含めて違反後の措置は適切だったと考えられるわけで、これは情状を軽くするでしょう。また、定時運行を守らなければならないと思った、という動機も、安全を軽視したことを別とすれば、もちろん悪意ではなく、むしろ善意によるものですから、これも酌量されるでしょう。
 さらに、この運転士の社内での立場・役割(指導的な立場の人の違反は当然ながらそうでない人より重くみられます)をはじめ、ふだんの勤務状況や、これまでの貢献(30代前半、ということですから高卒入社とすれば勤続十数年で、まじめに勤務していたならばそれなりの貢献はあると評価されるはずです)、さらには過去に表彰や懲罰、あるいは注意などを受けたことがあるかどうか、などといった点も考慮され、しかるべく判断されるのが通常です。
 もちろん、これらは部外者が外から見て想像したものに過ぎませんので、他にもさまざまな事情があったのだろうと思います。いずれにせよ、今回、東武鉄道が運転士を懲戒解雇としたのは、このようなさまざまな要素を総合的に考慮しての判断だったのだろうと思います。その是非については部外者が容喙すべきものではなく、たしかに庶民感情とは異なるかもしれませんが、東武鉄道の判断が尊重されるべきでしょう。現在、労働契約法制の検討の中で、懲戒処分についても非違行為と懲戒処分の均衡について一般的な基準を指針で定めるとの提案もあるようですが、懲戒とはこのようにまことに複雑で、さまざまな事情が関係し、社会環境や業界・企業のおかれた状況によっても変化するものです。非違行為と懲戒処分だけを取り上げて一般的な原則を定めるというのはおよそ不可能で、無理な考え方ではないかと思います。

「労働雑感」はこれだけなのですが、そもそも人事担当者にしてみれば懲戒処分なんて誰も喜ばないし、むしろ恨みを買うだけですから基本的にやりたくないわけですし、やらなければならないにしてもできるだけ軽くすませたいものです。それが懲戒解雇となれば、これはやはりよほどの事情があるのだろうと思います。
なお、これは私のまったくの想像なのですが、おそらくは東武鉄道は諸般の事情を考慮して、この運転士の再就職を斡旋しているのではないかという気がします。それが、古くから労使関係に膨大な経験を重ね、ノウハウを蓄積してきた会社らしい対応のように思えるからです。