労働契約法制の続き

昨日のエントリについて、将来を嘱望されている若き学究genesisさんからトラックバックをいただきました。以前から繰り返しているとおり、この問題は掛け値なしにたいへん重要だと思っており、議論の輪を広げたいと思っていますので、genesisさんのコメントはうれしいものです。
さらに、genesisさんのコメントは、労働契約法制に関する関係者の懸念をかなり代表しているもののように思われますので、その点でもたいへん有益です。
そこで、本日はgenesisさんのコメントに対する私の考え方をご説明したいと思います。


さて、まず[2]について、genesisさんはこう表明されています。

 解雇の金銭解決について。連合が懸念しているのは,使用者が主導して金銭解決へと持ち込むことだと思われます。和解で現に行われており,近く導入される労働審判制度で行われることになるであろう金銭解決については否定していません。

もちろん私もそうだろうと思っております(genesisさんはギャラリーの皆様の理解に資するために言及されたのだと理解しています)が、私は、一定の場合には使用者主導の金銭解決もありうべきと考えています。解雇事件の内容は多様で、オーナー社長が「あいつはなんとなく気に入らないから」解雇した、といった論外なものから、労働者にも大いに非があるものの解雇は過酷に失する、という微妙なものまであります。たとえば、常に経営者や上司を批判し、不平不満を述べ立てて職場全体の雰囲気をいたたまれないものにしている労働者が解雇された場合など、裁判になれば解雇無効の判決が出ると思います(まず出ると思いますし、それ自体を批判するつもりはありません)が、いっぽうで職場では復帰を非常に受け入れにくいことも想像に難くありません。そうしたケースでは、使用者主導の金銭解決もあってしかるべきと思います。なにもあらゆる解雇無効を使用者の申し立てで金銭解決できるようにすべきと言っているわけではありません。

  • genesisさん(というか、連合かな)の言われる「主導権」に関しては、労働者または使用者が裁判所に申し出て裁判所が判断する、という裁判所イニシアチブが適当ではないかと私は考えます。

研究会報告も、組合差別や性差別などによる解雇無効は使用者申し立てによる金銭解決は認めないとしていますし、私もこれは妥当だと思います。使用者申し立てを認めない範囲はもっと広くてもいいだろうとも考えています。最近のエッセイにも書いており、ぜひお読みいただきたいのですが、私は基本的に金銭解決の当否、成否は解決金の水準に大きく依存すると考えており、使用者による金銭解決の申し立てに疑義があるのであれば、裁判所がその疑義の程度に応じて解決金の水準を上下するのが現実的かつ個別ケースの事情を反映しうる優れた方法であると考えています。使用者の「ひどさ」の程度が大きければ解決金は事実上金銭解決を選択できない程度に高くすればよいし、使用者にも同情の余地があると考えるなら解決金もそれなりの水準にすればよい。実務家からみた金銭解決の優れたところは、「復帰か否か」というオール・オア・ナッシングのデジタルな解決ではなく、こうした一種「過失相殺」的な発想を取り入れた解決が可能となるところではないかと思います。
ですから、職場の同僚が「あの人が解雇されるなんて本当におかしい、ぜひ戻ってきてほしい」と思っているようなケースでは、裁判所は金銭解決を認めない、あるいは懲罰的な高水準の解決金を提示すればいいわけです。現実には、そういう人は基本的に解雇されないでしょうし、仮に解雇したとしても判決に至る前にそれなりの形で解決するだろうと思うのですが。
というわけで、結論としては、解雇無効にもさまざまなケースがあり、使用者の申し立てによる金銭解決がトータルでは職場の労働者にとっても望ましいケースも考えられるわけですから、連合がこれを全否定するのはいかがなものか、というのが私の考えです。


次は[3]です。genesisさんはこう言われるのですが・・・

 連合は,「労働条件の変更には異議をとどめながら、就労を継続しつつその合理性を争う」という態度を取ることは事実上できないだろう,という見方を取っています。ここで論拠に挙げているのはドイツにおける〈変更解約告知制度〉の運用実態。すなわち,労働者が就労を継続しつつ条件変更について争おうとしても,使用者は解雇をもって臨むから,想定通りには機能しないだろうと疑念を抱いているものです。

ドイツにおける変更解約告知の大方が実際には解雇になっているということは私ももちろん承知しており、これもギャラリーへのサービスだと了解しておりますが、「事実上できないだろう」ということがそのとおりだとしても(おそらくそうなるだろうと私も思います)、この制度の創設が「労働者に対して「労働条件の変更か解雇か」を迫ることになる。」という連合の主張は依然として理解不能です。
つまり、現状だと、「賃下げを受け入れるか、さもなくば解雇だと言われ、賃下げに難色を示したところ解雇された」という事例が現にあります(だから研究会もこれを問題視して検討したわけでしょう)。で、この制度を導入すると、「賃下げを受け入れるか、さもなくば解雇だと言われ、賃下げについては異議をとどめつつ、就労は継続しながら争います、といったところ解雇された」ということになるだろう、という話だろうと思います。したがって、「労働条件の変更か解雇かを迫る」というのは今もこれからもあるということであり、「だから制度新設に反対」という理由にはならないと思うのですが。で、私としては、たしかに「異議をとどめつつ就労しつつ争う」という人の大方は解雇されるだろうとしても、少数ながらも「就労しつつ争う」ことができる人が出てくるのなら、この制度を導入する意味はあるのではないかと思うのです。それを全否定してしまう連合の姿勢は、私には「労働者のため」になるとは思えません。


[4]についてですが、

 連合は,労働者保護(より厳格な労働時間規制)こそが先決だと訴えています。労働時間管理の対象から除外することにより,「不払い残業」の合法化,長時間労働の激化,過労死・過労自殺の増大が起こることを危惧しています。私の知る限り日本で最も積極的な導入論者である roumuya さんにとっては,反論になってないと思われるかと思いますけれど。

物の製造などの業務で、出来高が時間と強く相関するような仕事においても、いわゆる「サービス残業」が行われているのであれば(実際、多数ではないにしても行われている実態もあるようですし)、それはより厳格に規制、というか監督を行うべきだということにはまったく異論ありません。これらの仕事は私がホワイトカラー・エグゼンプション制を導入、拡大することが適当と考えている仕事とは重なり合いません。
また、健康被害につながるような長時間労働は規制すべきだ、という意見にもおおむね同意します。たとえば、職場にいた時間が月間で所定労働時間プラス100時間を上回ったら産業医のチェックを義務付けるといった規制は、必要であればやればいいと思いますし、いわゆる「過労死」やいわゆる「過労自殺」の防止にはほぼそれで足りると思います。
私が申し上げたいのは、そうした長時間労働規制と、賃金を労働時間の時間割で支払わなければならないということとは、少なくとも一定の専門性と裁量度を有する仕事においては、まったく別物ではないか、ということです。

  • ところで、余談ながら私が「最も積極的な導入論者」との評価をいただいたことにはいたみいります。私は自分では実務家としてはかなり慎重な導入論者だと思っているのですが。

なお、ここからはかなりラフな議論ですが、「仕事手順の裁量性」については本人同意要件を入れればほぼ担保できるでしょうし、「仕事量の裁量性」に関しては、現に仕事量がオーバーフローすれば前述の長時間労働規制にひっかかりますから、たとえば「半年で3ヶ月ひっかかったら適用除外」とかいった規制をおいておけば対応可能と思います。
なお、genesisさんが「遵守されていない」と書いておられる通達(4月6日だと思いますが)については、そもそも通達自体に大きな問題があると私は考えています。


以上、genesisさんには自明、または先刻ご承知のことをギャラリーの皆様のご参考までにくどくど書いていることはご了承ください。私としては自分の主張を押し通すことが目的ではなく(そんなことしても特段の利益もありませんし)、ニュートラルな立場で大いに議論をしたいと思っています。ご意見いただければありがたく存じます。